朝4時の少し前である。深夜、二つ目のブログである。欧州から帰国すると、いつもジェットラグ(時差)に悩まされる。今回も例外ではない。連日の長距離走も、なんの効き目もない。ある女性から、「(機内で観た映画の中で)お薦めはありますか」というメールが入った。
エールフランス(欧州行き)とJAL(帰国便)で、合計7本の映画を見た。邦画3本、洋画4本である。したがって、とくに帰りは一睡もしていない。
1本を除いて、6本はすべて★3~★4である。全作品ともに、それなりにおもしろかった。残念だが、★5はその中にはなかった。
その女性には、「強いてあげるとすれば、おすすめは、”神様のカルテ”かな」と返信しておいた。櫻井翔(救急病棟の医師)と宮崎あおい(山岳写真家)よりも、助演の加賀まり子(末期がんの患者)の演技がよかった。
封切り(2011年8月)から時間が経過しているので、ご覧になったかたも多いと思う。松本(上高地)の病院が舞台の映画である。ベストセラーになった原作(同名の小学館文庫)が別にあって、それを映画化したのだと記憶している。全編を通して、医師として患者とどのように向き合うべきかを考えさせられる。良い作品である。
昨年は、わが娘が交通事故で救急病院に担ぎ込まれたり、その前には、義父と義妹が、病院で大手術を受けたりで、救急病棟の様子はよくわかっている。だから、映像はかなりリアルに描けている。
ストリーもオーソドックスだが、感動的なシナリオになっている。人の死に対する医師の無力さと、しかしながら、ひたむきに誠実に仕事に向き合う若者の気持ちがよく描写されている。一見の価値がある作品である。同じく機内で観た6本と比較すると、まちがいなくお薦めの一本ではある。
(*「あらすじ」を、WIKIから、ブログの後に貼り付けておきます>
さて、この作品をブログで取り上げたのは、『神様のカルテ』をJALの機内で観ながら、高校生のころの自分と、クラスメイトのことを思い出していたからである。
わたしは、昭和42年(1967年)に、秋田県能代高校に入学した。地方の典型的な県立進学校である。一学年は8クラスくらいあった。理系が3クラスで、残りが文系クラスだった(ように記憶している)。
2年生からは、文系と理系にクラスが分かれた。わたしは文系志望なのに、理系のクラスにいた。国立大学(旧一期校)を受験する学生は、文系でも国立理系組(Eクラス)に編入されていたものだった。いまでもそうなのだろうか?
Eクラスには40人ほどの学生がいた。男女共学とはいっても、元々が南高(旧制で「能代南高校」)という男子校だったので、一学年には10数名の女子学生しかいなかった。高嶺の花である。どんな女子であっても、すばらしくもてていた。わがEクラスは、2名を除いて全員が男子生徒だった。
そして、驚くべきことに、地方の進学校における生徒指導は異常だった(誰もそう思ってはおらず、わたしだけはそう感じていたようだった)。なぜなら、クラス担任(数学の青山先生)は、成績上位者の約20名をほぼ全員、第一志望で国立大学の医学部を受験させようとしていたからである。
高校生だったわたしは、この受験指導のやり方はおかしいと思っていた。世の中に職業はごまんとあるのに、勉強ができるだけで医学部を受験させるなんて。どこかふつうではない。指導には真剣に反発していた。
しかし、地方で暮らしている人々の常識はそれとは別であった。どの学部を受けるかは、当座の偏差値の高さと、卒業後の稼ぎの大きさに依るのである。地方社会における社会的なステータスは、卒業後の予想所得が代理変数である。
しかも、地方の人は保守的である。リスクは絶対にとりたがらない。だから、勉強ができる理系志望の学生には、旧一期校(東大、東工大、東北大)を受験させるか、地方の医学部(秋田、弘前、新潟、岩手など)を狙わせる。それがふつうの進路の決め方だった。医師としての適性は、ほんとうは別のところにあるはずなのに。
医師を嫌いな職業だとは思わなかった。だから、模擬テストの結果だけならば、第一志望の選び方は、東北大の医学部が順当だった。しかし、わたしは偏差値で志望学部を選ばなかった。国語や英語の成績より、数学や化学の成績が圧倒的によかったにもかかわらずである。
『神様のカルテ』を見ていて、当時の自分の気持ちを反芻していた。だれがなんと言おうと、自分は人間の体(物理的な対象)には興味がなかったのだ、と。
直感的な未来の選択は、社会や経済(企業)の動きに向かっていた。もしも、標準的な受験指導にしたがって医学部に入学していたら、その後の人生はまったくちがうものになっていただろう。
いまでも、わたしは、あのころの反逆心をどこか心の片隅に持ち続けている。だから、皆がふつうに行う選択をしてこなかった。商社マンや役人にもならず、誰一人やりたがらなかった経営学(マーケティング)に大学院で転身していった。大学人としては、大いにひんしゅくを買いながら、花の業界で組織を興した。そして、いまでもやりたいようにやっている。
ふと、新潟大学や秋田大学の医学部に進学した同級生のことが気になった。同級生の中で、10人は医者になっているはずである。
彼らはいま、どうしているのだろうか。開業医になっているのだろうか? 大学病院で医師として働いているのだろうか? それとも、わたしのように大学教授になっていることも。それもない話ではないな。
結局、あのとき、ちがう選択をしたとしても、わたしはきっと大学の先生になっていただろうと思う。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
夏川草介(2009)『神様のカルテ』小学館
あらすじ
神様のカルテ 主人公・栗原一止(くりはらいちと)は、信州松本にある本庄病院に勤務する内科医である。彼が勤務している病院は、地域医療の一端を担うそれなりに規模の大きい病院。24時間365日などという看板を出しているせいで、3日寝ないことも日常茶飯事。自分が専門でない範囲の診療まで行うのも普通。そんな病院に勤める一止には最近、大学病院の医局から熱心な誘いがある。医局行きを勧める腐れ縁の友人・砂山次郎。自分も先端医療に興味がないわけではない。医局に行くか行かないかで一止の心は大きく揺れる。 そんな中、兼ねてから入院していた安曇さんという癌患者がいた。優しいおばあちゃんという感じで、看護師たちには人気者だが、彼女は「手遅れ」の患者だった。「手遅れ」の患者を拒否する大学病院。「手遅れ」であったとしても患者と向き合う地方病院。彼女の思いがけない贈り物により、一止は答えを出す。