311で倒壊した研究室の本棚などを復旧している。PC本体も倒れて、ディスプレイにも傷がついている。ファックスも使えない。研究室前のブースの壁もゆがんでいる。修復にはまだ時間がかかりそうだ。
PCの本体は健在だが、マウスはぺしゃんこにされ、ひびが入っている。本の一部は、倒れてきた花鉢の水で、水膨れしている。拙著『マーケティング入門』の数冊が、「ふやけて」しまった。4センチの厚さの本が、5センチにふくらんでしまった。これは笑えない。
本棚からは本が飛び出して、部屋中に散乱していた。この際、不要な本などすべてを整理してみようかと思う。2年で部屋の本棚やキャビネットがいっぱいになりかけていた。
本日は、午後3時には大学院の建物が閉まってしまう。完全に復旧したわけではないからだ。廊下の壁や教室のパネルが痛んで修理されていない。
とりあえず、書棚にあった本は仮に収納がおわったようだ。きちんとした分類は、時間をかけてやるしかない。おさまってみると、いろいろ考えなければならないことがあることに気がつく。
本が落ちてくる可能性があるので、頭を保護するためのヘルメットの用意。PCやキャビネットの収納位置の見直しなど。
震度5程度で、研究室がこれほどひどい惨状になる。東京の直下型地震が来たら、たまらないだろう。地震の瞬間に、青木(恭子)さんは、この部屋で打ち合わせをするために、ピアソンの中沢さんを待っていた。はげしい揺れに、「生きた心地がしなかった」と。
もっと真剣に、つぎの災害に備える準備をしないといけない。うっかりすると、人間はすぐに忘れてしまうものだ。退去の時間が迫っている。
先ほどから、昨日に宅配便で送ったチューリップに対するお礼が、続々と携帯メールで届いている。「ご近所さんにも配ってくださいね」と私から返信している。ひとつの家庭だけでなく、皆さんで楽しんでいただきたいのだ。
取手市に送ったチューリップは、南相馬町から移動して来ている被災者のところに、このあとに運ばれていく。きびしい環境の中にいる被災者の皆さんに、無事に届けられるることを願っている。
春を告げるチューリップと、そして、少しの希望。
わたしは、秋田県能代市の生まれである。木材の町なので、住宅も工場も燃えやすかった。昭和30年代に、能代市は二度の大火を経験した。わたしが小学生1~2年生のころである。
二回目の大火の時、火の手が家の近くまで迫ってきたが、最後にわがやは類焼をまぬかれた。町の中心部は、全焼に近いくらい被災した。風が強い日だった。
我が家は残ったので、火事で焼け出されたひとたちを預かることになった。父の知り合いで、同じ村(羽立部落)の出身だった商店主も焼け出された。そのお子さんたちである。のちに、中学校で同級生になる内藤さん姉妹である。
引き取られた3人姉妹と小川家の4人兄弟は、内藤さんの住宅が再建されるまで、しばし砂丘の広場で遊んだらしい。わたしの家は、樽子山(たるこやま)という丘のふもとにあった。すっかり見通しがよくなった町全体を、丘の上から見通すことができた。
そんなことを、のちに母親に言われたのだが、子たちで遊んだことはほとんど記憶に残っていない。 しかし、いまでもひとつだけ、はっきりと覚えている風景がある。
その年の夏、焼跡の砂の中から、ぐんぐん伸びて出てきたカンナの花。夏の直射日光を浴びて、暑い風にそよぐ太陽のような黄色。その日から、町の再建が始まった。