大学教員の通信簿

昨年度から法政大学は、原則として、全員の教員に「通信簿」を配布してくれるようになった。いわゆる、「学生による授業評価アンケート」の結果である。


先週、わたしにも春学期の「大学院IM研究科:マーケティング論」(受講者27人)の通信簿が送られてきた。今回は、昨年度より評価が上昇していた。単純に素直にうれしいことではある。
 「この講義には熱意が感じられましたか?」など、大学が用意した調査項目が数十項目ある。平均は4.6~4.7点前後である(5点満点)。おおよそ3人にふたりが満点(5点)で、ひとりが4点といった感じである。数人ではあるが、シビアな評価(3点:どちらとも言えない)もあった。この評価点は、経営大学院IM研究科に関して言えば、大学院生が集まる談話室に全教員分が掲示されると聞いている。各教員の評価情報はすべて公開される。一昔前までは、とても考えられないことである。
 大学教員が自らの授業を学生たちから評価されるのは、とても良いことだと思う。わたしの授業に関して言えば、昨年度に悪い評価がついた部分を今年度は改善できたから、本人にとっても学生にとっても幸せなことである。それにも関わらず、一昨年の導入に当たっては、学内で強烈な反対意見があった。反対派の主張は、以下のようなものであった。
 第一の論点は、学生は全員が授業に毎回出席しているわけではない。そんな学生たちが教師の授業を評価する資格はない、であった。これは、どの程度授業に参加しているのかを調べてから評価を平均することになった。ちなみに、学生の評価は、一般的には「フェア」(公正)であると感じることが多い。学生は教師の態度に敏感である。学生を信用していないから、授業の評価が悪く出るのではないか?
 第2の論点は、授業評価の結果が、何らかの意味で「雇用」と「給与」に関連付けられる心配である。極端に評価が低い教師は、減俸になるとか、最悪の場合は「首になる」などの懸念である。そんなことは、雇用契約上はできるはずがない。本音は、自分の授業がきちんとできていないことが、世間に明らかになることを恐れての発言であったように思う。良いモノはよい、悪いモノは悪い、と言われるのは仕方がないことである。
 第3の論点は、評価情報が外部に漏れはしないとの懸念であった。集計を外部委託することに対しては、一部の教員から強烈な反対があった。結果として、データ集約作業は、どのようになったのか?内部でデータ入力作業を実施することなど、入学試験でもやっていないことである(笑い)。学部の執行部を経験したひとならばそのことを知っているはずである。というわけで、実際のデータ処理には何ら問題は起こっていない。
 以上、大学の教員もようやくふつうの労働者なみに、仕事の改善に努力する動機付けを得たわけである。そこまでやるのならば、良き教員をもっと厚遇してほしいと思うのは、わたしだけであろうか?