『タブーを売る』
第一話 「生まれ変わるためのお値段」(エスティティックサロン)
「お客さま、申しわけございませんが、いつものように、向こう側からヘルスメーターに乗っていただけませんでしょうか。体重、測定させていただきますので」
美由紀はいやな予感がした。体重を記録しているエステティシャンの動作に、かすかな疑いを覚えたからである。そういえば、最初の日から今日まで、自分の目で体重計の目盛りを見ていないような気がする。計測結果は衝立の向こう側に表示されるので、自分では数字が確認できない。
このエステに通いはじめて、これで四日目になる。すすめられて受けた体験コースは、あと一日で終わる。毎日の”苦行”の成果を確認するために、担当の女性が美由紀の体重とスリーサイズを測ろうとしている。はじめる前と終わってから、ここでは一日二回ずつ体重を測定する。
クラスメイトから、《一日体験コース3,000円》の割引券をもらったことが、このエステに足を向けるきっかけだった。本店がある池袋は、美由紀にとっては乗換駅である。「まぁ、試しに一度だけ」と思い、学校帰りにふらっと立ち寄ってみたのが、二週間前のことである。
「Tビューティー・サロン」は、有名タレントを使って、テレビで派手に宣伝している。ふだん美容院で読む女性週刊誌にも広告が出ているから、名前はよく知っていた。全国一二〇都市に支店を構える大手チェーンである。霊感商法やマルチ商法のように、あやしげなところはあるはずがない。
美由紀は、すこし気が弱いところがある。大柄で見かけはがっしりしているが、大勢でいるとき、みんなが黙りこんでしまうと、ついつい場をもりあげようとして笑いを取ってしまう。このサービス精神のおかげで、他人からは完全に誤解されてしまっている。本当の自分は、割りと優柔不断でなかなか決断ができないふつうの女の子である。そのことは、誰よりも自分がいちばんよく知っている。
最初の日、面接に出てきたカウンセラーは、こうした美由紀の本質を見逃さなかった。
「一日だけのお試しコースだと、エステの本当の効果ははっきりわかりませんですのよ」
それならなんで、一日体験の割引券をサンシャインの前で配ってるのよ! 喉から反論が出かかったが、相手はプロである。ごく短時間のカウンセリングで、美由紀がお肌と体重に問題を抱えていることを、完璧にチェックしている。
「全部で五〇回が当店の標準コースですけれど、伊東さんは学生さんですから、一括で三五万円はお支払いがたいへんですものね。とりあえず、五日間の”太ももコース”をお試しいただくことにして、その成果をみてから後をお考えいただくということではいかがでしょうか」
”太もものコース”は、五日間のコースで三万八千円である。現金の持ち合わせがなければ、クレジットカードで支払ってかまわないと説得に出てくる。ここまでくれば、美由紀にはとうてい抵抗のしようがない。財布からカードを引っ張り出してサインをしようとすると、それからがまたたいへんだった。
カウンセラーは、さっきの面談で美由紀がアトピーと知っている。身体にやさしいからと、栄養ドリンクや石鹸つきのボディーブラシ、二本組のボディージェルやらを押しつけようする。こうしたオプション・アイテムは、その辺のディスカウント・ショップで売られている商品とたいして変わりがない気がする。
ところが、「短期間で成果を上げるため」と言われると、「そういうものかもしれないな」とついつい思ってしまう。意志に反して首は縦に振られていた。サインをしたカードの支払金額は、五万七千円になってしまった。美しくなるためには、本当にお金がかかる。
さっそく、全五回の”技術”が始まる。
一回に要する時間は、一時間半~二時間。お試しコースの基本メニューは、四つの美容技術のセットからなっている。ネーミングがすっごくうまい。それぞれが身体にとても効きめがありそうな名前だ。
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│☆「G5」: 機械で脂肪をもみほぐす運動
│☆「シェープウェーブ」:強力なジェットバスで身体を刺激
│☆「スレンダー」: 低周波治療器を装着後、ビニールとタオルで体をぐるぐる
│ 巻きにして発汗を促す痩身法
│☆「ラクタモークシャ」:カップで肌を吸引し、皮膚の血行をよくする運動
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三日目には、《お試しコース》をすすめられて、素手で脂肪をもみほぐす「ミラクル」と、足の裏のツボを刺激する「足ツボ」をこれに追加された。またしても、一万三千円を余分にチャージされてしまったが、確かに効果はあったようだ。
割引券をくれた知美に教室で会うと、「美由紀、なんだかお肌がつやつやしてきたみたいよ」といわれた。悪い気はしない。
短期コースでは、日によってメニューが変わる。
エステのセールスにとって、つぎのステップへ顧客を誘導するために、四日目が大事なポイントのようだ。だから、ハードな技術をこの日にもって来て、美由紀の体重を落とそうとしている。今日はいつもより時間が長いし、エステティシャンの美容技術は念入りでていねいだった。
「五四・五キロですね。伊東さん、ずいぶん効果があったみたい」
カルテを小脇に抱えて、エステティシャンがうれしそうに話しかけてきた。美由紀は、しかし、「あれっ変だな」と思った。最初の測定では、ちょうど五五キロといわれたはずだ。これだけやって、五〇〇グラムしか減っていないのはおかしい!
「あのう、本当に五四・五キロですか? さっきは五五キロでしたけど、それしか落ちてないの、変だと思うんですけど。わたしの美容カルテ、見せていただけませんか」
担当のエステティシャンは、「はじめは五六キロでしたよ」とすこし言いよどんだが、カルテについては、「店の規則で見せられません」と美由紀の要求を強く拒んだ。
こうなると、これまで不審に思っていたことがすべて疑わしくなってくる。初日の計測記録である五八キロは、大学受験で浪人していたころのピーク体重と同じだった。今日までの三日間、技術をはじめる前のウエイトは、お風呂場で測っている体重よりすこし重めだった。記録が改竄されているのかもしれない。
太もも体験コースは、次回で最後になる。あやしげなところはあるが、たしかにエステは効果があったように思う。美容のためには、下半身を冷やさないように気をつけること。食事の取り方には、以前にもまして注意を払うようになった。おかげで、荒れやすかったお肌がすべすべしてきた。何よりも、エステに通って美しくなるための努力をしていることが、美容にプラスの心理的な効果をもたらしてくれている。
しかし、このままでは、お金が大変だ。二年間のコースをすすめられているが、学生に八〇万円は払えるはずがない。すこし危ないバイトで稼ぐか、親に泣きつくか・・・。高い授業料を払ってもらっているから、頼んでもムダだろうな。
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エステティック・サロンは、心身の美しさを追求する場所である。美容技術を提供するエステティシャンは、心と体のカウンセラーであるとされている。
最近になって、男性のためのエステが登場したが、エステティック・サロンの主たる顧客は若い女性である。彼女たちがエステを利用する目的は、ズバリ「痩身」と「ストレス解消」。結婚前の若い女性は「痩身」+「脱毛」、既婚女性は「痩身」+「美顔」を目的として来店する。とにかく「痩せて美しくなりたい」という、女性にとっての永遠のテーマを取り上げているわけだから、エステ市場の未来は明るそうだ。
エステティックサロンが、全国主要都市に出店をはじめたのは、女性の社会進出と無縁ではない。急成長は七〇年代後半であるが、現在も成長は続いている。市場規模は5千億円?と推定される。
全国的に名前が知られている大手チェーンは、全部で六社。各社ともに、個性的で特徴のあるサービスと価格戦略を展開している。マーケティング的にみておもしろいのは、それぞれが明確なターゲット顧客を持っていることである。
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│☆TBC(TOKYO BEAUTY CENTER):伝統ある老舗的存在
│☆たかの友梨ビューティクリニック: 高単価だが雰囲気はよい
│☆エルセーヌ: 低価格でヤンキー系の顧客が多い
│☆ソシエDeエステ銀座ワールド: 完全個室制で、百貨店内への出店が特徴
│☆スリムビューティハウス: 低価格訴求、積極的な広告活動で成長
│☆エステアップ: 入会金なしで料金明示、地方展開型
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急成長の時期には、問題を起こして新聞に取り上げられた会社もあったが、社会的な認知度は急速に高まってきている。大手チェーンについていえば、かつてのように、サービス自体が問題視されることはなくなりつつある。
新規顧客の獲得方法は、各社ともに共通している。まず、テレビCM、女性誌への広告や紹介記事でチェーンの知名度を上げる。それぞれの店舗では、従業員が人通りの多い繁華街に出て、販促チラシを配ることがある。いずれかの経路で、エステに関心を持った顧客は、電話で店に予約を入れることになる。
以後のプロセスは、病院での初診の仕組みと似ている。お医者さんが患者に問診するように、カウンセラーが日常生活、健康状態、過去の病歴などについて、事細かに来店客に質問する。カウンセリングを受けた顧客は、自分の弱点をさらけだすことになる。神父へ罪の告白をしている信者の立場におかれる。
ここで、カウンセラーは、”患者さん”ごとに、美容上の問題点をしっかりと把握する。診断を下すと、適当な診療方法を決める。本当は、面談ならぬ”商談”がここではじまる。
広告では、個々のサービスについて、具体的に値段を表示することはすくない。エステのサービスについては、一応は標準的なコースがいくつか用意されてはいるが、効き目がありそうなコースは、この標準価格表には含まれていない。特別なオプションを選ぶと、予定より値段がずいぶん高くなる。美由紀のように、とりあえず「短期コース」を選ぶと、個人カルテを用いてつぎの段階につなげるための説得がはじまる。
だからといって、体験コースを希望して来店する客の全員が、美由紀のような待遇を受けるとは限らない。友人の知美は、体験コースで一五分間の技術を経験しただけで、店の人からはそれ以上の段階へ進むことをすすめられなかった。
エステにとって、得意顧客のプロフィールがはっきりしているらしい。美由紀とちがって、知美は体を動かすことが苦ではない。スポーツクラブで汗を流して、エアロビックス・ダンスでスリムな体型と美しさを維持している。知美が上顧客になりにくいことくらい、面談の段階でわかってしまう。
カウンセリングでは、「楽をして美しくなりたいと思っている人間」を巧みにふるいにかけるのである。その上で、お金が自由になる金持ちか、無理をしてでもお金を工面しようとする女性だけが、エステに通う資格を持つのである。