ベトナム・マレーシア旅行(#6):1993年のダラット@ベトナム、後日談

 くしゃみが止まらない。キャメロンハイランドは、高原で朝夕の寒暖差が大きいのと、ホテルのエアコンの掃除が行き届いていないからだろう。それにしても、マレーシアに入ってから、つくづくベトナム人がきれい好きだったと思う。



 やや偏見かも知れないが、マレーシアは中国系統の社会システムで、なんとなく清潔度が落ちる。と、おもっていたところに、水谷朱美さん(ベェルディ社長)が登場。20年前のベトナムのダラットの話になった。

 昨日からツアーに合流した水谷さんは、1993年当時のダラットの様子を知っていた。そのころのダラットには、いまのように立派な保養地はなかった。ダラットの町は薄汚れていて、「においが臭かった」(水谷さん)。
 水谷さんの会社(当時は、お父さんの杉浦さんが社長)は、観葉植物の苗栽培とメリクロンの技術をベトナムに持ち込もうとした。賃金が安かったからだったが、しばしば停電が起こって苦労したらしい。当時、ダラットハスファームはできたばかりで、まだ竹をついだ温室を建てていた時代である。
 水谷さんたちも、鉄材が手に入らないから、竹で温室を作ったらしい。しかし、ビニールは日本から持ち込めたので、屋根はきれいにふくことができた。この簡易な温室に雨が降ると、翌日には一部のビニールが剥がれることになる。

 水谷さんたちが町を歩いていると、「日本製のビニール傘」を持ったマレー人に出会うことに。この傘は、破いたビニールを竹の骨に巻いたものだから、あきらかに盗品だった。
 雨季になって雨が続くと、温室のビニールが順次にはがれていった。そのうち、ベルディも、ベトナムから撤退することになった。1997~98年ごろのことである。
 いまや立派な温室群に囲まれたダラットの栽培状況だが、そんな時代もあったのだ。

 本日は、キャメロンハイランドの3つの農場を見学する。サンライトとモーガンファームは9年ぶりだ。