先日(5月6日)、安土敏氏の『スーパーマーケットほど素敵な商売はない』を書評で紹介した。その一ヶ月前には、渥美俊一先生の『チェーンストアの商品開発』を読み終えていた。どちらもほぼ同じ時期に、同じ出版社(ダイヤモンド社)から刊行された単行本である。
わたしにしてはめずらしく、どちらも3回読み直した。短期間で同じ本を繰り返し読むことは、めったにないことである。反復して読書したのには理由がある。それは、読み進んでいるうちは、どちらも正しい主張に貫かれていると感じるのだが、安土氏と渥美先生の見解は、最終的な着地点としてはかなり異なるところに落ちついてしまうからである。
どちらの主張も正しいと感じているので、本を読み込んでいくほどに、わたし自身が感覚的なコンフリクトを感じてしまう。その心理的な葛藤(矛盾対立点)を解消するために、両方の本を机に広げて再度、読み直したわけである。
前置きが長くなってしまった。渥美先生の本は、全編がPB商品の開発に関して書かれている。他方で、安土氏の本でPB商品に直接的に触れられているのは、第4章「プレイベートブランドとナショナルブランドの共存共栄が強い店を作る」だけである。そこで、この章の見出し(各節のタイトル)を軸に、両者のプライベート論議を比較検討してみることにしたい。
安土氏の主張の根本には、「店舗=製品論」ある。わかりやすく言えば、メーカーの「製品(ブランド)」に対応しているのが、小売業の経営では「店舗(ブランド)」だというアナロジーである。しばしば、マーケティングの入門書では「顧客第一主義」という考え方が導入部分で出てくるが、小売業の経営では、「店舗起点主義」の発想で考えるべきというのが、安土流のスーパーマーケットの経営哲学である。
1 商品分野と粗利益率
第4章の第1節は、「大手に負けない企業全体の粗利益率を目指す」となっている。大手とはGMS(総合スーパー)のことである。社名で言えば、イオンやダイエー、イトーヨーカドー、西友が想定されているのだろう。ただし、安土氏自身は、具体的な社名には一切触れていない。
大手の小売業が粗利益率を高める道はふたつである。最初の道程は、本部商品部が、商品調達でダイナミックなソーシングを展開することである。この場合は、特定の商品カテゴリーで、大胆な価格破壊が試みられる。もう一つは、それとはまったく対照的な方法である。店舗オペレーションで顧客からの高い支持が得られるよう、地道に品質向上の努力を積み重ねていくことである。こちらのほうは、短期的な成果が得られにくい。目先の成果がすぐには出ないので、一見して効率が悪そうに見えるが、気がついたときには、先行して我慢を重ねてきた小売業にもはや追いつくことができないほど、成果に大きな差が開いている。
渥美先生が推奨する道筋(軌道)が前者である。近著の『チェーンストアの商品開発』では、ダイナミックな商品調達の方法が具体的に示されている。それとは対照的に、サミットストアでの経験をベースに、食品スーパーでは店舗を起点にした継続的な業務革新に活路を見出すべきだとの主張が安土氏の指摘である。
大手小売業が置かれている一般的な経営環境を前提にすると、渥美理論が正論であるように思える。国際的な競争と商品調達のグローバルな展開、あるいは、上位集中度が高まる大手小売業を前提に考えれば、マス化が可能な商品分野で圧倒的な販売力のあるPBの開発を目指すべきであろう。衣料品分野のSPA企業や住居関連の小売業では、グローバルな調達なしには、圧倒的な安さと商品の安定的な供給が保障できない。
食品スーパーだけが、その意味で言えば、小売業の中では特殊な業態なのかもしれない。全商品中で、生鮮品の占める割合は50%を越えている。だから、独自PBの開発によって得られる粗利益の改善幅は、せいぜい2%程度である。ところが、衣料品や住居関連の小売業分野では、ソーシングを変えることで、粗利益率の水準をドラスチックに変えることができる。プラス10~20%、場合によっては、一挙に30%も粗利益率が改善できる。
結局、独自PBで粗利益率を目だって改善できる商品分野は、生鮮品ではごく限られるということなのだろう。食品スーパーのグローサリー商品でも、名だたるメーカーが時間と資金を投入している製品分野で、高回転販売が期待できて、なおかつ高粗利率の商品を独自に開発するのは至難の業である。米国や欧州の食品小売業でも、圧倒的な力を持つPBは、かならずしも大手メーカーが強い分野ではない。いわんや、生鮮品ともなれば、店舗そのものの品揃えは最初からPBなのだから、店舗レベルでの鮮度管理や品揃えに力を注ぐべきという結論になるだろう。
2 小売業にとって継続的な商品改善が可能か?
第二節は、「小売業が製造業を支配するのは、消費者にとって不幸」である。大胆なタイトルである。安土氏がこのように断言できる根拠は、ご自身のチェーン小売業経営の実体験から来ている。前述した「小売店舗=メーカー製品」が論拠となっている。メーカーが満を持して発売する製品は、おおむね導入当初の1、2年は大赤字になる。大型製品であればあるほど開発コストがかさむし、販売方法やその後のコミュニケーション計画において、逐次的な改善がなければ、長期的な成功はおぼつかない。その分、マーケティング費用も人件費も馬鹿にならない。
店舗開発も同じである。開店当初は、店舗知名度がゼロからスタートする。しだいに店の認知度が上がり、顧客の来店頻度が増えて、ロイヤルな顧客をすこしずつ獲得していく。食品分野では、ドラスチックな粗利率の改善は期待できない。すべての徐々に進行していく。したがって、商品開発に血道を上げるよりも、店舗のオペレーション水準をあげて、顧客の支持(来店頻度と客単価)を獲得するほうが重要である。その基礎となるのが、「魚影が濃い」好立地を死守することが絶対条件である。
メーカーの製品と同様に、店舗にもライフサイクルがある。ライフサイクルの下降期に入る前に、改装によって抜本的に店舗の質を改善していく。チェーン本部でPB商品開発に血道を上げるよりは、店舗のために経営支援をするほうが、業績に対しては圧倒的に効果が大きいというのが、安土氏の理屈である。
食品スーパーに限定するならば、メーカーの開発力が強いグローサリー分野で継続的に商品の質を改善していくのは、きわめて効率が悪い。だからではないだろうが、安土氏が元社長を勤めていたサミットストアでは、近年、自社PB商品の大幅な見直しを進めている。せいぜい20%が、スーパーのPB比率で限界点である。
3 PB開発の担い手は海外メーカーとローカルブランド
第三節は、「大手メーカーは、ナショナルブランドを傷つけるPBは作らない」である。まっとうなPB商品を、NBメーカーが作るはずがない。それは、いまさらながら言うまでもないことである。粗利幅や価格差が50%もあるようなPB商品を、ナショナルブランドのメーカーが作っても利益は出せない。昨年、サントリーがカインズに向けて作ったPBビールやダブルチョップの輸入ワインは、調達ルートが限定されていた商品である。イオンやIY向けのサントリーのビールは、プレミアムPBではなく、安価な裾野商品である。その後は、マスメディアにはほとんど登場しなくなった。
渥美先生の主張でも、大手チェーン店のPB開発では、海外ソーシングが前提になっている。せいぜいLB(ローカルブランド)を作る中規模のメーカーが対象である。固定費負担とプロモーションにほとんど投資しないのだから、PB開発で50%のコストダウンができるわけである。
サミットやマルエツのような都市型の食品スーパーの場合を考えると、消費者はおそらく、加工食品全体からNBの半分が消えてしまえば、選択肢としては隣のスーパーに逃げていくだろう。したがって、小売業の上位集中度が現在のままである限りは、すなわち、日本のチェーン小売業が上位5~6社に集約されることは当面は起こりそうにないので、NBは世の中から消えてなくなることはないだろう。日用品や加工食品の分野で、渥美先生が目標とするPB導入による大胆な価格破壊(現状の半分以下の価格)は、まず起こりえないと考えたほうが自然である。もちろん、20~30%程度のコスト=価格ダウンは、日常茶飯事に今でも起こっている。そのことを否定しているわけではない。
4 消費者が食品スーパーに求めるPBの形
第4節のタイトルは、「PB開発が必要な場合とは」、第5節は、「キシリレモンが教えてくれたこと」になっている。消費者が食品小売業に求めるPB商品について議論したふたつの節である。
平たく言えば、食品小売業でPB商品が成功する条件とは、消費者ニーズにメーカーがほとんど気づけていない場合とか、当該スーパーがドミナントで展開しているエリアに特有な消費者の要求に答えることができていない場合である。具体的に指摘されているのは、適当な量目とか、パッケージのサイズなどの工夫などである。いずれにしても、些細な不満点の改善である。とくに、大規模なPB商品に結びつくとは思えない。
安土氏が気に入った「キシリレモン」の例などは、とてもではないが、粗利益率を大きく改善させるようなPB商品にはならないだろう。実際に、虫歯にならないうえに、美味しい味のレモンキャンディーは、そのうちに売場から消えてしまったのである。
5 結論
残りの3つの節は、PB商品開発とはやや離れた話題である。商品部の役割やロス率に対する考え方については、ここで議論する対象ではない。いちいち解説をすることは避けることにする。
ここまで詳細に検討を重ねてきたところで、安土氏と渥美先生の見解の相違は、どうやらふたつの点で、議論の前提が異なっていたことによるものであることに気がついた。
ひとつには、対象として思い描いている主たる業態と商品分野や決定的に異なっていることである。食品スーパーマーケット一筋に生きてきた安土氏は、生鮮品を主体にした食品スーパーの経営で、PB商品をどのように位置づけるかを考えている。長期的な利益と会社の使命を同時に達成するために、一般消費者の「日常の食生活を支えること」が食品スーパーの社会的な役割であると信じて疑わない。そのとき、経営の主体は、あくまでも「演技(実施)」を担当する店舗である。店舗運営業務こそが、小売経営の優先課題である。顧客から支持される良い店舗づくりが大事であり、自社PB商品の役割はその分だけ限定的になる。
渥美先生が考えている業態は、より広く一般的である。スケールメリットが出ることが条件のように見えるが、実は、海外調達などでソーシングを根本から変えるでコストメリットを享受しようとするアプローチである。もちろん、きちんとライフテストを行ったり、調達コストについては、人任せにしないで自分で旅費と時間をかけて徹底的に調べ上げることが前提である。それができなければ、そもそもチェーンストアの商品開発などは、絵に描いた餅である。小売売価をFOBの3.5倍に設定するなど、当初の利益目標がその通りに達成できるはずもない。
ふたりの論客の間に横たわっているもうひとつの差異は、経営コンサルタントと実業家という立ち位置の違いである。わたし自身は、ある会社の創業経営者でありながら、他方では、大学教授として客観的に企業経営を観察する立場にもいる。なので、両者の思考方法と実践の仕方のちがいがよくわかる。
経営コンサルタントは、コンサル経験を通して広い知識を蓄積しながら、経営現象を一般化する方向で仕事を進める。そして、抽象化した原理原則を、経営の現場に当てはめようとする。渥美先生が政策セミナーで年次課題として提起しているのは、まさに一般化した原理原則の現場への適用である。
対象とする企業は、日本のチェーン小売業の約4分の一にも及ぶ。だから、個別企業の特殊性を斟酌するよりは、一般化された原則論で現場対応をしたほうが、経営コンサルタントとして一貫性を保って指導ができる。渥美先生の基本的なアプローチは、結局は演繹的なのである。セミナーや経営指導の効率も、そのほうが高まるという事情もあるように感じる。
PB商品の開発についても、同じことが当てはまる。1970年代に始まるグローバルソーシングを背景に、国内メーカーの価格主導権を奪取するのが、小売業の社会的な使命だとする考え方である。消費者から喜ばれる圧倒的な低価格で、受け入れ可能な品質を作りこむことが目標になった。商品開発の要諦は、したがって、徹底的なコスト計算とソーシング先の確保に尽きるのである。
それに対して、中堅食品スーパーマーケットの経営に携わってきた安土氏(荒井伸也社長)は、サミットストアの現場に身を置いてきた。仕事の初めは、住友商事からの出向社員として、その後は、競合に押しつぶされそうな都市型スーパーの社長として、現場で辣腕を振るうことになった。個人的な体験は、渥美先生よりも、時空的により具体的であった。食品スーパーの勃興期の1970年代、商品と店舗作りについては、関西スーパーに学んだ。店舗立地については、都市型立地では競合だったはずのIYに学んだ。社内のさまざまな悪い条件を整理しながら、都市型スーパーとしてのサミットストアの現在の形を築いてきた。
安土氏のアプローチは、基本的に帰納的である。関西スーパーの経営に学んだとはいえ、サミットストアでの現場体験から、食品スーパーのサミットストアを作っていったはずである。だから、PBの商品開発に関しても、「東京ローカルな」サミットストアでの経営経験が下敷きになっている。
したがって、どちらのPB商品開発論も、それはそれで正しいのである。背景にある現実がちがっていたのである。ここまで来て、わたし自身もようやく納得することができた。
<付記>
実は、この論考に取り組む前に、カインズの土屋裕雅社長に電話を入れてみた。「おふたり(渥美先生と安土氏)の見解があまりにもちがっていて、とくにチェーン小売業におけるPB商品開発の位置づけについて、どちらの考えが正しいのか判断に困っている」という正直な問いかけだった。
土屋社長は、わたしにとって手ごわいマラソン仲間である。夜中まで酒を飲み交わす大切な友達でもある。電話を受けたとき、土屋さんは映画を見ていたらしい。携帯にコールバックしてもらい、ふたりの論客の関係についてもコメントを伺った。
わたしの論旨は、そのときに話した内容とそれほどかけ離れてはいないと思う。「いかがでしょうか?」土屋さんに、「できれば、トラの尻尾は踏みたくないので」とわたしが言うと、“ツッチー”は、笑って答えてくれたものである。「でも、渥美先生も、安土さんの話をときどき講演で引用していますよ。店舗と本部の関係とか」
ふたりは、個人的にもそれほど悪い関係にはなさそうだ。そういえば、論旨でガチンコにぶつかっている点があるわけではない。