ワサビを絶滅の危機から救うために、わたしたちができること。

 一昨日、山根京子先生(岐阜大学農学部・准教授)に、NOAFのセミナー@法政大学で、「絶滅危惧種のわさびを守る」という講演をお願いした。講演後にセミナー参加者と一緒に、市ヶ谷駅前のタイ料理「ティーヌーン」でパクチーを食べながら食事をした。ワサビネタで、女性中心の食事会は大いに盛り上がった。

 山根先生の講演では、日本固有種のワサビがいま置かれている、もろもろの深刻な状況を紹介していただいた。このまま放置しておくと、50年後にはワサビが絶滅してしまう可能性がある。とくに驚いたのは、500万年前にはじまる氷河期が、ワサビを日本列島に閉じ込めたことである。

 可食植物としてのワサビは、江戸時代を通して日本人の食生活に欠かせない存在になった。そして400年後には、和食文化とともに世界に羽ばたいていくことになる。和食とともに生き続けたことは幸運な出来事ではあったかもしれない。しかしながら、獣害(鹿)や地球温暖化、生育環境の悪化で絶滅しそうなワサビたちにとって、日本列島に幽閉されたことはもしかすると不幸なことだったかもしれない。

 山根先生の研究(仮説)は、そんなワサビの数奇な運命の物語だったが、リサーチの発想がおもしろかった。独特の着想(氷河期と間氷期の繰り返しが、中国大陸と日本列島を陸続きにしたり大陸から孤立させたりした事実)から、「ワサビの日本国での普及拡散」を説明してくださった。100万年前に大陸から流れてきたワサビは、気候変動ともに日本列島を南北に移動して、最後に日本海側に定着した。

 遺伝子解析とフィールドワーク(山歩き)から、一人の研究者の孤軍奮闘の努力の結果、ワサビの素性がつまびらかにされたのだった。そして、こんなマニアックな研究が海外の一流誌に載るなんて!ビジネスの世界で生きているわたしなどからすると、実に驚愕だった。

  

 先生のフィールド研究やDNA分析は脇に置いておくとして、ワサビは和食や寿司のスパイスとして世界中で需要が増えている。ところが、そのワサビが50年後に消えてしまう可能性があることを知って、皆さんは愕然としないだろうか? 日本の山からワサビが消えてしまうのだ。寿司大好きの日本人は大いに困るはずである。

 いまや世界中で和食や寿司のファンが増えている。グローバルな食に欠かせないスパイスになったのに、原種のワサビの絶滅を救う人は、山根先生と坂嵜潮さん(フローラトゥエンティワン代表)以外には、どこにも現れていない。寿司大好き人間の一人として、この危機をなんとか避けるように努力してみたい。そのために、この長いブログを書いている。

 残念ながら、山根先生は研究者であって実務家ではない。エアコンが効いた岐阜大学の植物研究室で、日本の野山から248系統ある多様なワサビを採取して保存を続けるには限界がある。もっと大きな力を結集し、「国際ワサビ研究所(仮)」を創設して種の保存に努めないといけないことは明らかである。

 というわけで、山根先生の講演後に、わたしと坂嵜さんが二人で議論した「ワサビを絶滅から救うための方策」を、以下では列挙してみる。*注:カタカナの「ワサビ」は一般的に植物のワサビを、ひらがなの「わさび」は食品としてわさびに使用される(山根先生への質問から)。

  

 

 <日本固有種のワサビを絶滅から救うための具体的な方策>

  

1 ワサビの利用部位を増やす(茎の部位の活用)

 ワサビの辛みは、根の部分にも茎の部分にも含まれている。しかし、現在利用されているのは、根の部位がほとんどである。したがって、そのまま生で使うにしても加工の供するにせよ、商品単価がかなり高くなる。根っこを消費の主体にすれば、栽培面でも長期の生産リードタイムが必要になる。しかし、もしも「花ワサビ」と呼ばれている地上部の「茎」を辛み成分として利用すれば、工業的にも生産性はかなり高まる可能性が出る。

 ワサビの2大産地は、静岡県(伊豆)と長野県(安曇野)である。世の中で流通しているワサビ(根っこ)は、市場取引が約15億円(静岡産が圧倒的、直売はハウス食品)。市場外取引の数字はわからないが、こちらは輸出やメーカー直売(S&B食品)になる。どうせ加工するのであれば、根っこも茎も成分として同じなのだから、茎の部分を利用するようにすればよい。

 チューブわさびの成分の多くは、実は西洋ワサビ(ホースラディッシュ)がほとんどである。となると、”本当”の本わさび(日本ワサビ)の成分を増やすことができる。和洋のワサビでは、風味も似て非なるものらしい。

 

2 多様な品種の活用(旨味成分の強い品種)

 ワサビは、多様な植物らしい。野生種は日本海側を中心に、248系統66タイプが存在している。ところが、山根先生の講演でもっとも衝撃的だったのは、いま日本で流通しているほとんどのワサビは、系統的によく似た3品種に限定されているという事実だった。その3種類(真妻、だるま系、島根3号)はともに、イソチオシアートという辛み成分が強い品種群である。

 ところが、成分分析をすると、多様な原種ワサビの中には旨味成分が含まれた品種も存在している。島根県や北海道に生息するワサビらしく、かつては食用に供されていたという。旨味成分を多く含んだワサビをスパイスとして活用する道を見つけられれば、わさびの市場がもっと広がる可能性がある(山根・坂嵜仮説)。

 なぜならば、若者を対象にした山根先生の研究では、「若い人がワサビを嫌いだと感じる理由は、市販のわさびで辛み成分が強すぎるからなのではないのか」となっている。つまり、辛みを抑制して、旨味成分が強い品種を従来の品種にブレンドしてやれば、若者でも美味しいと感じるスパイス(本わさび)が誕生する可能性が示唆される。

 旨味線分が強いわさびの製品開発に成功すれば、消えかけている多様な野生種の復活にも寄与できるだろう。ポイントは、在来品種の発掘とその加工である。ここは、次に述べる「本わさびメーカー」が果たすべき新しい役割ではないかと思う。

  

3 食品メーカーの商品開発力に期待する

 わさびを加工食品として発売している代表的なメーカーは、ハウス食品とエスビー食品である。両社は、チューブ入り香辛調味料として、「わさび」を発売している。

 例えば、S&B(本生)本わさび(43g、130円)、S&B(無着色)生わさび(43g、125円)、S&B(名匠)本わさび(33g240円、長野県産のワサビ使用)。ちなみに、ハウス食品は、特選本香り生わさび(42g、190円)。おろし生わさび(43g、125円)。それ以外に、静岡の地元メーカーの商品など数種類がある。

 坂嵜さんの提案は、わさびの旨味成分を増やして、辛み成分を極力抑えることである。その狙いは、辛みを抑制すると消費者が一度にたくさんのわさびを使用するようになるからである。しかも、若者がわさびに抵抗がなくなるようになる。そして、チューブの減りを速めると購入回数が増えて、市場が大きくなる。結果として、値段も安くできる。

 もしも、ハウスとSBが既存の商品に固執するようならば、新たにわさび市場に参入するのは、キッコーマンやカゴメ、QPでもよいのではないだろうか?あるいは、新規参入の候補社としては、オタフクソースやブルドックソースもありえるだろう。  

 

 そうなれば、農業生産的には、前週紹介した大規模野菜生産工場(岡山県笠岡市のSARA)で、花ワサビ(茎)を生産することができるだろう。妄想は膨らむばかりだ。しかし、国際ワサビ研究所を創設するためには、クラウドファンディングも含めて、何らかの支援者団体は必要になるだろう。

 遺伝資源の保全は、そのような支援者と市場創出以外には考えられない。山根先生のようなひとりの研究者の手には負えない課題である。原種は日本にしか存在しない。また、保全する場所も、温暖化には環境的に弱い日本海側にある。ワサビのために残された時間は、それほど長くはない。