最後の踏ん張り: プロジェクト報告書の提出まであと18時間

 プロジェクト研究レポートの締め切りが迫っている。経営大学院(新一口坂校舎)の4~6Fのフロアのブースには、予定稿を抱えた学生と机を挟んで指導教員が座っている。泣いても笑っても、あと18時間の勝負である。締め切りは、2月8日の午後13時。もう後ろがない。



 ひとりの学生がいま、広島の呉市から市ヶ谷に向かっている。
 いつも思うのだが、論文の出来不出来は、最後の24時間で決まる。わたしたち(教員)のようなプロフェッショナルであっても、それには例外がない。
 「火事場の馬鹿力」という言葉がある。プロジェクトの結論(アイデア、まとめなど)が、最後の瞬間に突然に現れることだ。何かに没頭していると、人間は思いもかけないことができてしまう。おもしろい結論は突然にやってくるのだ。
 調査データの記述は終わった。全体の構成はきちんと書いたつもりだ。でも、何かが足りない。そんなとき、何度か原稿を眺めているうちに、あることに気が付くことがある。
 そして、疑ってみるとよい。一年間をかけて取り組んできたテーマに対して、言いたいことが思い通りに表現できているのか。

 この段階(締め切りの18時間前)で、図表や文章をいじっている学生がいたら、参考にしてほしい。なんとなくしっくりしないのだが、と思っていないか。
 結論部分に、自分の夢や理想や達成したかったことが、その中に十全に盛り込まれているのかどうか。そのことを、最後の最後に見直してみたらどうだろうか。
 客観的な記述を変えなくとも、フレーズの並びを置き換えるだけでよい。中心軸は、自分の当初のプロジェクトに対する思いである。おやおや、見違えるほど見栄えがよくなってくるではないか。

 ある編集者から聞いたことがある。
 「作家さんには、原稿の手離れがよい人と、ぎりぎりまで抱えて離さない人がいる」。
 わたしを指してのことだったらしいが、「遅筆」という言い方もある。だが、そんなのことは気にしないで、泰然自若として構えていることだ。原稿の手離れがよい作家と、遅筆の書き手のどちらが良い作品を書くのだろうか?
 ジャンルによるようだが、総じて手離れの悪い書き手のほうが、極め付きの良い作品を生み出す確率が高いらしい。たとえば、亡くなった劇作家の井上ひさしや作家の堺屋太一さんなど。編集者がどこの出版社かがバレテしまいそうだが。

 学生たちには、できるだけ提出までに時間を粘ってほしい。教員のなかには、「いつまでやってるんだ」と文句を言う先生もいるだろう。でも、ぎりぎりまでレポートは抱えていたほうがよいぞ。神が降臨する可能性は、じりじり粘った時間分だけ高くなるから。
 深く悩み、行きつ戻りつして、密度の高い時間を持てたときにはじめて、PC画面に文字を連ねているあなたの肩に、どこかから力強くエネルギーの注入が行われる。
 最後に、その瞬間を体験できただろうか? 画竜点睛。
 プロジェクト報告書に、きっとあなたは満足の足跡を残せたはずだ。幸運な未来の見通しがそこに示されていることを祈る。

 学生たちの無事のフィニッシュを側道から応援して