重さで仕事の成果を測る

 白桃書房の仕事で、編集者の河井宏幸さんと研究室で相談をしていた。初対面である。今年度、新たに5冊を出版する。来年3月に出版する最後の『(仮)流通サービスブランドの価値測定システム』の打ち合わせだった。JCSI(日本版顧客満足度指数)関連の本である。


 この本は、法政大学のイノベーションマネジメント研究センターの叢書として刊行される本である。総ページ数は、250~300頁。厚さは2センチくらいになるだろう。
 河井さんは、わたしの本の中では、日本経済新聞出版社から2009年に出た『マーケティング入門』をお読みになっていた。30冊目の本である。「なんであの厚さの本を、、、」が河井さんからの質問だった。
 拙著は、800ページ、4センチ、980グラムの本である。日本でいちばん厚くて重いマーケティングのテキストである。結果として厚くなったのではない。重いものを書くために、マーケティングのテキストを書いたのだ。
 そして、厚い本が書きたかったので、教科書を選ばせてもらった。専門書では、そのような厚さの本を出版させてはもらえない。わたしが、翻訳とテキストを書くことを、好んでする最大の理由である。

  一般に言えば、周囲の優秀な研究者たちは、仕事(書籍や論文)の質にこだわる人がほとんどだ。わたしは、そうではない。質(クオリティ)よりも、量(ボリューム)が大切だと思っている。
 別の言葉でいえば、「量は質に転化する」と信じて疑わない。その思いはいまでも変わらない。
 なぜなのか? そうした確信の根拠のひとつは、個人的な「肉体の酷使」の体験からきている。

 確信の根っこにある思いは、女子マラソンランナーの野口みづきの言葉「走った距離は裏切らない」に由来する。わたしの経験では、練習で長い距離が走れたときには、その後で参加したレース、とくに、30KMレースやフルマラソンでは、まちがいなく好タイムが出る。逆も真なりである。練習をさぼったときは、まちがってもよい結果がでることはない。絶対にない。
 練習を積み重ねないと、結果がついてこないのである。理屈を言うよりは、まずはたくさんの論文や文章を書いてみることだ。質にこだわらずに、量をこなしてみることである。量産できない研究者は、良質な仕事もできないものだ。「自分は佳作だ」など、私に言わせれば、天才がいう言葉である。
 広告関係の仕事をしている人から聞いた話である。コピーライターの訓練では、一定時間内に、なるだけたくさんのコピー文案が作るように訓練されるらしい。優秀なコピーライターと、ふつうのライターの差は、短時間の勝負で、多くの案を想起できるかどうかにかかっている。良い作品は、短時間での多産行為から生まれるのだそうだ。

 量を追い求めると、一時的に質は悪くなることもある。つまらない論文や売れない書籍をだしてしまうこともある。周到に準備したつもりでも、不満足な結果になることもある。
 しかし、練習による失敗や品質への不満には、わたしは基本的には目をつむることにしている。たくさん打っていれば、いずれ結果は、後から付いてくるものだ。
 100%の出来映えの良い立派な論文や書籍を、わたしは学生や弟子たちに期待はしない。だから、たくさんの量の成果を排出するように圧力をかける。そのうちのいくつかは、世間からも評価されるような良い作品になることがあるだろう。それでいいのだ。
 なので、自分でも、打席に立って、たくさんの球を打つことにしている。わたしが一番バッターが好きな理由だ。サッカーだって、たくさんシュートをしないと、点は入らないだろう。シュートが打てる状況や機会を求めるのは、当たり前のことだ。だから、フォワードが好きだ。

  というわけで、あるときから、機会があるたびに、出版社のかたとはよい関係作りに励んでいる。最終的に出ないかもしれない出版企画も、いまでも山のように抱えている。不如意を気にしてもしかたがない。
 原稿が出来なくて責められることもあるが、「ごめんなさい」でひたすら謝っている。逃げているわけでない。自分では、走りながらまた、次の企画でお返ししようと考えているのだ。

 今年が終わると、また5冊の本で、床から天井に向かって10センチが積み上がることになる。いままで出版して本を、横にして重ねて積み上げてみると。35冊で、約80センチメートルになるはずだ。自分の背の高さには、まだ85センチほど届かない。成長のやっと半分だ。
 重刷りになった本を、+1冊と数えたくなる。が、とりあえずは、いまはその誘惑に負けまいと思っている。書籍の平均は2センチ+αだから、あと30~40冊。残りの時間は、せいぜい15年である。最後には、166センチまで届くのかな。自問自答をしている。