久しぶりにエッセイの依頼があった。流通経済研究所の機関紙『流通情報』の視点というコラムである。以前に、何度か書いたことがある。
今回は、大学院の授業で話した「静脈系マーケティング」という話をネタにしてみた。来月の中旬に発行される予定である。
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若いころは、年をとることに対してある種の恐怖心を抱いていた。実際に自分が当事者の老人(今年55歳)になってみると、加齢の違う側面が見えてくるようになる。例えば、わたしは、年2~3回のフルマラソンと10回前後のハーフマラソンの公式大会を走る長距離ランナーだが、50歳をすぎてからでも、走破タイムにほとんど変化が見られない。フルマラソンは4時間10分程度、ハーフマラソンは1時間45分前後で、ほぼ一定の記録を保持している。
短距離走ではこうはいかないだろう。長距離の場合は、年々練習時間を増やし、運動後のアフターケアに以前にも増して気を使っていれば、65歳前後までは自己記録を落とさずに走り続けられるからである。周りには、練習好きで元気なランナーがたくさんいる。野口みずきがオリンピックで優勝したとき、「走った距離は自分をうらぎらない」と言っていたが、マラソンは、才能以上に経験と日ごろの鍛錬が明確に出るスポーツである。
大切なポイントは、短距離走が動脈から送り込まれる血中の酸素と筋肉の瞬発力に頼るのに対して、長距離走のパフォーマンスは、静脈を通して心臓に還流してくる血液を再生する効率の良さに依存していることである。使い終わった血液を清潔に保ち、新たに熱源として肝臓から補給されるグリコーゲンを長時間継続して放出できる性能は、練習量と経験に比例して決まる。人間の静脈システムが環境に適応するためには、どうやら熟成の期間を必要とするらしいのである。
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ビジネスやマーケティングの形にも、静脈系と動脈系がある。動脈・静脈の説明は不要であろう。物質とエネルギーの放出が動脈系であり、その回収作業を担うのが静脈系の役割である。人間の身体生理と同様に、社会経済システムの健全性を考えると、本来は両者がバランスよく機能する設計が理想である。ところが、20世紀の主役だったビジネスは、前半の50年間を席巻した重厚長大型製造業を筆頭に、動脈系システムが圧倒的に優勢な体系を持っていた。環境や生態系の負荷にはお構いなしに、心臓のポンプをフル回転し、エネルギーを全開放出する。高い生産性と技術力によって、未開の市場を拓き、革新的なビジネスを生み出してきた。そのパワーの源は、企業組織の瞬発力と大地からくみ上げてくる無限の熱資源である。マーケティングは、そうした動脈系システムの主エンジンとしての役割を担ってきた。
マーケティングは、19世紀後半から20世紀初頭にかけて、米国で生まれた実学の体系である(テドロー『マスマーケティング史』ミネルヴァ書房)。一般的に対象が何であれ、発明者たちが生まれた土地の風土は、その学問の体系や実行の仕組みにまで影響を与えるものである。米国生まれのマスマーケティングもその例外ではない。米国人が発想した事業構築の方法論やマーケティングの体系は、米国の広大な大地と無限のエネルギー資源を前提に組み立てられている。米国がいまだにCO2抑制のための「京都議定書」に署名できないのは、米国経済の中枢に頑として居座っている資源産業と農業団体の利害を調整することができないからである。2つの産業は、米国の保守性を代表しているわけではない。そうではなくて、農業とエネルギー産業は、米国人ビジネスマンが事業を構想するときの原点なのである。だから、米国流のマーケティングを考えるときの起点でもある。
ごく短い期間ではあったが、わたしは米国と豪州に住んだ経験がある。人口密度が疎な土地に住んでみればわかるが、人間が放出するエネルギーや廃棄物は、例えば、太平洋上に海洋投棄するとか、ネバダ砂漠にそのまま埋めてしまえばいいという考えになってしまう。住環境によっては、そうした発想がそれほど奇異に感じられなくなってしまう。自然な風景が作ってしまう現実である。
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誰もが認めるように、限られた資源で約70億人を擁する21世紀の世界を平和裏に動かしていくには、「動脈系エンジン」だけの片肺飛行ではすでに限界に達している。「静脈系エンジン」を上手に動かす有効な方法論を創案しなければならない。これまで大量に排出してきたエネルギーを再利用したり、自然界に放棄してきた廃棄物を再利用するといった静脈流を、生活経済システムに埋め込む作業が必要である。
静脈系システムにおいても、マーケティングは有効な事業システムになりうるだろうか? 参考までに述べると、嶋口・石井の訳によると、「マーケティングとは、個人と組織の目標を達成する交換を創造するため、アイデア、財、サービスの概念形成、価格、プロモーション、流通を計画し実行する過程である」(AMA1986年の定義)。
現状のマーケティングの定義そのままで、「静脈系マーケティング」に求められている役割が果たせるのだろうか? そのためには、以下の3つの質問に答えなければならない。(1)財・サービスの還流場面(静脈流)においても、市場や顧客は創造できるのだろうか?(2)コンセプト形成と顧客維持の方法論は、コトラーの4P(製品)、7P(サービス)の枠組みでも有効だろうか?(3)既存のマーケティングの枠組みに付加すべき新しい概念はあるだろうか?
わたしが思い描く静脈系マーケティングの姿は、かつての「ソーシャル・マーケティング(社会視点でのマーケティング)」や今風の「CSR(企業の社会的責任)」とも異なっている。むしろ、資源や熱エネルギーの効率的な還流や農産物や工業品のトレーサビリティを確保する仕組みをデザインすることに近いだろう。情報技術を活用して資源をうまくリサイクルさせて、エネルギーや素材(例えば、バイオマス)を効率よく流通させるインセンティブを創出する仕組みを考案することが、静脈系マーケティングのコアな仕事になりそうである。
もしかすると、静脈系の理想郷は、人が密に居住しているアジアや欧州にあるのかもしれない。産業革命前の江戸や近世ヨーロッパの世界では、地場製造業と流通サービス産業がバランスよく発展していた。当時もいまと同様に、「全球化」(グローバリゼーション)=「外圧」(黒船来航と欧州列強間の戦い)の波が、物質循環の良き均衡を崩してしまったが、300年前のユートピア社会では、基幹産業の静脈流は決して太くはなかっただろうが、緩やかに時間をかけて静かに流れていたと思われる。鳥の舞う空はあくまでも青く、魚の住む川は底まで澄んでいたはずである。