【書評】 稲盛和夫(2004)『生き方: 人間として一番大切なこと 』サンマーク出版

 「俺の株式会社」(ブックオフ創業者)、坂本孝さんの自伝を執筆している。はじめてのノンフィクション小説である。坂本さんに関する資料を集めていて読んだのが、本書『生き方』である。初刷りから10年で、稲盛さんの代表作は100万部を突破している。



 坂本社長が先月、出版関係者を集めた祝賀会で、盛和塾を代表して稲盛さんに「100万部突破のお祝いのことば」を述べたらしい。中古本のビジネスで、坂本さんは新刊本の出版社からさんざんな「いじめ」にあった。その日のために準備していた下書き原稿を、取材の時に事前に見せていただいた。
 ところが、当日は別の話をしたという。坂本社長秘書の岩崎さんから伺った話である。だからではないが、おこがましくて、本書には「★」を打つことができない。評価は「無印」とする。

 稲盛さんがJALの再生を引き受けたのは、5年前の2009年である。わずか3年で再生を終えて、JALを再上場まで持っていった。当時のわたしは、引退した経営者が再登場したことをやや冷めた目て見ていた。晩節を汚すことになりはしないのか? 勝算はあるのだろうか? やや無謀ともいえる挑戦の行方を眺めていたものだった。ブックオフの会長を辞任していた坂本さんを筆頭に、「盛和塾」に所属している稲盛信者が回りにたくさんいたからでもあった。
 2012年に、稲盛会長はJALの再生を見事に成し遂げる。そして、植木義晴社長にその後の経営を託して、実に潔くJALを離れる。それは、本書に書かれているように、理念通りに日本航空の経営を導いたからだろう。

 100万人の読者が読み終わっているので、内容を解説するまでもないだろう。読みやすい本なので、簡単に読了してしまう。経営者だけでなく、一般の人にも示唆するところが多い本である。
 稲盛哲学のエッセンスは、とてもシンプルである。一生懸命に、清く正しく美しく、生きなさい!と述べている。それだけのことである。ただし、実践は簡単ではない。だから、実行のための指針(考え方=原理原則)が必要だというわけである。人生・仕事の成果を決める方程式(人生の方程式)が「プロローグ」で示されている。

 「人生・仕事の結果」 = 「考え方」 × 「熱意」 × 「努力」 

 重要なポイントは、「考え方」がまちがっていると、どんなに努力しても熱意があっても、結果は残せないということである。そのあとは、「心の持ち方ひとつで人生が変わますよ」という。自分の創業経験(京セラ、KDDI)を踏まえて、生き方のコツをたくさんの読者に説いている。

 正直に言ってしまうと、本書は精読する必要がなかった。読み終えてみて、そのことに気がついたの。文字の列を眺めているだけで、ほぼ完ぺきに稲盛さんが言わんとするところが理解できたと思う。
 稲盛さんが本の中で話していることは、たった一点(魂の部分)を除いて、わたし自身がふだんから考えていて、毎日の生活で実行していることだった。読む前から予想はしていたが、わたしはすでに”稲盛精神世界”に住んでいたのである。
 「人生も経営も原理原則はシンプル」「求めたものだけが手に入る」「ただいま、このときを必死懸命に生きる」「毎日の創意工夫が大きな飛躍を生み出す」「現場で汗をかかないと何事も身につかない」「他を利するところにビジネスの原点がある」

 とくに稲盛さんが人生を3つの期間に分けていることと、わたしが学生たちに話してきた「人生3分割論」は、偶然にも同じであった。もちろん、わたしは稲盛さんほど高い成果をあげているわけではない。そして、わたしの場合は、75年で人生を終えることになっているので、25年ずつに「均等割り」しているだけではある。ただし、それぞれの時期に目標とするところは、内容が類似している。
 稲盛さんの分割のほうは、もっと内容が洗練されている。第一期を「人間として独り立ちして人生を歩き始めるまで」(20年)、第二期を「自己研鑽をして世のために働く期間」(40年)、第三期を「死を迎える準備をする時期」(20年)と分けている。
 わたしは、稲盛さんのようには出家しないだろう。だからではないが、第一期が25年間(大学院まで行ったので、一人前になるのに必要な鍛錬の期間が長い!)で「人生の準備期間」、第二期は「仕事で成果を上げる時期」(~50歳)と設定していた。仏門に入らないので、第三期(~75歳)は、仕事で蓄積してきた能力を活かして「社会貢献する時期」と考えている。いまその真っ只中にいる。

 稲盛さんと同様に、わたしも高校生の頃(2年~3年)に「リンパ腺結核」を患ったことがある。同世代で結核は珍しい病気になっていた。だから、死ぬとは思わなかった。それでも、一年間くらいは体がだるくて、いつも微熱があった。病院でストレプトマイシンの注射を打ちながら、内服薬(パス)を投与されていた。
 気が付かなかったが、両親は暗い気持ちでいたのだろう。学生時代のわたしは、体重48KGで青白い顔をしていた。それでも、希望を失わずにいられた。他にすることがなかったので、本を読むことや勉強は好きだった。だから、いままで読書や試験を苦痛に感じたことはない。
 その点からいえば、稲盛さんの指針(原理原則の一部)を、わたしは最初から理解していたことになる。「好きであればこそ、燃える人間になれる」。ただし、わたしの問題は、大いなる慢心だった。やれば何でもできてしまう。だから、他人の能力や気持ちが理解できなかった。
 そのために、大きな失敗を何度も繰り返してきた。失敗が続いてもなかなか懲りなかった。だが、そのおかげで、「災難にあったら「業」が消えたと喜びなさい」という警句がよくわかる。失敗はしてみるものだ。人生の怖さが心底からわかったのが、50歳を過ぎてからだった。多少遅い「得度」だったが、人生では遅すぎることはない。

 本書を読んでつくづく感じるのだが、わたしは自分の力で「生きている」ではなく、何かの力で「生かされている」と思っている。年齢とともに、そう思えるようになってきた。その確信は深まるばかりである。こうした心のあり方の変化は、いつか仏門に入る兆しなのだろうか?