津田さんが退職して、リスボンに移住することになった。ポルトガル在住の旦那さんと暮らすことに決めたからである。昨年末に東京駅近くのレストランで津田さんの結婚を祝った。その翌日に書いて、一旦は「非公開」にしていたブログを再掲載する。わが願いが叶ったからである。
<オリジナル文書>
(2012年12月21日夜半)
MPSジャパンの津田歌世子さんが、濱岡姓に変わった。二か月ほど前のことである。お相手は、大学のふたまわり後輩(40歳)で、英文科の卒業生らしい。東大文学部だから、中退して芥川賞をとるか(たくさんの事例あり)、お巡りさんのご厄介になるか(ライブドアのホリエモン)である。
その他の道としては、大学教授という比較的まっとうな道もある。濱岡さんは、そのどれにも属していない。現在、ポルトガルのリスボン大学に在学中で、現役のドクターコースの学生である。専門はアフリカ(文学?)らしいが、詳細はよくわからない。
昨夜は、津田さんのお祝いと、JFMA・MPSと忘年会を兼ねていた。詳しい話は、お酒を飲みすぎていて、よく覚えていない。宴会の場所は、東京駅近くのオアゾビル5Fのチャイニーズレストラン「オーキッド」。眼下に東海道新幹線など、ホームに入ってくる電車が見えて、「乗り鉄」にはたまらない場所である。
会話の中で印象深く覚えているのは、津田さんと濱岡さんが、「ミクシー」で知り合ったことである。しかもである。最初に入力した「国際貢献」、という検索文字でお互いを知ったことである。キーワード検索でヒットしなければ、ふたりはめぐり合わなかったことになる。
わたしはこれを、「検索結婚」と呼びたくなった。出会い系ともちがっていて、特殊的、現代風である。わたしが驚愕したのは、遠距離恋愛(日本とポルトガル)だから、結婚に至るまで一緒にいた時間は、いまだに合計で数日だという。
そんな恋愛の形や、結婚の仕方があるのだ。お見合い結婚とは対極であるが、標準的な恋愛結婚ともちがう。人生は、それこそ実にさまざまである。
そんなわけで、今月(12月)26日に、津田さんは二週間ほど休みをとって、ポルトガルに行くことになった。楽しみであると当時に、不安でもあろう。まあ、これでもう帰ってこないことを祈る。「(ふたりが)離れたくなくなる」くらいのほうが、幸せな気がするからだ。
宴会の席で、津田さんに、会長のわたしから、リスボン滞在中のレポートを課した。以下は、そのときに、わたしの掌にモンブランで書き留めた津田さん向けの課題である。
400年ほど前に、日本人は、ポルトガル人から4つのことを学んだ。カステラ、テンプラ、ポートワイン、そして、火縄銃の使い方(笑い)。これらは、その後、どのようになっているのか?現地で調査して、小川に報告せよ!
3週間後の報告を楽しみにしている。ただし、レポートは、リスボンからは送らないように。
なぜなら、PCで何かを書いている時間など、ふたりには持ってほしくないからだ。はじまりは何であれ、結婚生活には、もっと肌感覚が必要なものだよ。人生の大先輩からのメッセージ。