【書評】リンダ・グラットン/アンドリュー・スコット(2017)『ライフシフト』東洋経済新報社(★★★★)

 2017年の流行語大賞になった著書。著者たちは、ロンドン大学(ビジネススクールと経済学部)の教授で、専門は人材論。いまごろになって、刊行から一年ほど遅れて本書を読むことになったきっかけは、わたし自身がいまちょうどライフシフトの準備をしているから。そのことは最後に説明する。

 

 本書のサブタイトルは、「100年時代の人生戦略」。人間の寿命がいまより20年~30年延びて、ミレニアム世代の寿命は100年を超えていく。そのときに考えなければならないのは、従来からある「教育~仕事~引退」の3つのステージを前提とした生き方はもはや意味を持たなくなるということ。

 それどころか、わたしたちは、長い人生に備えて、これまでの生き方そのものを変えていかなければならない。仕事の選び方、家庭の作り方、地域や仲間とのつきあいかたなどに、大きな変化を経験するからだ。100年の寿命をもてば、それは当然のことだろうと思う。

 人生が60年から70年だったときとは、生涯にわたっての時間と資金の資源配分が変わる。本書では、生まれた年が異なる3人の人生をシミュレーションしている。1945年生まれのジャック(男子)、1971年生まれのジミー(男子)、1998年生まれのジェーン(女子)。わたしは、少し年上のジャックの人生を生きていくことになるのだろうか。多分それとは違うような気がする。

 

 人間の寿命が100歳を超えることで変わることが、序章で描かれている。以下では、簡単に内容(項目)を解説する。100年ライフで何が変わるか? 著者たちの予測に、わたしなりに短いコメントを付することにする。

 

(1)70代、80代まで働く

 それはそうだろう。第一に、65歳で定年なら、90歳前に蓄えが尽きてしまう。国も自治体も、そのような老人たちを資金的に支え切れない。また、元気な老人たちがブラブラ遊んで時間を使うのはもったいない。わたしたちは当然、いまより長く働くことになる。

(2)新しい職種とスキルが登場する

 いまある職業の70%は、50年後にはなくなるといわれている。とりわけ、産業革命が生んだ大量生産・大衆消費社会で中心的な役割を果たしていた「専門性が中位の職種」が消えていく。農業者、工場労働(フルーカラー)、営業販売職種(ホワイトカラー)など。一方で必要とされる専門職(マネジメント層、プロフェッショナル)などは生き残る。ただし、そのためには、職業の棚卸が必要になる。著者たちが「変身資産」(後述)と呼ぶ、知識や職業を転換できるもとになる資産。それは、人生経験や人的ネットワークだったりする。

(3)お金の問題がすべてではない

 人生が長くなると、お金はもちろん必要だが、それと同等なくらいに、非金銭的な要素が重要になる。著者たちの言葉を借りれば、「人生は経済学(金銭的資産に依拠)と心理学(非金銭的資産に依拠)」だそうだ。だとすると、心理学的な幸福の達成に関わる要素も大切ということになる。蓄えるべきは、金融資産以上に、家族関係、友人関係、心身の健康である。

(4)人生はマルチステージ化する

 人生70年時代の職業選択を考えとわかりやすい。今年で大学教員生活43年目のわたしは、4年後に引退する。その先の人生は準備されていない。しかし、これからのひとたちは、二番目、三番目の職業を一緒に通して考えることになるだろう。事実、わたしの周り(主に元院生の弟子たち!)には、ビジネスマンから大学教員に転身したひとたちがたくさんいる。それでも、70歳が定年だ。教員のキャリア制度を変えてもらいたい!(笑)

(5)レクリエーションからリ・クリエーションに

 レクリエーションとは、仕事から引退したあとで、ゴルフ三昧、読書三昧、旅行三昧、ぶらぶら遊んでいることを指す。リ・クリエーション(再創造)とは、そうではなくて、職業人としてスキルを再生することだ。65歳が定年でなければ、新しい社会貢献の職業を探さなければならなくなる。誰しも若いころには、人生をどのように生きるかを模索していた(探索:エクスプローラ)の時期があっただろう。長い人生が到来したことで、探索の時期の二度目が訪れることになる。

 

 これ以外に、100年人生の先には、次のことが予想されている。

 ・変化が当たり前になる

 ・若々しく生きる(健康寿命が延びる)

 ・「一斉行進」が終わる(各自が自由な道を選ぶ時代)

 ・家庭と仕事の関係が変わる

 など。

 

 本書の前半部分では、長寿時代に考えるべき3つのことが検討されている。

1 寿命が長くなることで起こること(第1章「長い生涯」)、

2 標準的な3つのステージ(教育、仕事、引退)のモデル崩壊(第2章「過去の資金計画」)、

3 わたしたち(の孫たち)が選択する職業の未来(第3章「雇用の未来」)である。

 著者らの未来予想図は、ほぼ想定の範囲である。

 後半部分では、新しい概念を提供している。それは、「見えない資産」(第4章)というコンセプトである。従来からある「生産性資産」(スキルと知識)と「活力資産」(健康や友人関係)に加えて、「変身資産」(ネットワークや、個人の経験の蓄積)という考え方を提起している。当然のことだが、長寿社会では、最後の変身資産の役割が大きくなりそうだ。

  

 本書の中で、著者たちの主張にとても共感できた部分がある。それは、第9章の「未来の人間関係」の記述内容である。そこでは、100年ライフの時代に私生活がどのように変わる(べき)かを検討している。家庭の在り方、仕事と家庭の関係について述べた後で、「多世代が一緒に暮らす時代」が到来すると予見している。まったく同感である。

 わたしがその典型例だが、戦後の日本人は、近代化の波に乗って核家族化を推し進めてきた。この傾向は、世界中の先進国でも同じように進行してきたようだ、しかし、本書の推奨によれば、長寿社会では、多世代(3世代が4世代)が一緒に暮らすほうが効率がよく、皆が幸せになれる。

 その根拠は、かなり納得がいくのものだった。夫婦が仕事(夫)と家事・育児(妻)を分担することは、「生産の補完性」と呼ばれる。それに対して、複数(の家族)が一緒に居住することで達成できる「消費の補完性」という概念を打ち出している。単身世帯は、消費の面でも実は効率が悪い。

 夫婦や子供、さらにはその両親が一緒に住めば、帰属家賃は半分(三分の一)になる。一緒に食べることになれば、心理的なメリット(食事が楽しい)が生まれる。それ以外にも、料理の生産・消費効率が絶対的に上がる。些末なことにみえるが、食材の利用効率(規模の経済)もあがり、バラエティに富んだ料理のレバートリーを楽しむことができる。外食が減るだろうし、温かいものを食することで健康にもプラスに作用する。

 100年長寿の時代には、地域(都市も地方も)がコンパクトに再編成される。老人たちは地域に積極的にコミットして、多くの人と食事や社会活動を楽しむことに、日本もその他の国も回帰するだろう。著者たちの推奨と予想は、たぶん当たることになる。ここにその典型例がいるからだ。それは、わたしたち家族だ。

 

 わたしたち夫婦はいま、長年(32年間)住みなれた千葉県白井市から、東京都葛飾区に移り住もうとしている。10年ほど前に、次男(三人目の子供)が独立して家を出た。その時点で、白井の自宅は、「空の巣(empty nest)」になった。52坪の一軒家は効率が悪い。だだっ広いし、都心までの通勤時間が長い。老人のわたしたちには、通勤が体力的にもきつくなった。

 そこで思い立ったのが、コンパクトに三世代が同居するアイデアだった。本書の概念でいえば、生産の補完性と消費の補完性を最大限に高めるために、核家族の状態を捨てて同居を選択したのである。家族の復興(ルネッサンス)である。

 わたしたちが考えた「生産の補完性」とは、子育て(二人の孫)と介護(いまは元気だが)の共同生産である。二つの家族を併合すれば、複数の手が利用可能になるから、生産(子育て)の効率はあがる。獲得した補完性をうまく利用して、外部資源の獲得(女性の社会進出:共稼ぎ)に利用するのだ。

 もちろん、まちがいなく「消費の補完性」は生まれるだろう。さらに、コミュニケーション上のメリットも生まれるにちがいない。ありていに言えば、ボケ防止のことだ。著者たちが言うように、多世代家族の同居は、多少の調整コストがかかることを除けば、21世紀の半ばに向けて新しいトレンドになりそうだ。

 一緒に住まうのは、別に実の家族である必要はないように思う。単なる親密な知り合いでも、同じ地域に住まう人でも、同性でもかまわないのではないだろうか。親密な関係にあるひとたちが、コンパクトな地域で同居する。みんなで住まい、みんなで語らい、みんな食べる。そのことが皆の幸せ度を高める。そのための実験的なケースとして、6年前の約束通りに、下町(柴又)に住まいを移転することにしたのである。