【書評・感想】松尾雅彦(2014)『スマート・テロワール:農村消滅論からの大転換』学芸出版社(★★★★★)

 このところ「★5」の書評本が続出している。評価が甘いわけではない。友人が薦めてくれるのに、当たり!の本が多いからだ。いま読んだばかりの松尾雅彦氏(元カルビー社長)の本も、坂嵜潮さんが推奨してくれた本である。わたしの最近の主張に合致していて、納得の一冊である。



 この本の概要を知るには、最初の二つの章を読むだけでも充分だろう。元カルビー社長の松尾雅彦さんの主張は、はじめの2つの章に凝縮されている。その後の章は、中核となる松尾さんの思想を補足するためにある。

 1章: 成長余力があるのは農業・農村:食糧自給率の逆説
 2章: 「瑞穂の国」幻想を捨て、スマート・テロワールを構築する

 エッセンスを解説すると、わたしたち日本人は、とりわけ日本の農村は、単品大量生産(米作り)への依存を捨てて、その地域にあった多様な作物(大豆、小麦、とうもろこしなどの穀物類)を作ることで、生産・消費の両面で自立できる地域【美しい村】を作ることができる。そして、それは、日本の農業と日本人の豊かな生活と環境を守ることになる。
 日本の農村は、この20~30年で復興を遂げたフランスやドイツ、イタリアの農村に学ぶべきである。ヨーロッパ人は、米国の農産業と戦って勝つことができた。ヨーロッパの農村が完全に疲弊する前に復活することができたのは、米国流の市場主義にさよならをしたからだった。その学びのモデルが「美しい村」(=「スローフード運動」)にある。

 なんといっても驚くべき提言は、食料自給率を高めるために、一般的に国際競争力がないと言われている3つの作物(小麦、大豆、とうもろこし)への転作(輪作体系の導入)を奨励していることである。コメ作りに偏った農政の転換を主張している。
 同じく、有力な加工品の対象として、他方で堆肥のリサイクルを担う畜産業(牛豚鶏の肥育)も奨励している。詳細は省くが、農業における栽培多様性の復権という観点は、いまの日本のフードシステムに決定的に欠けているゆえに、実現可能な代案に思える。
 そもそも農家は、ジャガイモや野菜(なす、きゅうり、トマトなど)は自給しているものだ。わたしは農家の孫だったので、個人的にもそれを経験している。単に、自作していたものの一部を、少し多めに域内の生活者のエコシステムに投入するというだけのことである。
 
 以下は、松尾氏の定義というより、小川の解釈である。「スマート・テロワール」とは、地域の人々の自決によって”計画された”無駄のない自給圏のことである。概念としては「都市」に対置されている「田舎」(町村部)のことである。また、フードシステムの観点から見ると、自立している「自給自足経済圏」とも定義できるだろう。
 あえて「スマート・テロワール」という自給経済圏を設定する意味は、つぎのふたつである。「脱市場原理」と「食のSPA化」。

(1)農産品の取引を市場原理に任せないこと
 まずは自給圏内で生産される作物の種類や加工方法を、自分たちで計画すること。つまり、ある一定地域に住みながら、共通の価値観や意識でつながっている人たちによって運営されている組織で、農業生産と食品加工に関する決定を下すことである。そうすることによって、相場や需給に依拠しないことで、天候や為替変動から自由になることができる。これは、わたしが常々主張してきたことに通じる概念である。

(2)農業生産と農畜産品の加工を組み合わせること
 農産物に付加価値をつけるには、農産品を素材でそのまま流通させるだけでは十分ではない。自給圏内で、技術力のある農産加工センター(加工場)を自前で持たなければならない。地域の小売業(食品スーパーやコンビニ)が、ブランド化されたテロワールの産品を販売できれば理想的である。
 21世紀の生産・流通の基本ユニットは、小規模な「食のSPA」(生産・販売の垂直統合システム)のネットワークからなる。およそ半分の農産品は、地域外に運ばないで域内(テロワール)で消費されるようにしたい。そのほうが、地球にも人間にもやさしいからだ。

 なお、自給経済圏内で生産と消費が統合されることを促進するのは、「女性の働く力」(女子力)と「大学の研究力」である。女性も研究者も、いまだ社会に対しては、とくに地域に対しては、その潜在能力を生かし切っていない。
 「都市から田舎に戻ってくるシングルマザー」が、農村地域(自立した地域)での仕事(ソーセージやハムづくり、搾乳など)を支え、地方で出生率が高まるという未来像に肩入れすることができるだろうか。本書の良さは、ロマンティシズム(美しい理想論)に脱しがちな「脱サラなんちゃって農業」と「女性の働き方」に対して、実現可能な将来像を提起していることである。
 松尾氏の提案は、決して理想が先行した荒唐無稽なものではない。ただし、実務的に解決すべき課題がいくつか残されている。

(1)市場と組織のバランスを決めるの誰か?
 松尾氏も、すべてをテロワール内で自給せよと言っているわけではない。稲作一辺倒(単品)から脱して、耕作地のおよそ3分の一を占める穀物の輪作に生産形態を変えても、その土地ですべてを消費することなどはできない。また、野菜やコメとの複合経営を考えると、農畜産品の一部は市場(卸市場+域外の加工センター)に移出することになる。
 都市部にも消費者(全人口の半分)はいるわけで、そこにも需要はある。食に対する都市生活者のニーズにも対応しなければならない。つまり、垂直的に統合され計画化された作物の一部を、「外貨を稼ぐために」マーケティングしなればならないのである。スマートテロワールを支えるために、逆説的ではあるが、農村と都市間の「自由貿易システム」を構築する必要がある。
 したがって、自給圏内の計画組織には、スマートな経営機能が必要とされる。それを担うのは誰なのか?あるいは、どのような組織(ガバナンス)や政治体制がそれを可能にするのか?この点について、松尾氏は具体的には示していない。

(2)イノベーションの担い手は本当に育つのか? 
 カルビーのような食品加工メーカーが、もしかすると自給圏の協力者になるかもしれない。しかし、部分的には、カルビーだけではなく、カゴメやキューピーやキッコーマンや伊藤ハムが、テロワールの競争者にもなりうる。企業システムには、独自の品種・技術開発力が蓄積されている。日本の大手食品メーカーは、高い国際競争力を併せ持っている。
 もしも、農村がそこと戦うには、イノベーションの担い手(人材)と資金力をどこかに求めなければならない。この点に関して、具体的な提案としては松尾氏が提示しているのは、大学(農学部、経営学部)がその役割の一部を引き受けるというものである。
 米国の大学(コーネル大学やUCデイビス校)での実績(マックポテトの品種開発、冷蔵技術)を松尾氏は例示している。しかし、日本の大学や研究機関がその役割を担えるのだろうか?大学教員としては、いささか疑問に感じある。

(3)若者は帰郷するか?
 最後の点は、人口移動に関するものである。つまり、都市部に住む若者(女性たち)が、本当に地方に帰郷するかどうかについてである。
 わたしも18歳のときに、大学に入学したので東京に移住してきた人間だ。都市生活の快適さは、生活の便利さと情報の多さにある。そして、マイナス面は、生活のコストが高いことと、ある種のストレスによるものだろう。
 もしも全国各地にスマートな自給自足経済圏が広がれば、そのトレードオフから考えて、たしかに一部の若者は、地方に戻るかもしれない。ただし、有能な若者が帰省するかどうかは、まだなんとも言えない。むしろ、そうした若者に活躍の場を与える仕組みを、スマートな自給圏内で構築できるかどうかがカギになるのだろう。

 いずれにしても、松尾氏の本書から、目からうろこの視点を実にたくさんいただいた。想像力を刺激する良書である。
 一点だけ注文を付けるとすると、エッセンスをもっとコンパクトにまとめてくれるとうれしい。専門家にはこの構成でもよいが、一般人に読んでもらうには、もっと全体を圧縮して説明したほうが理解が進む気がする。