スニークプレビュー:『しまむらとヤオコー』第5章 (1 しまむらの都心出店)

 出版日が2ヶ月先に延びてしまった。ビジネス書は12月は売れないという理由である。なので、最終提出日を3週間先に遅らせてもらった。気合がまるで入らない。第5章の冒頭部分をアップしてみる。しまむらの野中社長が、藤原会長から指名を受ける場面である。


1 しまむらの都心出店
 
 <社長就任を打診された日>
 2005年4月1日(金)、しまむら本社(さいたま市宮原)。
 「野中さん、ちょっとこっち(社長室)に来てくれないかな?」
 3日前まで、野中正人(当時、44歳)は、若手社員を引率して一週間、米国で研修旅行に行っていた。帰国の翌日から出社していたが、なかなか時差ぼけがとれず、頭がボーっとしていた。
 そこに、藤原社長(当時、64歳)から電話があった。「何事が起こったのだろう?」 野中は、3階の社長室に向った。
 「はい、なんでしょうか」とたずねた野中に、藤原はいきなり言った。
 「野中さん、あなたに社長をやってもらおうと思うんだけど」
 晴天の霹靂とは、このことである。
 「ええっ、わたしが(社長)ですか?」
 一瞬、これは冗談で、悪い夢でも見ているのかと思った。10人いる取締役の中で、野中はダントツに若い。すぐ上の役員でも、3歳年上の47歳である。その他の役員会のメンバーも、しまむら入社以来の先輩たちばかりである。しかも、野中が役員に昇格してから、まだ2年しか経っていない。経歴的にも、経理と商品部関係が長く、店長や店舗開発を担当したことがない。野中は思った。
 「上場企業で、創業者の親族でもないのに、44歳の社長など、聞いたことがない」。
 後継社長に指名されるなど考えてもみなかった野中は、呆然としてその場に立ちすくんでしまった。その野中に向かって、藤原は言った。
 「まあ、帰ってから、ゆっくり奥さんに相談してみなさい。(社長就任を)断るんだったら、明後日は、会社を辞める覚悟で来なさいよ」

 野中の自宅は、宮原の本社から歩いて15分のところにある。夕方、家に帰って、奥さんに相談してみた。
 「藤原さんに、社長をやってもらえないか、と言われたんだけど」。
 奥さんは、笑って答えた。
 「今日は、エイプリルフールでしたわよね」
 確かに、今日は、4月1日のエイプリルフールである。そうか、「4月馬鹿の日か」と妙に納得しそうになったが、藤原が言うにしては、これはちょっと冗談がきつすぎる。4月2日は休みだった。翌日の3日に、思い余って、ふだんから頼りにしている後藤長八専務(当時、60歳)のところに相談に行ってみた。
 「藤原さんに、社長をやりなさいと言われました。エイプリルフールだったからなのでしょうか?本当に受けるにしても、経験不足のわたしに、社長はちょっと荷が重過ぎます。なんとか断わる方法はないでしょうか」
 後藤は、野中を「ばかもの!」と一喝してから、説明をはじめた。
 「藤原さんが、そんな冗談を言うはずがないだろう。受けるか受けないか、いますぐに決めなさい。断るんだったら、会社を辞めるしかないだろうな」。
 後藤は、藤原と同じことを野中に言った。自分の後任を野中に託すつもりだということくらい、事前に藤原から知らされていたにちがいない。
 やんちゃな野中の妻はといえば、「(あなたが)社長を断るのは勝手ですけど、わたしはいまさら群馬には戻りたくないわね」と言い張っている。もはや退路は絶たれてしまった。