「おおやかずこ食文化塾」で、ロック・フィールドの岩田弘三会長と対談する機会をいただいた。場所は、ホテルルポール麹町。事務局とは、2週間前に打ち合わせを済ませていた。そして、インタビュー形式での対談シナリオを事前に作っていただいていた。それでも、インタビュアーとしては、岩田会長との対談のトピックスが散ってしまうことが心配だった。
前日も京都から東京に戻る新幹線の中で、いただいた「90分間のシナリオ」を修正する試みをしていた。「あれをたずねよう、これはやめにしようか」と考えながら、結局は出たところの勝負になってしまうだろうが。これまで「日経MJ」などで、岩田さんとの対談やインタビューを何度も経験している。準備は事前にするのだが、新聞社や雑誌記者の望み通りに話が展開したことなど一度もなかった。
しかし、今回は岩田さんの準備の様子がいつもとは違っていた。「おおやかずこ食文化塾」への登壇(2003年から連続16回目)が、今回で最後になるとのことだった。フードビジネスの業界関係者が、100人ほど麹町の会場に集まることが予定されている。メーカーや小売サービス業の幹部レベルの方たちである。
そのことと関係があるのだろう。事前の打ち合わせでは出なかったあるトピックを、「岩田会長の発言(2月13日の打ち合わせ)」(メモ)という形で、事務局(ロック・フィールドの社長室)が用意してくれていた。
<岩田会長の発言>:
過去からの超一流シェフとの関係、友好関係やコラボがあったことが、今日の「サラダ」、「料理」、「フライ」・・・に繋がっているし、わたしたちの企業カルチャー、「DNA」として今につながっている。
デザインについても同じであり、一流のデザイナーやコピーライターとの関係を通して、第一人者が持っている「感性」を大切にしてきたことが、わたしたちの「ファクトリー」、「店舗」、「商品」そして「ブランディング」に生かされてきた。
30年、40年とそのような「超一流」の人たちとやってこられた事自体が、会社にとっても大きな「財産」となっていると思う。
* * *
岩田さんとのお付き合いの中で、わたしが長年抱き続けてきた素朴な疑問があった。
岩田さんが、前後三回ほど、自らの業態を根本から変えていったとき、多くの一流の人物たちと出会っている。しかも、そのひとたちとは、その後20年30年と継続的にお付き合いができている。それはなぜなのだろう?
リストを作ってみると、その中には、国内外の有名シェフやデザイナー、コピーライターが登場する。超一流の人物には、安藤忠雄さんのような世界的に著名な建築家たちも含まれている。事務局が準備してくれたメモに、そのことが明示的に書かれていたわけである。そんなわけで、対談の中では、つぎのような発言を岩田さんに対する質問というの形で試みた。
「(岩田さんが)一流のひとと出会えたのは、単なる偶然や幸運ではないと思います。それは、どのようにして実現できたのですか?しかも交友関係が長く継続していますね」
わたしの質問に答えて、岩田さんは一流の人たちとの出会いを説明してくださった。いつどこでどのように出会い、何を話したのか。そのなかで、とくに印象に残った言葉があった。
岩田さんの好奇心(知識欲)が超一流のシェフたちの興味を引いたのはまちがいない。しかし、それ以上に重要な要因が絆の形成に作用していた。彼らとの関係が長く続いたのは、そうした人物たちの仕事を敬う(リスペクトする)岩田さんの気持ちだった。たとえば、わたしのような学者の意見に対しても、岩田さんは真摯に耳を傾けてくださる。
きっと岩田さんから質問を受けるシェフたちは、ある種の「心地よさ」を感じたのだろう。超一流から学びたいという心からの知識欲と人間の能力に対する尊敬のまなざし。
事務局のメモを再度要約してみる。「(わたしたちが)第一人者の感性を大切にしてきたことが、ファクトリー、店舗、商品そしてブランディングに生かされている。長きにわたり、超一流の人たちとやってこられた事自体が、会社にとっても大きな財産となったのだと思う」。
ビジネスとブランドに対するこの謙虚さが、いまのロック・フィールドの礎を作っている。そして、ロック・フィールドの遺伝子の中に、「超一流の思想」がしっかりと組み込まれている。その形成のプロセスを、「おおやかずこ食文化塾」の最終回で、岩田会長から聞き出すことができた。