その昔の講義録を発見!: 岩田弘三会長(ロック・フィールド)、2001年大学院での講演(要旨)

 20年前の自分の姿を見ることは、ある意味で懐かしさを感じるだろうが、気恥ずかしく思うところもあるのではないだろうか。さきほど、PCの中のファイルを整理していたら、「㈱ロック・フィールド」の岩田弘三社長(現会長)の講演録が出てきた。2001年秋に法政大学の大学院で行われた「マーケティングセミナー」の筆記録である。

 この記事は、これまでブログには収録されていないようだ。メモとして残しておきたい。
 大学院での講演から18年が経過している。しかし、岩田会長の講演にすべてが詰まっているように思う。この三年後に、経営大学院のイノベーションマネジメント研究科が誕生する。その最初の年に、岩田社長には経営大学院で客員教授をお願いすることになった。思い出深い講演録ではある。
 
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「ロック・フィールド、岩田社長講演」(要旨)
 2001年11月21日(水) 法政大学大学院
「ロックフィールド30年の歴史 企業価値創造とブランド」
 
(1)ロック・フィールドの歴史
 人々のライフスタイルも価値観も、つねに変わっていく それを見極めることでビジネスチャンスが生まれる 女性進出と核家族化が進むと、家事の外部化が起こる 食のアウトソーシング、という流れを見て、ロック・フィールドの惣菜もごちそう(ハレ)からデイリー(ケ)へと大きく転換してきた
 
 <創業当時>
 ロック・フィールドは、30年前、1972年設立である 30年前、カタカナで「ロック・フィールド」という社名に決めたのは、先見性があったと思う
 もともとの事業は、レストラン経営からはじめた 総菜をはじめるにあたり、欧米の視察旅行をした 1ドル360円で500ドルしか外貨持ち出しが許されておらず、クレジットカードもない時代、お金も現地の情報源もないまま、コペンハーゲンからヨーロッパ、アメリカを訪れた フランスパリの「フォション」、ミュンヘンの「ダロワイヨ」、「ダルマイヤー」、ミラノの「ペック」などのデリカテッセンを見て回り、ヨーロッパの食文化の間口と奥行きに驚愕した 
 ロック・フィールド設立後、大丸神戸店に1号店を出店したが、最初の5年間は総菜は赤字で、レストラン経営で穴埋めをしていた 経営状態がよくなったのは、オイルショック後の不景気のころ、つまり時代の転換期からである 
 <ヨーロッパデリカテッセン「ガストロノミ」  洋風ギフト用デリカを、百貨店ごとに別ブランド名で展開>
 「ガストロノミ」とは、「美食家」の意味である 路面店の1号店を神戸異人館街に出店した 設計は、建築家の安藤忠雄氏で、デザインを巡って激論した ロック・フィールドとしては一号店であり、サインを出して人目を引きたかったのだが、安藤氏は、都市景観を重視し、コンセプトをもったデザインが重要だと主張した 安藤氏には、のちに静岡工場建設の際も、設計をお願いした
 1980年代、百貨店への進出を進めた 関東にも進出して、横浜高島屋を皮切りに、リニューアルを続けながら順調な展開をつづけてきた お歳暮やお中元などギフトの全盛時代で、テリーヌ、パテ、スモークサーモン、フランス風シャルキトリーのハム、
ソーセージなど、ヨーロッパ風の高級そうざいをコアコンピテンスにしていた 当時はスモークサーモンの食べ方を知らない客もいたが、百貨店には高級総菜部門がなかったので、よい素材・適切なコンセプトで展開していれば、よく売れた
 
 「ガストロノミ」は、正確には高島屋向けのブランドだった 扱うMDは同じでも、そごうでは「美食家倶楽部」、伊勢丹・阪急では「マンジャーニ」、大丸では「ユーロマルシェ」、他の百貨店では「神戸デリカテッセン」と、百貨店ごとに5-6のちがう
ブランド名で進出していた 当時は、各百貨店に差別化のベネフィットが得られることを重視して、ブランド展開をしていた 
 こうしてロック・フィールドは、売上100億円企業になった しかし経営内容をみると、通年で見れば好調なビジネスも12ヶ月中黒字月は3-4ヶ月にすぎなかった ギフトの売上比率が大きかったので、当時はそれが当たり前と考えられていた ピーク時
にはギフトが26億円で、総売上の26%を占めていた 
 しかし、民から官や部下から上司、取引先への義理中心のギフトはそのうち否定されるだろう、ギフトとして残るのはパーソナルなものになると考えるようになった ギフトがこんなに売れているのになぜ、という周囲の大反対をおしきって、デイリー中心の総菜へと転換を図る決断をした こうして、「神戸コロッケ」をはじめた
 <神戸コロッケ デイリー総菜への転換と、統一ブランド化>
 ロック・フィールドの総菜が、ハレからケへ、ビジネスギフトからパーソナルなデイリー総菜へと転換をはかるきっかけになったブランドが、1989年にはじめた「神戸コロッケ」である 揚げ物中心に対面販売を始めた 
 当時、冷凍クリームコロッケ全盛の時代だったが、「神戸コロッケ」では、その逆にビジネスチャンスを見いだした おおかたの社員も取引先も反対したが、あえて揚げたて・フレッシュなしょうゆ味のポテトコロッケを売り出した タマネギの皮むきからはじまっていろいろ手間はかかるが、結果として、予想以上に消費者が評価してくれた 今は40億円の売上だが、50億円を売り上げるほどだった
 <RF1~ サラダ中心に、ブランドとして信頼を得る>
 「神戸コロッケ」につづき、コアになるブランドのあり方を模索した 岩田社長としては、「ガストロノミ」が認知度も高くいちばん好きであった この名前は取引先にも社員にも、消費者にも一番なじんでいた しかし、サラダ中心に新たな展開をめざすのであるから、あえて「RF1」という抽象的なネーミングにした 「RF」は私の名前「岩田」を英語にした「ロック・フィールド」の略である また、総菜で一番のブランドになりたいという目標から「1」をつけた 無機質だという反対の声もあった
 しかし、「SONY」もおなじく無機質なネーミングである それが企業努力の結果、消費者に定着したのであり、「RF1」も、「SONY」のように信頼のブランドとなることをめざして、一から出発して、このブランド名に決めた消費者のデイリーユースの総菜に重点を移すことを考えると、消費者とのコミュニケーションがもっと重要になる 顧客へのメッセージを一本化した総菜ブランドとして、展開しなければならない これまで百貨店ごとに別々にブランド展開していたので、自社ブランドの横断的な統一展開には、テナントとして百貨店は当初メリットを見いだせなかった そのためデパートはMDとして総菜は不可欠であり、健全な総菜ビジネスが育っていくことが重要なのだと主張して、やっと百貨店側を説き伏せ、統一ブランドとして出発した 料理の鉄人シリーズ「12人のシェフシリーズ」企画なども行って、ブランドのあり方をかえてきた次の時代は、高齢化などの要因で、時間に余裕が出る時代になるとみている そこで、生鮮産品と完成品との間お総菜と料理との中間をいく半製品キットの販売に乗り出した 添付のレシピにもとづいて自宅で加工すると、15分くらいで総菜ができあがるようになっている
 
 おいしさの価値観はぜったいに変わる これからは、ヨーロッパのデリカテッセン的なおいしさから、「健康と安全・環境」がおいしさの基準になる これを企業理念として、ブランドの価値観の中心に据えた このため、O157、狂牛病の混乱の中でも、ロック・フィールドはブランドとして消費者の信頼を得られたと感じているまた、ギフト需要に頼らず、デイリー総菜へとシフトすることで、全月黒字化が可能になった こうして、健全な総菜ビジネスづくりが可能になった こうして、2000年2月には東証一部に上場することができた
 総菜はまだ未成熟な業態である 30年前はハレの日のごちそうであった ロック・フィールドでいまのビジネスモデルが軌道にのったのはここ5年ぐらいの話である しかし、さらに変革が必要である
 出店形態も変えていく 百貨店は、そごうのケースが示すように、このままの形ではつづくまい JR東日本は鉄道事業の将来性は限られていることから、経営資源として駅に注目していて、恵比寿にオフィス棟・商業施設を設けて成功した 駅は立地としては百貨店以上に有利だと考え、ロック・フィールドもサラダバッグを出店したまた、「地球健康家族」は、駅前に路面展開している
 <静岡工場>
 「ガストロノミ」出店時に激論を交わし、意気投合した安藤忠雄氏に設計を依頼した
 「工場の設計など…」と渋る安藤氏を説得して、理解を得て、11年前に立ち上げたのが静岡工場である 2000年5月に2期工事をおこなって、豊岡村に2万3000坪のファクトリーパークを完成させた。これからの企業は環境、資源、エネルギー、廃棄物についても配慮が必要である 静岡工場は、環境に配慮した仕組みで、ISO14001基準を取得している(1999年、神戸、玉川工場でも同時に取得) 天竜川沿いにあり、風力発電(出力100KW時×3基)によるクリーンエネルギーを活用している 工場では1日6万トンの水を使うが、使用後の水はビオトープを流れ、微生物の力で廃水浄化し、取水している上水道の水よりも自然に近い、きれいな水にして、大地に返している
 ジャガイモ、タマネギ、ニンジンなど野菜類は、土を残したままの状態から処理、食感損なわぬようカットしている 1次処理・2次処理とHACCPにもとづく管理を徹底している 工場内は一般/準衛生/衛生ゾーンに区分けされ、原材料・加工品チェック
している また、減農薬野菜の使用を心がけている 
 さらに、この工場では、コミュニケーションも重視している 世の中はIT化の時代であり、静岡からリアルタイムに情報受発信が可能になっている また、教育の場としても工場は有効だ ジャガイモが土の中に実ることさえ知らない子供たちが増えているが、ロック・フィールドは静岡県小中学生の学習の場として、工場見学を積極的に受け入れている 36台のカメラで荷受~生産~デリバリーまでを映し出し、100インチの画像で見ていただく また、通路からもの見学も可能である 
 
(2)「ロック・フィールド」ブランドと、新しい価値に基づく食の時代 
 <「トヨタはライバル」>
 ブランドとしては、3年前から、異業種だがトヨタとソニーをベンチマークすることに決めた トヨタの人はびっくりしたが、これには十分な理由がある
 車の歴史を振り返ると、1908年にT型フォードが開発され、1910年にはベルトコンベヤの生産形態ができて1台850ドル、2万台を販売、1916年には360ドルで60万台も生産されていた しかし、結局フォードはモデルチェンジもせず、消費者の差異化に対応
できなかった 1927年にはT型フォードの生産は中止になり、かわって、スタイルの差別化をすすめていたGMが浮上してきて、次のビッグ3の時代には、スタイル・モデル・デザインが車の価値の中心におかれるようになった 
 しかし、トヨタは車の価値を安全と環境に求めるという価値の転換を行った 馬車の時代は馬糞をまき散らしていたが、車は、排ガスをまきちらして環境にダメージを与えきた トヨタは自動車を作り続けてきたが、こうした車の歴史を反省して、奥田社長時代、エコカーの開発に取り組み始めた つまり、過去の自動車ビジネスのパラダイムから脱して、変革を重ねて1兆円の経常利益を出すような企業になっていったのである 
 同様にソニーも、1946年に創業したが、その後、世界への情報発信を視野に入れて、日本人にはわかりやすい「東京通信工業」ではなく「SONY」として、企業努力を重ねブランドを築いてきた逆の例をあげる キリンビールはかつて62%のシェアを誇っていた しかし、ビールは鮮度と多様性が重視される製品なのに、ラガーで利益をあげているからといって、シェアの高さ=顧客の支持と誤解していた 飲む人も流通の形式も変わっていたのに、シェアの数字の底に隠れていた価値観を読み切れず、アサヒの躍進に苦杯を飲むことになった
 こうした例から考えると、マジョリティのビジネスが繁栄しているときに、それをどう否定していくか、それがマーケィングのポイントになるのではないか
 <マイノリティにこそ未来がある> 
 マクドナルドは、1971年に日本に上陸した 当時は絶対的なブランド力をもっていた 三越の銀座店の1階が1号店だった 以来30年、今は数千店のマクドナルドが日本全国にある 一方、イタリアは1986年にマクドナルドの進出に大反対した フランスも同
様であった 結局、外装やサインなどきびしい規制の中でオープンしたが、イタリアにはいまでもマクドナルドは200店くらいしかない このように、日本とイタリアでは食文化に大きな違いがある イタリアには「スローフード」運動がある 伝統文化を守り、小さな生産者を守り、アメリカ化・工業化から食を守る運動である 私もすぐにメンバーになった 
 イタリアメディチ家がフランスと姻戚関係をもったとき、イタリア食文化のフランス伝播が起こり、両者が融合しながらお互いの食文化を発展させてきた 食文化は基本的には融合である とはいえ、日本は敗戦後、先進国からたかだか30年でいっさいの食文化をインプットしてきた これからはどう日本の食文化を見極め、融合させながらアウトプットすることが重要になる時代だ 日本人はこれを絶対にやりきれるだろう 
 ロック・フィールドとしては、サラダを通じて「新日本食」をアウトプットしたい 日本は伝統的に、野菜・穀物・海産物が豊富なのでそれを生かしたい 実は、肉は狂牛病以前から、あまりに問題が多いので避けたいと思ってきた 揚げ物でも、シーフードをテーマにしてきたのはそのためだ
 マジョリティの世界に未来はない 未来があるのは、マイノリティの世界、そして工業化の逆を行く世界だ 
 伊藤園はまだ工業化されていなかった日本茶をパック化・缶化することで、新たな需要を引き出した しかし、そこまで工業化したあとは、今度はそれをこわして新しい世界をつくりだすべきである ロック・フィールドのVeggiesという野菜ジュースのビジネスも、そうした発想にもとづいている
 「神戸コロッケ」も冷凍クリームコロッケ全盛の時代に、その逆をいく揚げたて・ポテトコロッケで成功した RF1の牡蠣フライも同じだ かつては、2-3月に獲れた歩留まりがよくておいしい牡蠣を、急速冷凍して使っていた キロ850円だったが、8年くらい前からこれをやめ、宮城産地からむきたての牡蠣に切り替えた 値段は10月はキロ2500円、11月1900円、冬場は1500円が相場である これを580円で売ろうというのであるから「無謀だ」と周囲から大反対を受けた しかし、いま日本の食は二極化の時代である 580円でも受け入れられるのであり、いまでも牡蠣フライの売上は2桁の伸び率である   
 <品質で勝負し、新しい日本の食を作る>
 2001年7月、マクドナルドが日本で店頭公開した 吉野屋は牛丼を400円から280円に値下げした 日本の食市場は価格競争時代に入っている 日本の食の価格訴求は行きすぎている これでいいのか 同じ7月、ロック・フィールドは株主総会を開いた
そこで、新しい豊かな日本の食生活を築きたい、ロック・フィールドは品質で勝負すると宣言して、株主から強く支持された 
すでに6月に、日本の牛にはフランス・イギリスに次いで危険な「グレード3」にランクされていた しかし、農林水産省が発表を抑えていた そして結局9月に千葉で、そして今日も北海道で、感染した牛が見つかる騒ぎになった 狂牛病は20世紀の価値観での生産体系の中で、必然的な帰結である 
 雪印乳業のスキャンダルも、起こるべくして起こったものである 乳製品では50%を超えるシェアを誇り、ブランド力があると思われていたが、実際には価格競争の中で苦しんでいた 3年前から、消費者からのクレームの件数は3倍に膨らんでいたにもかかわらず、小売消費者のバイイング・パワーがあまりにも強いために、価格競争の結果、ブランド管理をすすめるリーダーシップがとれなかった、というのが幹部の言い分である
 しかし、そもそもミルクとは何か 少なくとも子供の発育の過程でカルシウムなどを供給する、栄養の固まりだ そんな大事な食品で、不祥事が起きた もしも21世紀の食の価値観は価格ではなく安全性だと考えていたら、事態は違っていたはずだ SNOWブランド凋落は、結局は「ミルクとはいったい何だろうか」、という基本的な問いかけが欠けていたためではないか 
 ロック・フィールドは日本の食とは何か、新しい時代に見合う、品質の高い新しい食を考えて、お総菜の集大成をしたい
不況の中でも、価格訴求せず、工業化の行き過ぎに対抗する新たなスタイルを打ち出すことで成功しているブランドもある スターバックス・ジャパンがその例である
 価格訴求はしないが、高品質=高いとは限らない 総菜の場合、自分で材料を買い集めて料理する場合と比べて、総菜がコスト的にも、また、便利さなど他の価値からみても、「高い」というわけではない コストパフォーマンスの問題だ
とはいえ、時代は変わる マジョリティの所得は下がるが、自由時間は増える ロック・フィールドも今のままではだめだ バリューが必要だ 品質・おいしさ・価格のバランスを考え、顧客にとってのバリューを高める必要がある ロック・フィールドにとっては試練だが、チャレンジの可能性が大きい時代だ 
 ロック・フィールドは2年前の経常利益率が8%、今は6%である しかし、これは10%にまで高められるはずである これは過去の食品産業の歴史から考えればすごい目標だが、顧客のバリューを追求することで、可能なはずである
 <食の安全性>
 2001年12月から、「ナチュラル・ビーフ」を発売する アメリカでは市場の2%が100%有機飼育のビーフである あとの98%の牛は、ミルクの収量を増したり、肉を促成生産するために手が入っている
 卵についても配慮する 「卵は物価の優等生」といわれるが、今の鶏の飼育に非常な無理があるからこそ成り立っている価格だ こうした飼育は絶対にまちがっている 感染症の発生確率から考えれば、牛よりよほど危険である
 魚はどうか 魚も養殖物は抗生物質の固まりと化している 魚も鶏も牛も、狭い場所で飼われており、いったん病気を出すと商品にはならなくなるから、病気があってもなくてもつねに抗生物質漬けである
 日本では、牛はともかくとしても、魚や野菜が安全でなくなるとしたら、寿司も食べられなくなってしまう 大変な時代だ 
かつて、流通の世界で「顧客満足」=鮮度管理と考えられた時代もあった しかし、いま、CVSのベンダー経営者、養殖業者や農家はみんな、自分の商品を、自らは食べないのである そうした商品がマジョリティとなっている時代に参画してはならない
 環境・安全はロック・フィールドのスタンダードだ しかし、オーガニック商品に関して、日本には概念はあるが、アメリカのような認証ルールは確立していない また、世界的にも、食品の安全性に関するスタンダードは存在しない 逆に言えば、自分が信じたスタンダードしか存在しない 日本では産地表示も、品物の経由地に過ぎない場所を「○○産」と称して流通可能であり、いい加減だ これは正されるべきである
 <新しい価値観 新しいビジネス>
 20世紀の価値観・パラダイムに対し、21世紀には別の価値観、食の世界の新しい時代の価値観があるはずだ おいしさの価値観は時代と共に変わる ロック・フィールドは、前処理から完成品まで、工場で一貫して製造している これはなかなか理解されていないが、実はたいへんなことである 男爵イモの芽を取り、皮をむき、土壌の菌にあふれたゴボウを工場に持ち込むということは、衛生上は避けるべきであるし、コストも高い 例えば、タマネギは、剥いた状態の「ムキタマ」は淡路産キロ120円、北海道産85円に対し、中国産なら真空パック代や輸送費すべて含めてもキロ35円である こんなにコスト的には差があるが、甘さや香り、味といった質は絶対に違う この違いは、新しい時代の価値観、これからの日本の食に反映されるはずだ
 とはいえ、われわれの世代は脱脂粉乳で「餌付け」された世代だ また、最近の若い人々は朝夕マクドナルド通いである アメリカはオンリーワンの時代が続いたが、これからはそうはいかない 戦後の日本は得るものも多かったが失われたものも多い
 食の倫理は乱れてしまっている すぐには正常にはもどらない、これも事実だ
 
(3)今後の経営課題
 <顧客とのコミュニケーションとブランド再構成>
 我々はコーポレートブランド=ロック・フィールドである 百貨店で特定マーケット相手のビジネスが中心であったので、ブランディングの必要性について、最初はそれほど深く考えていなかった しかし、総菜=生活必需品であり、長期的に考えると、顧客に対して、ロック・フィールドの考え方をコミュニケーションすることは重要である
 いまはITを活用して、顧客と直接コミュニケーションできる時代だ 「ジャガイモの生産者を知りたい」、「このサラダのレシピを教えて」、「翌月のメニューは」といった問い合わせに応じられるし、静岡工場の様子をパソコンで見ることもできる 
ベトナムやNYに小さい拠点を設け、シェフをおいて情報を受発信することも可能だろう
 ここで考えておかなければならないのは、顧客とのブランド・コミュニケーションの窓口をどこにするかという問題である ロック・フィールドは、一般的な「RF1」「神戸コロッケ」から、「サラダバッグ」、さらに「三日坊主」のようなユニークなものまで、いくつものブランドを持っている しかし、コミュニケーションの窓口としては、「RF1」にうまく集約させたい そこで、最近「RF1+プラス」という新ブランドを作ってみたが、どうもうまくいかない ブランドは近々わかりやすく再編したい
 再編のために、いったん拡張してみるという可能性もある
 <流通>
 流通産業はこれから大きく変わる まず、連結決算重視の時代に入り、子会社の健全化が急務になるから、電鉄系にせよ百貨店系にせよ、デパートもスーパーも小売業は淘汰の時代に入るだろう 一方、CVSは現在のような物販業の域を脱するだろう 
 ロック・フィールドは、CVSのサービス代行業としての可能性に注目している 全国に4-5万店のCVSがあり、これが新規の顧客からの商品の受発注拠点として活用できれば、たいへん価値がある アマゾンドットコムのように、返品の処理など物流
拠点づくりに苦しまなくてすむからである 1品あたりいくらで委託できるかなど、具体的に検討する価値がある
 <経営者>
 今の大手食品会社の中には、過去の環境の中でできあがった商品の形態から脱皮できずに、不自然な商品を流通させつづけているところもある たとえばマヨネーズだ 本来のマヨネーズは、卵と酢と油をあわせたもので、乳化して分離しやすく腐りやすいものだ しかし、今のマヨネーズは常温で1年も成分が分離せず、腐らないようにしている 昔の冷蔵庫のない家庭・物流体系の中でできあがった商品である これはいまの日本人が求めるマヨネーズとは違う 今の環境なら、数日で使い切れるマヨネーズでよいはずだ それでも、いまあるマヨネーズを否定すると、いまあるすべてのビジネスがだめになってしまうので、キユーピーや味の素のような大企業は、変革ができずにいる
 しかし、ロック・フィールドの経営は、もっと小回りのきく状態だ 今後10-20年はレール固めをしていきたい その後、変革が必要ならすればよい 大変革しないでも、次の経営が可能なようにしておきたい