雑誌「オルタナ」2008年 学生たちの感想文4編

6月の読書感想文から、わたしの評価観点〈独断〉で、優秀なものを4点選んで本HPに転載する。学生たちの率直な意見が開陳されている。一部分、「オルタナ」(2008年創刊7号、8号)に対しては、とくに有料化に関しては、きびしい感じの意見も見られた。森摂編集長、学生たちの意見です。彼らは理想主義者で、あまり金の勘定は考えないので、お許しを。


#1 「オルタナ」を読んで 関口 真人

 ここ数年CSRという言葉は常に注目を浴びている。その背景には、今年から京都議定書の第一約束期間(2008年~2012年)に入ったこと、中国製ギョーザ事件や船場吉兆事件の影響、アル・ゴア氏による「不都合な真実」発表などがある。このような風潮の中、多くの企業がCSR活動に取り組んでいるように見える。しかし私は以前から、どの企業がどれくらいの規模の活動を行って、実際にはどのくらいの社会貢献になっているのかということに疑問を感じていた。

 今回私はCSRを大きく分けて、社会貢献とその中にある環境対応とに分けて考えてみた。コーポレートガバナンスの議論で、企業の存在価値はまず事業を通じて社会に貢献することが第一であると言われている。そうした考えを受けて、多くの企業は社会貢献活動をしているが、その実態は様々である。社会貢献として、快適な生活を提案することを掲げ、美術館や歩道橋を建設する場合もある。そうした活動も大切かもしれないが、私は環境対応の面がもっと重視されるべきだと考える。現状では、企業の冠がついた美術館に行った方が消費者にとっては受けがいいように感じるからだ。

 なぜ企業が環境対応に手を出しづらいかという問いの答えは明白だ。金にならないからである。結局はビジネスモデル(利益モデル)が上手くいかないと続かないのだ。

そういうわけで、オルタナに紹介されていた高知県を始めとする林業復活への取り組みは興味深いものであった。間伐を通して環境対応と利益モデルの両方を実現した事例である。これまで森林が放置されてきた理由は、①林業作業路の不足で人が入りにくいこと。②木材価格が安く、収入が得られないこと。③森林組合に保守的な人が多く、新しい発想が生み出されなかったことだった。これらの課題が改善され、林業は復活を遂げたわけである。私はこの中で最も重要だったことは、③が改善されたことにあると考える。結局は人材が①②の課題を改善したわけである。

人材が改革を起こす可能性は二つ。別のフィールドから新しい人材が入ってくること、既存のフィールドで人材が考え方を変えてみること。どちらにしても人材が変化を起こす代案(オルタナティブ)を考えなければ変化は起こらない。今回は今まで放置されてきた森林を生かしてビジネスモデルを作った市原氏のまさにオルタナにふさわしい事例である。
林業の事例は高知県以外にも広がりを見せている。できることならば、環境対応事業が環境税などに締め付けられてではなく、利益を生み出しあうことによって大きく広がっていくことが望ましいと感じた。

 さて今回オルタナを二号続けて読んでみたが、全体を通してのオルタナのメッセージをある程度感じることができたと思う。それは、普段私たちが何気なく見落としがちな当たり前の事実(ビジネスはコストだけではない)に気づかせてもらえること。また、先に述べた現状の中で今のままで本当にいいのかと悩んでいる人たちに、未来へ向けてのオルタナティブを提案していくということである。

 私自身読んでみて、環境への取り組みの中に預金する銀行を選ぶという発想があったことに気づかされた。欧州のベスト企業に選ばれていた「トリオドス銀行グループ」や日本では非営利の「NPOバンク」に預金することで環境にやさしい事業に融資していることになるのである。自分が実際に預金してみるかは別として新たなオルタナティブを提案されたことになる。

 最後になるが、本著の中でオルタナが有料化されたことへの言及があった。本著の趣旨である「環境問題を経済という視点で捉え直し、社会に影響を与えている企業の意識を変革していこう。」という考え方を見るかぎり、有料化は効果的ではない気がする。できることならば、オルタナのような環境への新しい価値を提案する媒体が、一般の環境に興味がない人たちの手にも渡るようになればと思った。

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#2 雑誌『オルタナ』を読んで:CSR活動が当たり前となった時代に考えるべきこと
土生淳子

 環境と社会貢献と「志」のビジネス情報誌『オルタナ』を読んだ。今までいろいろな雑誌やフリーペーパーを読んできたが、これは新感覚の専門誌だと感じた。環境問題やそれに対する企業の取り組みに関してストイックに述べている点が新しいと感じたのだ。
ただし、結論から言うと、オルタナにはまだまだ発展の余地があると思う。なぜならオルタナは消費者の視点を欠いているからだ。CSR活動の内容や理念ばかりでなく、それらを消費者に伝える方法や、消費者の理解を得るための画策についてもっと語られるべきなのではないだろうか。

 オルタナは誰のための読み物であるか。もちろん、ビジネス情報誌であるからには、経営者やビジネスマンをターゲットとしているはずだ。
ではどのような経営者・ビジネスマンであるかというと、2タイプがあると思う。一方は環境やCSR活動に高い関心があり、既に何らかの活動をしているタイプ。彼らにとっては、一般情報誌や新聞だけでは伝わってこないコアな情報や知識人の見解を知ることができる効果的なツールであろう。
もう一方は、CSR活動をすべきだと感じているものの、どこから始めれば良いのかわからないというタイプだ。恐らく、CSR活動は単純そうに見えてなかなか難しい。経営を圧迫して会社が成り立たなくなっては元も子もないし、活動が事業内容からかけ離れればただの慈善活動になってしまう。企業の発展にばかり腐心してきたオジサン経営者などは、CSR活動を事業のどのあたりと絡めれば良いのか、見当もつかなかったりするのではないだろうか。オルタナを読み、CSR活動の多様性や面白みを知ることで彼らが得るものは大きいだろう。とくに『環境・CSR経営世界ベスト77企業』という特集は、幅広い地域・業界から企業をピックアップし、その独特な活動を紹介している。これは多くの企業にとって参考となるものだ。

企業がCSR活動に積極的になるのは、誰の目から見ても望ましいことだ。だが、活動が経営者の自己満足で終わってしまっては意味がない。活動を成功させ、継続させるためには、消費者の理解と支持が必要だ。
はっきり言って、CSRを実行するだけならば独自性などは問題ではない。例えば10ある企業が全て風車の電力を使ったとしても、独自性がないから環境に配慮したことにはならない、とは言えないのだ。それでも企業がCSR活動に独自性を持たせたがるのは、他社との差異を明確にして、他社よりも自社の製品やサービスを購入するようにアピールしたいがためだと考えられる。
この考えの中には消費者の視点がしっかりと組み込まれているのに、なぜ、消費者に効果的にアピールする方法が語られないのだろうか。勿体無いように感じる。

消費者への効果的なアピールを成功させた例として、ダノンウォーターズオブジャパンの「1ℓ for 10ℓ」について考えてみたい。ミネラルウォーターのボルヴィックの売り上げ1リットルごとに、アフリカで10リットルの清潔で安全な水が誕生する、というプロジェクトで、もちろん価格は据え置きだ。オルタナ8号のユニセフPRページでも小さく取り上げられていた。
「1ℓ for 10ℓ」はテレビCMでもよく流れるし、商品のパッケージにも印刷されている。私はテレビCMを見てから、積極的にボルヴィックを買うようになった。南アルプス天然水かミナクアか、それともボルヴィックか、というときには必ずボルヴィックにしている。
ボルヴィックのアピールは非常に明快で、500ミリリットルのペットボトルを買うたびに「お、5リットル誕生」と認識できるのが良い。
サントリーもコカ・コーラも、もちろんCSR活動をしているはずだ。けれどもその実態は消費者が積極的に調べでもしない限り伝わってこない。消費者が何も知らずにサントリーの製品を購入し、結果的にCSR活動を支援していたとしても、それは本当の意味での成功とはいえないだろう。

多くの企業のCSR活動は、内容が細かく複雑でわかりにくい。例えば二酸化炭素の排出量削減などをアピールする企業が多いが、私たちには実感がわかないため、効果的ではないと考えられる。
節約云々についてもそうだ。エネルギーの節約やゴミの削減は当たり前のことで、そこをアピールしても消費者の購買意欲は刺激されない。

私はボルヴィックの「1ℓ for 10ℓ」を知ったとき、CSR活動の目指すべきところを見た気がした。消費者個人では成し得ない大きなアクションを、消費者の力を集結して成功させること。それに賛同してたくさんの顧客が集まることだ。

CSR活動は今や当たり前の活動となった。しかしながら、その助けとなる存在は貴重だ。オルタナには、企業の自己満足を抑制し、消費者の視点に立ったCSR活動を提案していって欲しい。

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#3 Wonderful World 徳山 幸美

 Wonderful World―これは私の好きなアーティスト“ゆず”のツアーのタイトルである。今回のツアーはいつもと違かった。緑で覆われたステージ、オーガニックコットンで作られたツアーTシャツ、エコバッグ販売、植樹活動団体への寄付金など環境保全を考えた「ロハス」なツアーであったのである。

 私は、このツアーに非常に感銘を受け、同時に自身の行動を反省した。ゴミをたいして分別もせず、便利だからと言って使い捨てのものを買い、リサイクルもほとんどしていなかったのである。なんとも自分が器の小さい人間に思えた。そんな最中に本書を読み、ツアーで影響を受けた直後だった私は、企業の様々な取り組みに心底感動した。私がひと手間を惜しんでいる一方で、企業は長い期間かけて戦略を練り、実際に行動を起こしているのである。企業の取り組みに尊敬の念を示すとともに、持続性のある社会から永続できる社会になるためには、個人個人が環境保全の取り組みをする必要があると切に感じた。ここで私は「ロハスウーマン」になることを心に誓ったのである。

 ロハスウーマンになる第1歩として、私はまず、タンブラーを購入した。コンビニでペットボトル飲料を買う代わりにタンブラーにお茶を入れて持ち歩くのである。この行動は、環境に良いだけではなくペットボトル飲料代150円が節約できるといったメリットもある。今思うと、1ヶ月にして約4500円も無駄使いしていたことにもったいなさを覚えた。また、最近では、どこのカフェでもマイタンブラーを持参するとドリンク代20円引きというサービスが実施されている。ロハスな生活を送ることはお金がかかるものばかりと思っていたが、長い目で見ると自分にとってメリットが多くあることに気付いた。実際に自ら行動すると気付かなかったことに気付くものである。

 次に行なったのが食生活の改善である。スーパーの安売り野菜からオーガニック野菜を購入する様にしたのである。私には、まだ効果は現われていないが、いち早くオーガニックな食生活を送っていた私の友達は、体調が良くなったと言っていた。今まで薬でも治らなかった背中のニキビが消えたというのである。ロハス生活は自分の健康にもダイレクトに繋がることを実体験として教えてもらったことにより、ロハス生活を送らないことのほうがもったいないとさえ思えてきた。私は、真のロハスウーマンになるために、これからも小さなことでも環境を考えた行動をしていこうと考えている。
 以上のようにロハス生活を実践しているわけだが、わかったことが3つある。1つめは「ロハスは伝播する」ということである。私がタンブラーを買ったことによって、妹も友達もタンブラーを買い、持ち歩くようになり、オーガニック料理にもはまるようになっていった。少なからずやロハスには興味を持っているが、1歩踏み出せないという人が大勢いるのではないだろうか。だからこそ、自ら行動し、周りに影響を与えていくことが大切になってくるのだと思う。また、「伝播する」にはもう1つの意味がある。それは、1つロハスな取り組みをすると、2つ3つと、どんどんロハスな取り組みをしたくなってくるということである。私自身もゴミの分別を徹底したり、洗剤を使わなくてよいスポンジを購入するなどロハスにはまっていっている。

 2つめに分かったのは「ロハスは格好いい」ということである。先ほどの伝播するという話も、ロハスに興味を持っていることに加えて、ロハス生活を送ることを格好いいと思う心があったからこそ起こるのだと思う。実際に私が、ロハスウーマンになる第1歩としてなぜタンブラーを選んだかというと、タンブラーを持ち歩いている人を格好いいと思ったことが理由である。

 3つめは「ロハスは心に余裕をつくる」ということである。一般には心に余裕がある人がロハス生活を送ると思われがちだが、実際は逆なのではないであろうか。私自身、就職活動中、自分のことで手いっぱいになっているときに、タンブラーを手にしたことによって心に余裕ができたという経験がある。“自分の行動が地球環境保全に繋がっている”と思うことによって、自分の中だけに向いていた意識が外にも向き、余裕ができたのである。

 ロハスは以上のように、自分にとっても地球にとってもメリットばかりの素晴らしい活動である。しかし、広まりつつあるものの、まだまだロハスという考え方が世界に浸透していないのも事実である。いつかロハスが世界中に浸透し、世界中の人々が心に余裕をもっているWonderful Worldになって欲しいと心から思う。

        世界よ今日も回れ回れ 君と僕を繋ぐ
       未来へ向けて進め進め 君も僕も生きていく
                    ―――――ゆず『ワンダフルワールド』より

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#4 何のための、誰のためのビジネスか 阿久津裕美

 今回の課題図書のテーマは【環境・CSR経営について】のものだ。コンプライアンスやCSRについての考えは、実際に就職活動の中で参加したいくつかの企業セミナーでも必ずと言っていいほど説明されるものだった。それ程、近年では企業の環境と社会貢献には注目が集まっており、企業側としても力を入れている分野になってきている。本書では、その中でも特に優れている【環境・CSR経営世界ベスト77企業】が紹介されていた。
しかし驚いたことは、この77の企業に挙げられている中で、私が知っている企業は2つしかなったことだ。
私は、企業のCSRについて考えるとき、このベスト77企業にも選ばれており、以前に課題図書でも読んだ【パタゴニア】のことを思い出す。以前の課題図書に述べられていた、“健康な地球がなければ、株主も顧客も、社員も存在しない”という言葉に、私はハッとさせられたからだ。その言葉には、ビジネスとは、株主でも、顧客でも、社員でもなく、地球に対して責任があるという思いが込められている。それを斬新な考えのように感じるのは、やはり環境問題に対しての危機感が、私だけでなく私を取り巻く環境、さらに大きく言えば日本全体に根付いていなく、まだ他人事のように考えているからだ。
私は以前、ある大企業のオフィス清掃のアルバイトでゴミの回収やデスク周りの清掃をしていたことがある。“ムダな紙を減らす”“環境への配慮”などとその企業のホームページには大々的に掲げられているものの、シュレッダーのゴミはアルバイト6人の腕や手が真っ赤になるほど多くて重く、重要そうな書類もそのまま燃えるゴミの横に詰まれていた。さらに燃えるゴミと燃えないゴミの分別もままならない状態だった。いくら企業のトップがコンプライアンスやCSRの取り組みを掲げても、実際にその下で働く何千・何百という社員たちに意思が伝わっていなければ、何の意味も成さない。パタゴニアのような考えや社風が、社員1人1人に浸透し、実践できるようにならなければ、本当の意味で【環境保全に取り組んでいる】とは言えないと感じる。
企業の根本的な存在理由は【利益を最大化すること】である。確かに企業が利益を上げ、人や暮らしをどんどん豊かにしてくれることは大切なことだと思う。しかし利益の追求は環境を犠牲にしなければならないときもある。皆が知っている大企業が“自分だけは良いだろう”と利益の追求だけに走り、環境保全についておろそかにしてしまうことはとても寂しいことだと私は思う。利益と環境保全は相反するものではあるが、大企業こそ積極的に取り組んで欲しいものである。
そして、もう1つ思うことがある。それは、企業の利益追求によって犠牲になるのは環境だけでなく、人でもあるということだ。今、世間では岐阜県の食肉卸売会社『丸明』の飛騨牛偽装問題が大きく取り立たされている。同じく、船場吉兆が客の食べ残しを使いまわしていた問題で廃業になった事件も記憶に新しい。食の安全・安心は、私たち消費者にとって以前は当たり前に存在していたのに、環境や時代の変化によって、残念ながら利益を守るために消費者を裏切ってしまう企業が少なからず存在している。
本書の阪本啓一氏の【何のためのビジネスか】というコラムは中国製ギョーザ問題に触れ、環境問題について言及している。
――――――“コストのみの論理で生産国を渡り歩く、いわゆる『渡り鳥企業』がグローバリズムの象徴だが、見落とされがちなのは、ビジネスはコストだけではないという当たり前の事実である。そもそもビジネスとは何のために行っているのか。だれの幸せのためか。ここを無視してはいけない。”―――――――
コスト削減のために海外で生産したものが、海や空気を汚しながら自分の国にやってくる。バンカーオイルから排出された汚染物質によって、年間推定6万人もの人が亡くなっているというのだ。企業の利益追求を目的とした、このコスト削減によって、誰が幸せになったのだろう。それによって犠牲になった人々や社会的信用は、浮いたコストでは換えられない。コスト削減・利益追求のために二酸化硫黄を撒き散らし、海を汚し、犠牲になっている人々が居る。これが企業の求めていた姿ではないはずだ。企業はもう1度【企業の社会的責任】は“何のため”“誰のため”に果たされなければならないか考え直す必要があるだろう。