「日本のタネ、在来種を守る」『大阪農業時報』2017年7月号

 このごろ原稿依頼の多い分野が、農業(フードビジネス)や物流に関するコメントである。5月9日の午前中に、『大阪農業時報』から依頼を受けた。即座に書き上げて寄稿したエッセイが「在来種を守る」である。準備をしていたわけではない。二時間後に原稿をもらった編集者はびっくりしていた。

 

「日本のタネ、在来種を守る」『大阪農業時報』2017年?月号 (V1:20170509)
 文・法政大学経営大学院(教授) 小川孔輔

 

 岐阜大学の山根京子先生は、日本でただ一人の「ワサビ」の育種家です。わたしが会長を務める日本フローラルマーケティング協会のセミナーで、「世界から愛される和食に不可欠なワサビの危機」というテーマで、ワサビの起源や進化など研究の最前線を解説していただきました。二年ほど前のことです。興味深かったのは、世界的な和食ブームの中で、ワサビがグローバルに重要な遺伝資源として位置づけられていることでした。グローバルにもワサビの需要は伸びており、北欧などでは現地でワサビの栽培が始まっています。
 山根先生をセミナーにお招きしたのには、個人的な理由がありました。それは、江戸野菜をはじめとして各地に残された在来種に注目しているからです。わたしは、日本の農と食の未来は、在来種の発掘と保存にかかっていると考えています。ワサビもその一つです。いま残されている日本の野菜は、もともと海外から渡ってきたものです。多くのタネは、中国大陸から仏教思想や漢字、農耕具と一緒にもたらされたものです。そうした野菜は、渡来から数百年の時を経て日本各地の気候や土壌になじんで、地域の人々の食生活を支えてきました。世界遺産に指定された和食の基礎は、日本の伝統野菜が育んできたものです。
 ところが、第二次世界大戦後に、日本人の食生活の中に洋風の食事が浸透しはじめました。急速に普及を始めたファストフードやレストランチェーンでは、動物性タンパク質や油脂分を主体にしたメニューが中心です。在来種は食材として適していません。レタスやタマネギなど、大量生産や長距離輸送に向いているF1の野菜が採用されました。技術的な側面からは、規格化(サイズや形を揃えること)が難しかったことも決定的でした。いつしか日本の食卓から在来種が消えて行きました。作りやすさと加工販売の都合が優先されたわけです。
 いま、この価値観に転機が訪れています。野菜を例にあげると、価格も重要ですが、それ以上に「美味しさ」と「鮮度」と「旬」が求められています。3つの条件に適う野菜は、この30年間でわたしたちが食べてきた品種ではありません。不揃いだが香りが良くて、表皮に傷がつきやすいナスだったり大根だったりします。実はそちらのほうが、美味しくて新鮮で健康にもよいのです。

 一方で、欠点も多い在来種を復活させるには課題もあります。野菜直売所のような場所で、在来種の野菜を販売するシステムを作ることです。長い距離を運ばなくよい物流の仕組みを整備することも必要です。日本の未来の食を支えるには、従来とは別のビジネスを創造する努力が求められているのです。