株式会社ヤオコーの「社長就任披露および感謝の会」が、芝公園の東京プリンスタワーで開かれた。約1200名のお取引様に交じって、懇談会まで感謝の会に参列させていただいた。2011年に、『しまむらとヤオコー』(小学館)を刊行させていただいたご縁である。
飾らない簡素な式次第が好印象だった。感謝の会の式典で登壇したのは、川野清巳社長と新社長の川野澄人さん(川野幸夫会長の次男)。来賓のご挨拶は3人で、順番に紹介すると、コンサルタントの島田陽介さん(清巳社長のアドバイザー)、ヨークベニマルの大高社長(家族ぐるみのお付き合い)、ライフコーポレーションの岩崎社長(昨年度からの包括提携先)。
引退する清巳社長の挨拶は、すこし長めに時間をとっていた。それでも30分ほどである。内容はのちほど紹介する。その他の4人のかたは、ごく短いスピーチだった。必要にして最小限だが、すべのスピーチには心がこもっていた。式全体では約80分。
川野幸夫会長は、式典終了後に開かれた懇談会で、弟の清巳現社長と息子の澄人新社長のために、慰労と励ましの挨拶をされていた。
偶然の数字合わせではあるが、ヤオコーは創業123年にして、現在の店舗数が123店である。新社長就任披露の日が、逆さに読めるが、3月21日であった。123の321である。
川野清巳社長の引退のあいさつには、心からの感動を覚えた。何に感動したかといえば、ご自身の経営者としての引き際の見事さと、後任社長への引き継ぎ準備の素晴らしさである。
『しまむらとヤオコー』にも書いたことだが、しまむらのこれまで3代の経営者は、すべて65歳で社長から退いている。そして、ヤオコーでも兄の川野幸夫会長は65歳で社長を引退している。両社には例外が適用されない。だから、清巳社長も、65歳で昨日、社長を退いたのだろう。
二社に共通しているのは、後継者の選び方とそのための準備の周到さである。スピーチの中にあったが、7年前に社長に就任した時点で、次期の社長は決まっていた。というか、土方常務(当時)との間で、幸夫会長から清巳社長に経営をバトンタッチして、そののちに、甥の澄人さんが社長になることは20年前に決まっていた。このくだりは、わたしが本に書いた通りである。
20年前の約束など、事情が変わったからといって反故にされることが世間ではごくふつうに行われている。いったん退いた創業経営者がまた社長に復帰することが、とくに小売業では頻繁に起っている。業績不振と後継者不在がその理由である。
ところが、ヤオコー(としまむら)にはその例外は適用されない。約束はいつも守られるものである。そのために、長い時間をかけて後継者を育てる準備をしているのである。たとえば、清巳社長の7年間は、同時に次期社長の訓練期間でもあった。「キャリアディベロップメント」などとむずかしく言うが、要するに「修業」をさせるのである。これをプログラム化して、きちんと経験を積ませていたのである。
清巳社長のすばらしいところは、幸夫会長や社員との約束を含めて、やるべきことを着実に実行してきたことである。実に律儀に、地に足の着いた経営をしてきたのだと思う。
なんとも驚いたのは、引退にあたって、清巳社長が自らが保有しているヤオコー株をパートナーさん(パート社員)たちに贈与することを発表したことである。この決断は、「ヤオコーの今日の発展が、何にもまして、パートナーさんたちの努力と献身によって実現できた」と経営者本人が感じてきたからである。母親のトモ名誉会長(6年前に逝去)がよく言っていた「おかげさまで」の精神でもある。
小さな冊子のプログラム上では、清巳社長の引退の会が、「感謝の会」となっていた。社員やお取引様が、社長の長年の功績に感謝するという意味なのかと思っていた。ところが、そうではなかったのである。清巳社長が、社員とお取引様に対して、最後に感謝の意を表明する場だったのである。
社長を引退した後、清巳社長は、ヤオコーの経営からは完全に離れることになる。一切の業務から身を引くことに例外はない。そのために周到な準備をしてきたことを、スピーチでは明言されていた。完全な形で、社長の仕事を甥の澄人さんに渡すことができたのである。
理想としてはありうるのだが、実際にこれが実現するのはまれである。第一線の経営からきれいに引退するはむずかしい。
昨日は、その見事な引き際のお手本を見せていただいた。