こんなに楽しかったことは、この数年であっただろうか?昨夜は祇園の花傳(お茶屋やさん)で、芸妓さん・舞妓さん遊びに興じた。わたしたちのお相手してくれた芸舞さんは、小梅さん(芸妓さん)と叶子さん(舞妓さん)。西尾久美子先生(京都女子大教授)のお導きで、生まれて初めてのお座敷遊びを楽しんだ。二年間、毎週のように京都に通ってよかった!と思える一日だった。
わたしのリズム感のなさが、5人の前で暴露されてしまった。お囃子の歌に乗れないので、グーとパーを一緒に出してしまったのだ。それも、なんどやってもうまくいかないのだった。とても恥ずかしかった。罰ゲームでは、たくさんビールを飲まされて酔っぱらってしまった。
さて、最初のお座敷遊びは、お姉さんの小梅さんの三味線に合わせて、お客さんと舞妓さんが、「じゃんけんゲーム」をする遊びだった。舞妓の叶子さんの最初のお相手は、一番若いわが娘の知海(ともみ)さん。「金毘羅ふねふね、、、」とうたいながら、舞妓さんとお客さんが袴(はかま)を奪い合う遊びだ。
日本酒の「袴」(おちょこを置く丸い漆器)を交互に手に奪い取りながら、相手が袴をもっているときは「パー」(右手を開いて出す)か、袴をもっていないときは「グー」(袴の上で手を閉じる)を出すゲームだ。昨夜は6人が参加したが、舞妓ちゃんに一瞬で負けてしまったのは、わたしだけだった。
林麻矢さんも、かみさんも、ともみも、それぞれが上手にリズム感よく袴を手に取っていた。もちろん、お座敷遊びの師匠でもある西尾先生は、この遊びはお手のものだ。でも、負けても楽しいのが、お座敷遊びのよいところだ。
お座敷遊びがはじまったのは、お茶屋さん上がり込んで1時間ぐらい過ぎてから。そこに至るまでに、舞妓さんの踊りを見たり、芸妓さんのお三味線を楽しんだりしている。親しくなって会話が盛り上がったところで、お座敷遊びがはじるのだ。このタイミングがうまくできている。
西尾先生の解説によると、遊びのルールは「じゃんけん」のように単純なものばかりなので、海外のお客様も楽しんでいただけるらしい。確かに、これが日本のおもてなし文化の神髄なのだろう。舞妓さんがわざと負けてくれたり、お客様がそこそこに良い気分になれるようにお座敷ゲームは進行していく。
実は娘もかみさんも、「祇園のお座敷って敷居が高そう。やっぱりやめにしようかな、、、」と、一週間前までぐじぐじしていた。ところが、今朝になって、「楽しかったです!!こんなお誘いをいただきありがとうございました」という返事が返ってきた。「ともみも、おんなじことを言ってましたよ」(かみさん)。
このお座敷遊びには、最後に大きなおまけがついた。舞妓さんたちの遊びが一段落したところで、女将さんが、自分の出身のことを話し始めた。なんと!花傳の女将は、茨城県水海道市(みつかいどう)の出身だった。最初は(15歳くらい?)、クラシック・バレーを習うために京都に出てきたのだという。それが、舞妓さんになるきっかけだったらしい。そんな舞妓さんのキャリアもありなのだ。
三味線や踊りを習う芸事の話になったときだった。わたしが、「このさきタイミングを見て、東京下町で三味線を習うつもりでいます。伯母が三味線を二本残したので」と話すと、おかみさんから、まさかの逆提案があった。「それなら、にいさん、舞妓さんたちとご一緒に、お座敷で小唄をならわはったら?」(この京都弁は正しいだろうか?)。
話はさらに先に進んでしまった。来月から、三味線と小唄を習いに京都に出てくることなってしまったのだ。京都女子大の授業は、来年度はお休みになるが、神戸のロック・フィールドに3月から毎月通うことになっている。その行きか帰りに、宮川町のお茶屋さんに小唄とお三味の稽古で寄ることになってしまった。
長く探していた、三味線と小唄のお師匠さんが見つかってしまった。同時に通うべき稽古場も決まってしまった。長年の懸案事項が一瞬にして解決してしまったのだが。
なんという、お座敷遊びのお土産だろう。それにしても、いまは酔いが覚めてしまっている。わたしは毎月、ぼんとうに宮川町に通えるものなのだろうか?
一年後には、花傳のお座敷で、舞妓ちゃんたちと一緒に習った小唄を、みなさんの前で披露する約束もしてしまったらしい。飲みすぎたので、そのことはよく覚えていない。しかも、「柳××」という名前で、いずれ「名取」になることも、その場で女将さんが確約してくれたらしい。
どんどん話が進んでいる。。。。この話、先は大丈夫なのだろうか?