3.11から4年。あの日が夢のように思えてしまうが、今日は自宅で作業中

 自宅で、来週の月曜日に予定されている「JFMAフラワービジネス講座(上級編)」のレジュメを作成している。「異業種コラボレーション」がテーマだ。パワポになる前の素材の段階。ワードでレジュメをまとめてから、パワポの製作に入る。



 あまり器用なたちではない。作図やアニメーションの技がないので、ひたすら文字と写真と誰かが作ってくれている「部品」でプレゼン資料を構成する。あとはアイデアと話芸でカバーする。即興が多いのはご存知の通りだ。
 でも、いつも仕事のことを考えて生きている。走っているときも、電車に乗っているときも、ひたすら仕事を考えている。

 さて、2011年の東日本大震災から4年が経った。あの日のことが夢のようだ。麹町のJFMA事務所で被災して、静岡で講演が予定されていたので、東京駅まで歩いたものだ。しかし、その後、研究室が書棚ごと完全に破壊されたことを知った。アシスタントの青木恭子は、間一髪、書棚の下敷きになるのを免れた。
 世界はその後も有為転変。あの日を忘れさせるように、いまも変わり続けている。しかし、放射能に半減期が来るように、恐怖の時間はしだいに風化を始めている。人のうわさも49日。わたしたち人間は、忘れやすい動物だ。
 
 本日、3.11特集の記事では、「日経新聞オンライン」(2015年3月11日配信)に掲載されていた「ガソリンがない、被災地へ石油を運んだ男たち」が印象的だった。当時(震災から数日後)、東北の被災地に、JR東日本が鉄道貨物(上越線→磐越西線)を使ってガソリンを運んだことを報じた記事だった。
 リード文だけを引用する。日経新聞さんの営業妨害になるからだが。あとの本文は、ネットに接続して有料にて、、、、

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 <リード文>
 東日本大震災から4年。当時、深刻な石油不足に見舞われた被災地に鉄路でガソリンや灯油を届けた鉄道マンたちがいる。日本の鉄道史上初めてとなる1030キロメートルの長距離石油輸送、雪と急勾配が立ちはだかった難ルート。数々の障害を乗り越え、被災地の石油危機を救おうと奮闘した男たちの物語を、関係者の証言と当時の映像で振り返る。

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 有料会員にしか見られない記事だが、これはかなりの感動ものである。日本の鉄道マンの魂が伝わってくる内容だった。