小川町経営風土記

小川町経営風土記

第13 回「大卒社員に仕事を任せる」『チェーンストアエイジ』2009年3月15日号

(前号までのあらすじ)  昭和43年の春、チェーン化を推進したい島村恒俊オーナーと考え方が相容れなかった9人の男子社員が、しまむらを一斉に退社した。女性店長第一号となった伊藤孝子ら、残された社員とともに、恒俊は多店舗展開に向けて大卒社員の募...
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第12 回「しまむら、男子従業員9人、一斉退社事件」『チェーンストアエイジ』2009年3月1日号

(前号までのあらすじ)  川野トモ(ヤオコー元名誉会長)が店舗を改装して本格的なスーパーマーケット作りを目指したころ、長男の幸夫(現ヤオコー会長)は東大に入学して流通の勉強を始めた。一方、再び、舞台はしまむらに戻る。昭和42年の暮れに、島村...
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第11 回「川野幸夫の決断」『チェーンストアエイジ』2009年2月15日号

(前号までのあらすじ) 植木英吉(フレッセイ創業者)の助けを得て、小川町でセルフサービス方式の食品スーパーをはじめた川野トモ(ヤオコー元名誉会長)は、本格的なスーパーマーケットづくりをめざしていた。長男の川野幸夫(現ヤオコー会長)は、昭和3...
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第10 回「セルフサービスの店 八百幸商店、開業する!」『チェーンストアエイジ』2009年2月1日号

(前号までのあらすじ) 前橋にある松清本店(現:フレッセイ)を訪問した川野トモ(ヤオコー元名誉会長)は、スーパーマーケットこそが自分たちの生きる道だと直感した。その場でセルフサービス化を熱心に勧めてくれた植木英吉社長は、トモのために小川の町...
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第9 回「植木英吉 見返りのない説得」『チェーンストアエイジ』2009年1月15日号

<前号までのあらすじ> 小川地方で一番の繁盛店「八百幸商店」に嫁いできていた川野トモは、ある日、日本NCR(以下、NCR)の営業マンから、前橋でとても繁盛しているセルフサービスの店があることを聞きつけた。単身で松清(現:フレッセイ)本店を訪...
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第8 回「トモ セルフサービス化したい!」『チェーンストアエイジ』2008年12月15日・2009年1月1日月合併号

(前号までのあらすじ) 昭和32年、「島村呉服店」(㈱しまむらの前身)は、セルフサービス方式を導入し、総合衣料品店への第一歩を踏み出していた。その同じ年に、川野トモ(ヤオコー元名誉会長)も、嫁いできていた「八百幸商店」をセルフ方式の食品スー...
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第7 回「ヤオコー創業者 トモのこと」『チェーンストアエイジ』2008年12月1日号

平成19年8月 東京帝国ホテル 母トモの人生、最期の送りの日は曇り空になった。川野幸夫(現:ヤオコー会長、65歳)が受験浪人をしていた昭和36年12月に、母は連れ合いの荘輔を病気でなくしていた。その3年前にスーパーに業態転換したばかりのヤオ...
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第6 回「仕組みをつくって、仕事を任せる」『チェーンストアエイジ』2008年11月15日号

昭和42年12月、小川赤十字病院「島村さん、症状からみてやはり十二指腸潰瘍ですね。切除することにしますか?」若い内科医の見立ては、かかりつけの医者と同じだった。過労とストレスによる十二指腸潰瘍。妻の美智子も、隣で心配そうに医師の問診と精密検...
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第5回「小川人気質が育んだ”しまむら気質”」『チェーンストアエイジ』2008年11月1日号

昭和36年5月 東松山市材木町2丁目 (旧)東松山店は、しまむらがチェーン展開をはじめてからの実質的な1号店である。前年の12月に出店を決めてから、賃借料の交渉、建物の設計、店舗の内外装が確定するまで、とんとん拍子で出店の準備は進んだ。敷地...
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第4回「しまむらチェーン化への第一歩」『チェーンストアエイジ』2008年10月15日号

昭和35年11月、東日本橋問屋街「孝(たか)ちゃん、美智子、島村呉服店はそのうち店数が増えて100店舗になるからね。最初の店は、松山の町からだよ」 創業時からの住み込み店員だった伊藤孝子(当時、23歳)は、島村呉服店が小川町でまだ1店舗だっ...