「馬肉、馬油の商品開発と販路拡大」 ((株)中江 桜なべ専門店 創業明治38年」

台東区日本堤にある桜なべ専門店「中江」は、来年創業百周年を迎える。以下の相談が、台東区中小企業総合コンサルティングネットワークとのコラボレーションの仕事として、「法政大学地域研究センター」に持ち込まれた。研究センター所員であるIM研究科・小川教授を主担当とすることで、IM研究科のフィールドワーク課題としてコンサルテーションサービスを受けることが決まった。


4代目社長の中江白志氏(41歳)が提出してきた台東区の<相談票>には、以下のことが記されていた。

1 馬肉、馬油など、「馬」ブランドの確立
 馬肉は、高タンパク低カロリー低脂肪で、鉄分とコラーゲンが豊富である。ウイルスや病原菌や寄生虫にも冒されない安全で安心な畜肉である。が、「臭い」「固い」などの誤った先入観をもたれ、敬遠されることがある。この誤った先入観を払拭するのみならず、「馬肉は人類にとってかけがえのない食材である」とのブランド力、存在価値を高めるための方策。
 → 健康食材である桜肉のイメージアップを試みながら、桜なべ専門店としての老舗ブランドの位置を確立していきたい。

2 馬油配合化粧品の販路拡大
 現状は、自店(飲食店舗)とHPを使ったインターネットでの販売が主たるルート。馬油は古来から万病の万能薬として、民間で親しまれていた。実際に美容(美肌、しみしわく)、肌のケア(やけど、しもやけ、アトピー)、健康(肩こり、冷え性)への効果効能については評価が高いが、医薬品として認められていないため、薬事法の関係で効果効能がうたえない。この、不認可であるが、明らかに古来からの効能がある神秘的な馬油を用いて世界で初めて作られた美容液のさらなる販路の拡大。
 → 創業95周年の際に販売をはじめた馬油配合化粧品の販路拡大

 HPをごらんの方は、以上二つの課題を考えてください。わたしが担当している専門職大学院の学生と学部生のグループ(約10名)が、二ヶ月で相談に対して答えを出すことになります。以下は、参考資料(小川の取材記録:中江社長 2004年5月26日)です。

 <桜なべ中江の歴史>
 (株)中江の創業は明治38年(1905)にさかのぼる。新潟から上京した初代の中江君太郎が明治20年に黒門町にて修業を始めたのが創業のきっかけである。初代、2代目が経営していたころの明治・大正期には、桜肉だけでなく豚肉も使っていたらしい。醤油ベースの割り下だけでなく、みそだれを使っているのが桜なべの特徴である。
 創業当時、吉原の周辺には吉原田圃と呼ばれる田んぼが広がっていた。遊郭で遊ぶ前、粋客が勢力をつけるために馬肉を食べるようになったので桜なべが広まった。文明開化のとき、横浜から広がったのが「牛なべ」の文化であり、同じ時期に、その流れを汲んで始まったのが「桜なべ」の食文化であった。現在も吉原大門の周辺には老舗の飲食店や食肉店が多い。中江が創業したころ、日本堤通りには約20軒の桜鍋料理店があったと言われている。
 中江は桜なべ店としては後発組であったが、戦前・戦中の2度の大火から焼失を免れている。明治44年の吉原大火、昭和20年の東京大空襲である(関東大震災では焼失)。中江の店は幸いにも焼失することがなかったので、戦後すぐに桜なべ専門店の営業を再開することができた。昭和33年、風営法の施行により赤線が廃止され吉原遊郭が消えることになった。戦後も十数件あった大門周辺の桜なべ専門店も、その後は徐々に数を減らしていった。現在では、桜なべ専門店としては中江を残すのみとなった。ただし、馬肉を販売する食肉店としては、数軒が残っている。
 4代目の中江白志氏(41歳)は現在、吉原大門近くの日本堤で、「桜なべ専門店」を経営している。資本金1千万円、飲食売上高は約一億円である(2003年)。飲食店舗は、正社員4人(本人含む)、パート4人で運営されている。営業時間は、午前11時半~午後13時半、午後17時~21時半。先代のころは、午後15時~22時半の営業であったが、4代目はランチタイムメニューを取り入れ、営業時間を昼からにした。なお、馬油配合化粧品の販売は、飲食店舗とネットで年間約100セットが売れている。

 <桜肉の調達ルート>
 4代目の白志氏が店の手伝いに入ったころ、なべの材料になる桜肉は芝浦の食肉市場から仕入れていた。しかし、戦後モータリゼーションの進展により、東京で良質な桜肉を調達することがしだいに困難になってきた。3代目のころ(1986~87年)、代替品を九州久留米に求めることになった。同時に、青森からも材料を仕入れていたが、品質の問題で現在では、調達先は久留米の牧場だけになっている。久留米の食肉馬肥育牧場では約2000頭が飼育されている。
 日本で食されている馬肉の調達先は、約80%が海外である。カナダ、オーストラリア、中国、アルゼンチンが代表的な輸入先である。これらは、放牧で肥育された馬であり、肉質が固くやや「あお臭い」といわれている。ほとんどがコンビーフなどの加工用に回される。
 残りの20%が国内産であるが、その半分以上は、外国生まれの日本育ちである。純粋な国産は1割にも満たない。中江が仕入れている馬肉は、北海道産(繁殖牧場)、九州育ち(育成牧場)である。遺伝子組み換え飼料や抗生物質を使っていないので、「安心で安全な桜肉」である。完全なトレーサビリティが保証されている。馬肉は固くて臭いという一般的なイメージがあるが、中江の桜肉は柔らかくておいしい。低カロリーの健康食である。

 <馬油配合化粧品の製造販売>
 もともと馬油は、やけどや美容によいとされ、戦前から民間薬として利用されていた。創業95年目の2000年、創業記念事業として、4代目は馬油配合化粧品(美容液)を作って知り合いに配った。美白用、乾燥肌用、クレンジングクリーム、洗顔石けんの4点である。製品スペックは中江が考案し、荒川の製薬会社に委託生産してもらった。この会社は、化粧品のOEMブランドを生産している地場企業である。
 当初はとくに大々的に宣伝しなかった。それは、店主として馬油配合化粧品に副作用が出ることをやや心配していたからである。しばらく商品を自店(飲食店舗)において様子をみていたが、3年間でリピートオーダーがぼつぼつ入っていた。とくに問題がなさそうなので、販路の拡大を考えるようになったのが2003年からである。
 台東区の補助事業として、HP制作の35万円、サイトの運営費用として月々6万円の一部を補助してもらうことになった。ブランド名は、フレーメル化粧品(fleemel)である(http://www.nakaerou.com)。2003年の実績では、100セットを販売している。中江としては、これを1000セットに伸ばしたい。中江が考えた基本コンセプトは、「内外美容(内からの美容(桜肉)と外からの美容(馬油配合化粧品))」である。

 <桜肉の新しい販売方法の模索>
 日本堤通の現有の店舗(一階30席、2階宴会用+個室計60席)だけでは、売上を伸ばしていくことに限界がある。2004年4月、百貨店内に一週間だけ出店してみることにした。日本橋高島屋のデパ地下フェアで「桜肉弁当」などを販売してみた。そのため、一週間だけは、店の方は「ランチタイム」を休むことにした。
 デパ地下で販売したのは、「さくら弁当(680円)」「桜肉にこみ(500円)」「つくだに(350円)」「さくら鍋セット(1700円から3600円)」であった。日販30万円を予定していたが、実績は10万円に満たなかった。一週間のトータルで売上200万円を見込んでいたが、結局は65万円しか売れなかった。中江は、カテゴリーとしての桜肉の知名度の低さを実感することになった。老舗ブランドである「桜なべ中江」を知る人は少ない。
 弁当を販売していて商品を見た客が、「桜肉って? あっ、猪肉のこと」などと反応するのが典型例であった。
 飲食店舗での販売では、4代目として事業を引き継いだ数年前から、少しずつメニューの提供方法を改良する努力をしている。もちろん、昔ながらの製法(醤油の割り下にみそだれ)と基本メニュー(桜なべ)は維持しながらではある。とくに、最近試みて成功していたのは、季節メニューの導入と小皿化である。たとえば、夏季限定で秋田フェア(「ジュンサイ」+「桜なべ」+「あきたこまち」)で、素材に拘った季節メニューを導入している。
 また、新規顧客に対しては、コースメニューを小皿化して食べやすくするなど工夫を凝らしている。顧客の構成は、70~80%が常連客と常連客が連れてくる顧客である。4年前に店舗改装したが、改装後に営業再開を知らせるダイレクトメールを500通ほど送っている。2~3ヶ月間で、集まった名刺から作成したリストによるモノである。
 新規の顧客は、新聞・雑誌記事、テレビ報道、HPなどから入ってくる。全体の10~20%と見られる。「きちんと調べたことはない」(中江氏)。