『月刊ランナーズ』8月号発売で、岡本幸治さん(元アイリスオーヤマ社長室長)の安否を確認

 先週末(6月18、19日)、関西学院大学で開催された「日本マーケティングサイエンス学会」が終わった。帰りの新幹線で、岡本幸治さんから携帯に連絡をいただいた。「先生、ランナーズの記事を読みましたよ!」。津波に襲われた地域に住んでいる岡本さんの安否が気になっていた。


社長室の後任室長だった倉茂さんからは、「アイリスの社員は全員無事でしたよ」と間接的には情報を得ていた。ご自宅がどのような状態になっているにせよ、岡本さんは元気でいるのだろうとは思っていた。そして、昨日の電話だった。ようやく!安否が確認できた。
 「月刊ランナーズ」からのインタビュー記事が、6月22日発売の8月号に掲載されることになっている。わたし自身は、本日現在まだ正式な記事は見れていない。
 記事内容は、先月にすでにブログに掲載されている。その記事を、「ランナーズ」を定期購読している岡本さんが、学会出張中のわたしより先にごらんになって、携帯に連絡をくれたのだった。
 去年の8月号に、「わたしのランニング人生」が3ページのカラー記事で掲載されたときも、まるで身内のことのように、喜んでいただいたものだった。

  岡本さんとはじめてお会いしたのは、岡本さんが「アイリスオーヤマ」(本社:仙台、日用品の総合メーカーベンダー)の社長室長時代だった。わたしが秋田県出身のランナーであることを、ダイヤモンドフリードマン社の千田編集長(当時は、「月刊ホームセンター」の副編集長)が岡本さんに伝えてくれた。
 ランナーとして最初にお会いしたのは、今回の震災で大火事になった「大島」(気仙沼市沖合)で開催された「気仙沼つばきマラソン」だった。仲間(GRC)の千田さんと中川さん(現レナウン勤務、元ダーバン)も一緒だった。
 わたしだけがハーフで、みなさんは10KMにエントリーしていた。結果は、10KM組の3人中で、最年長の岡本さんがトップでゴールインした。
 当時すでにアイリスを退職していたから、岡本さんは70歳直前だったのではないかと思う。1時間を切ったのは、岡本さんだけである。今年の青梅マラソン30KMでも、岡本さんは3時間半でゴールしている。すでに7?歳である。たいした走力である。

 われわれ3人が、わざわざ気仙沼まで走りに行ったのは、アイリスに移る前、岡本さんが七十七銀行・気仙沼支店の支店長だったからであある。気仙沼時代には、周囲から「市長選挙に出ないか」と言われていたらしく、地元では名士である。
 市内のどこに行っても、岡本さんの知り合いがあいさつをしてくる。そういえば、あのときは、当時宮城県知事だった浅野知事(現、慶応大学教授)とハーフを走った。わたしが1分だけ先にゴールインしたものだ。
 
 東日本大震災の直後に、岡本さん宅に何度か電話を入れてみた。もちろん、電話にはお出にはならなかった。たぶん、お出になれなかったのだろう。
 ご自宅の近くが津波で被災しているだろうことは想像できた。実際にもたいへんな状態だったらしい。一度、松島ハーフに参加するために、ご自宅に泊めていただいたことがあった。奥様は埼玉のお子さんのところに行っていて、岡本さんがふとんを敷いてくださった。
 そのときの近くの地理がなんとなくわかっていた。川が近かったので、津波の被害を受けているのだろうとは思っていた。
 それでも、電話の様子では、ご自宅はいまは修理してなんとか生活はできているようだ。京急線品川駅のホームで電話を受けたので、あまり詳しく訪ねることができなかった。

 「先生、また、お会いしましょうね」。
 2月の青梅マラソン以来の岡本さんの明るい声を聴くことができた。いつもと変わらない様子に、わたしは安堵した。また、青梅で岡本さんとご一緒できるのだ。