成田発ー米子行のスカイマークの機内で、生源寺氏(名古屋大学大学院教授)の著書を読んだ。数か月前に、日本経済新聞の書評欄で紹介されていた。すぐに取り寄せたのだが、書斎の机の上に置いたままになっていた。食関連の取材が一段落したので読み始めている。
経済学の基本枠組み(マルサス、ペティ=クラーク、マルクス、ロストウ、エンゲルなど、古典的な理論)から、戦後日本の農業の姿を分析した解説書である。古典的な理論に基づく分析ではあるが、言説は二次データに裏付けられており、骨組みがしっかりしている。
生源寺氏の論文やエッセイは、農業雑誌などでよく見かけていた。わたしと同じ年代(1951年生まれ)の農業経済学者である。農水省関係の研究所から東大の農学部教授を歴任している。現場のことをよく知っている経済学者のようだ。
食品産業と農業の関連など(従業者数で見ると、農業生産は食品産業の5分の一以下)、切り味の良い洞察が随所にみられる。農業に関する生産性向上や技術革新(BC技術、M技術の区別)の意味など、はじめて知る視点があった。基礎的な知識習得と農業の現実を整理するうえで、発見の多い著書である。
各章ごとに、著者の主張を評者の興味から要約してみる(著者には余計なお世話かもしれない)。
第1章「フード・セキュリティ」には、この章だけに「途上国と先進国」というサブタイトルがついている。グローバルに豊かな社会が到来しているかに見えるが、発展途上国とくにアフリカ南部には、いまだに約8億人(8人に一人)の栄養不足人口が存在している。この現象が、食料供給と人口増加率の変化を用いて推計されている。
筆者が議論したかったのは、「食料供給の安全保障」の問題である。途上国の人口増加に食料供給が追いつかないため、この20年間で食料価格が緩やかに上昇している。2008年以降に起こった、自給率の高い「農業国」からの穀物輸出規制への警鐘である。つまり、「フード・ナショナリズム」(評者の造語)が世界中で台頭してきているのに、日本はあまりにもそのことに部防備である。したがって、一定の食料を自給しておかないと、いざというときのために頼りになる国はどこにも存在しない。
第2章「経済発展と農業」は、江戸時代から現在にいたるまでの「日本農業」の発展プロセスを取り扱った章である。地方の篤農家が江戸時代からコメの生産技術の向上に貢献してきたこと。そして、アジアーモンスーン気候に特有な「稲作」という生産形態が、農村という生活共同体(コミュニティ)によって支えらえてきたことを説明している。
興味深いのは(「経済史」の授業で教わった気もするのだが)、明治維新以降の農業(第一次産業)と工業部門(第二次産業)との関係である。明治期から大正期にかけて製造業への投資を支えていたのは、絹や織物で稼いでいた農業部門である。また、労働供給面でも、農村から都市部への人口流入が、工業部門(戦前・戦後)と商業部門(戦前)を支えることになる。
ここでは、重要なデータが示されている。北海道の酪農を例にとると、50年間で経営規模は約7倍(GDPの成長と同じ!)になっている。北海道では兼業農家が存在しようもないから、その間に退出した酪農農家が多数いたことになる。本土で稲作を修業とする専業農家数も、この間に7分の一に減少している。しかし、平均経営規模は7倍に拡大していない。
この事実がすべてを物語っている。よくも悪くも、兼業農家の存在が農業の生産性向上の足を引っ張っていたことがわかる。地方にも及んだ経済成長の恩恵が、自立経営農家以外の家計を農村部にとどめたという事実である。
第3章「経済生活と食生活」は、経済成長による第一次産業(農業)の相対的な位置づけの変化を分析している。現状、ひとりの日本人は、年間でコメを60KG(一俵)食べている。50年前には、その倍(約110KG)を食べていた。江戸時代の日本人も、ほぼコメ(+穀類)だけを食べて暮らしていたことがわかる。
増えた食料カテゴリー(05年/55年対比)は、パン(小麦:1.3倍)や野菜(1.2倍)ではない。肉(8.9倍)や鶏卵(4.5倍)や乳製品(7.6倍)である。つまり、鶏卵の飼料を含めて、海外からの食料供給が増えたわけである。コメだけはほぼ自給されているのだが、その他は、「食料安全保障」にとっては危険な水準にある。第一章で、筆者がフードセキュリティに関して警鐘を鳴らしていた根拠である。
本章で大切なポイントは、農業部門が実際には「食品加工産業」を包含する可能性についてである。いま流行の表現では、農業の「6次産業化」である。筆者は、農業の「垂直展開」と表現している。農業従事者の比率(約4%)に対して、エンゲル係数が約20%だからである。「ペティ―=クラークの法則」(第一産業の比率が低下)は、筆者のように「食品産業の定義」を変えると修正の必要がある。この論理にはまったく賛成である。
第4章「農業の成長と技術進歩」は、評者がもっと勉強になった章である。経済の投資理論を援用して、農業部門でのふたつの技術革新(BC技術とM技術)がどのように農業の生産性向上に貢献していてきたかを説明してくれる。
農業の生産性は、究極的には「労働生産性」で測ることができる。労働生産性(一人当たり生産量)は、「土地生産性」(土地面積あたり生産量)と「土地装備率」(一人あたりの土地面積)の掛け算に分解できる。前者の土地生産性は、品種や肥料・農薬の投入効果によって決まる(BC:Bio-Chemical技術の革新)。後者の土地装備率は、機械化の程度(M:Mechanical技術の革新)によって変化する。
戦後日本の農業技術は、BC技術のイノベーションによって成し遂げられた。BC技術の効果には、経営規模による差がほとんどみられない。経営規模を拡大しなくても、一定程度の生産性向上が実現できたのである。このロジックで、日本の農業の生産性向上をうまく説明できる。しかし、未来は別である。生産性の拡大には、基本的なM技術のイノベーションが必要になる。
データ分析から導き出された大事な結論を紹介する。日本の稲作農家の最小最適規模が、約10ヘクタールであるという点である。したがって、現実的には、15~20ヘクタールの水田経営でないと、専業稲作農業はビジネスとして成り立たない。現状はといえば、稲作農家の平均作付面積は、1~2ヘクタールである。ここから脱する必要がある。
第5章「変わる農業、変わらぬ農業」は、共有地問題(コモンズの悲劇)を題材にして、中山間地農業の問題に対する筆者の考えを述べている。国際的にみて、日本の米価は高価である。高いコメの値段には、「環境を守る」という対価が含まれている。そうでもしないと、日本の美しい景観や、翻っては快適な都市生活が支えられないだろう。
問題は、日本の農村に残った「土地」(水資源への関与)を、共同利用する枠組みが存在するかどうかである。土地の所有者は、いまや大半が都市に居住している。農地の所有者と耕作者の分離現象は、江戸時代から連綿と続いている、日本の農村のよき風習(共同水利活動や共有地保持)を危機に陥れている。農地所有のあり方を変えないと、共有地が保持出来なくなっている。政治の道具として、もやは農業の地縁・血縁は利用できなくなっているからである。
最終章「開かれた議論のために」では、はじめて筆者が自説を主張している。他の章では、”禁欲的”に論を進めており、本書に至ってようやく主観を述べている。評者の意見とさらには解釈も交えて、本書の結論を論評してみたい。筆者の主張は大きく3点ある。
第一の主張(第1節「成長経済から成熟社会に」)は、成長期を終えた成熟社会という「時代認識」についてである。
成長期における農業の役割は、他の部門の成長を支えるために「量的な拡大」を達成することだった。しかし、成熟期の農業は、社会に食の楽しみ(「充実感」「質」)と多様性(「バリエーション」「選択肢」)を提供することだろう(「 」内は筆者の表現)。そして、具体的な方策として、第4章で示されたように、農村集落の中心に水田だけで15~20ヘクタールを経営する自立経営農家が、最低でも一軒存在する理想的な農村の姿をは描いている。
この主張は、実現可能なスキームだろうか? 高齢化が進む日本農村の救済策として、これは十分に実現可能な枠組みだと考える。たとえば、やや極端な農協批判論者の岡本重明氏(ユニークな友人のひとり)は、その著書『田中八策(でんちゅうはっさく)』(光文社)の中で、10~20ヘクタール規模の水田経営であれば、専業農家がそれなりに利益を生み出せると主張している。生源寺氏の言わんとするところは、岡本氏の主張に、農地や農村の公共性を盛り込んだものである。
第二の主張(第2節「雇用機会としての農業」)は、経済経済の成長期には、農村(農業)が都市(商工業)を支えてきた。だから、成熟段階に入った今は、都市から農村に人が逆に移動することで地方に雇用を生み出してはどうかというものである。もちろん、農業の周辺で展開される食品加工業の雇用機会を、地方において安定的に発展させることがその前提になる。
わたし自身も、「食におけるマスマーケティング」の時代は終りを迎えつつあるとか思っている。効率だけを重視する「輸送園芸」と「標準化商品」を量産し流通させるだけのマーケティングの仕組みは、いまや持続可能ではない。地産地消を支える地方(自国)の農業をフランチャイズとする、新しい食品流通業の誕生を時代は待っている。そのためには、農業も食品製造業も食品流通業も、根本から変わらなければならない。
理想の農業経営の姿は、もしかすると地方発の「農業フランチャイズ」(自立農家のネットワーク)によって実現するのではないだろうか?
第3の主張(第3節「食料輸入国の立場から」)は、第1章で述べた「フードセキュリティ」を敷衍してものである。
食料をめぐる国際競争の軸は、過剰農産物の販路開拓から、希少資源(生活必需品)の囲い込みに移行してきている。その時には、「農業の保護政策には、ふたつの領域があることを認識すべきである」(187頁)。つまりは、必需品としての食料と、贅沢品としての食料である。前者に関しては、保護主義を主張してよいだろう。懸命な論点の整理の仕方である。
となると、最後の問題は、その境界線(割合、比率)をどこに引くである。現状では、われわれはふたつの食料自給率を知っている。エネルギーベースの自給率は約40%。金額ベースでは自給率は80%になる。答えは、その中間にあるのだろうか?「開かれた議論」をすべきタイミングなのだろう。
しかし、筆者が言うように、政治選択と食糧保障は切り離して議論したいものである。二度の政権交代(自民党→民主党→自民党)で、農業政策はうまく政治に利用されただけである。戸別補償制度などの結果は、惨憺たるものだった。