マーケティング戦略の立案(講演録)

「マーケティング力向上による東北製造業活性化調査」第3回ワーキンググループ
「マーケティング戦略の立案」
講師 小川 孔輔 氏(法政大学経営学部教授)
日時 平成14年10月28日(月)
場所 仙台国際ホテル 広瀬の間


こんにちは。私がいただいたテーマは、「マーケティング力向上による東北製造業活性化調査」の中で、「マーケティング戦略の立案」ということです。
 「マーケティング戦略の立案」というレジュメをお手元にお配りしていると思います。最初に私が今日、ここに至るまでの背景を説明させていただきたいと思います。
 私はJFMA(日本フローラルマーケティング協会)という非営利組織の創設者で会長をやっているのです。これは花卉(き)全体、切り花と鉢物、グリーン関係と鉢花関係の生産、実は開発からですが、飼料会社さんから一番下はフラワーデザインのスクールまで、小売りももちろん卸売りの市場も入るのです。仙台にも仙花さんと、もう1社大きいのがあります。そういうところの会長をやっている関係で、今回のヒアリング先に挙がっている新潟の坂源さんは知っています。製品としては、切れ味が落ちないはさみです。例えば、枝ものを切ると大体、はさみは劣化していくのですが、ここのはなかなか劣化しないのです。切れ味がそのまま継続するはさみなのです。これはたぶん花屋さんの中では、ダントツのシェアを持っているのではないかと思います。技術的な根拠はよくわからないのですが、他社が追随できない非常にいい商品です。実は私も使っています。3本持っています。自宅と仕事場ともう1か所の3か所に持っていて、全部使っています。
 昨日実はアイリスオーヤマさんの社長と、社長室の岡本さんと3人でそばで飲んでいたのですが、これは96年に社長の健太郎さんと一緒に本を書かせていただいたことが縁となっています。98年に英文の翻訳を出しました。普通、英語のものを日本語に訳すのですが、逆で、自分たちが書いた日本語のものを英語に訳すという、ふだんあまりやらないことをやりました。アイリスさんのお仕事は、昔からずっと見ています。それから、昨日も社長と2時間ほど話したのですが、そういう話も交えてお話ししたいと思います。
 今日の話につながるポイントは、96年に一緒に本を書いたのですが、その中の3分の2はいまや古くなってしまっているということです。たった6年なのですが役に立たないというか、ほとんど内容が変わってしまっているのです。あれだけ大きな会社、おそらく仙台ではトップメーカーだと思います。非公開でありながら、売上高で600億とか、海外も入れると1000億ぐらいの会社です。それでも中身は変わっている。なぜ変わっているかという話も、皆さん、意外とヒアリングしても、本当のところはわからないのではないかと思いますので、その辺のところも含めてお話ししたいと思います。
ヒアリングしていただいた会社については、前もって土田さんに最初から説明を受けていますので、それも踏まえながらお話ししたいと思います。
 具体的に東北の中堅企業のマーケティングを考える前に、一般論として、山口県、神戸市、仙台市から出ている企業が、なぜ全国企業になったのかという話からしていきたいと思います。それはマーケティングの仕組みが、どのように進化していくかということの例示でもあります。ユニクロ、ロックフィールド、アイリスオーヤマを使って、それぞれ出発点は、山口、神戸、仙台(角田ですが)それにプラス松戸のマツモトキヨシも含み、お話します。マツモトキヨシはもう仙台にあるのですね。社長さんから、もうそろそろ東北地方に出ていきますよという話を3年ぐらい前に聞いていましたが、一昨年から出店をスタートしているようです。マツモトキヨシさんは結局、それ自身が流通業です。ユニクロもそうですが、ユニクロはメーカーの機能も持っているので少し違うのです。マツモトキヨシは、何となく最初から東京の企業のように見えますが、千葉の松戸の田舎から出た企業です。新松戸という駅の、歩いていかないと行けないようなところの企業だったのです。そういう企業が、全国のトップのドラッグストアになっていくプロセスもありますので、そういう話も含めながら、なぜ全国のチェーンになったかという話もしていきたいと思います。
 まず、理屈めいた話をしますが、マーケティングの仕組みを考えるときに一番最初に考えるのは、STPと私たちは呼んでいます。ターゲットという話はすぐ出てきたのですが、ターゲティングをする前に、セグメンテーションというプロセスが必要になります。セグメンテーションのSです。話の仕方としては、こういうSTP(セグメンテーション、ターゲティング、ポジショニング)という話と、それから今日のお話の中に出てきたのですが、Needs(ニーズ、消費者)とSeeds(種、技術)ということです。あらゆるマーケティングというのは大体このバランスの上に乗っています。
 ヒアリングしていただいた東北企業の例をずっと見ていくと、基本的にはSeedsからスタートしているのです。たまたまそれが消費者ニーズとぴたっと合うか、あるいはビジネスのニーズです。ですから、消費者のもう1つ向こう側にあって、中間に消費者に対して商品サービスを提供している手前の段階、これもB2Bの世界です。相手のB側のニーズに対してうまくフィットしたケース、成功例だと思います。その2つ、Needs・SeedsとSTPという話でスタートしていきたいと思います。
 まずセグメンテーションの説明をしますと、マーケティングのテキストなどをご覧になってお勉強なさった方は、たぶん私が説明する必要もないと思います。全部のマーケットを扱うことができませんので、通常は一見対象になりそうな相手方というか、ビジネスマーケットでもコンシューマーマーケットでもいいのですが、とにかく区切ってしまいます。セグメントは区分ですから、全体の中で一部分のことです。ですから、セグメンテーションというのは区切るやり方で、いろいろあります。
 どういう例でもいいのですが、坂源さんという例があります。そんなに大きな会社ではないのですが、はさみの市場はいくつかあり、それこそ燕三条にあるような、はさみのメーカーもあるわけです。本社のある三条には、言ってみれば産業の集積、金物の集積があるわけです。はさみもその一部です。何の目的にでも使えるようなはさみを作ることもできるけれども、それをやらないのが坂源さんの特徴です。つまり、はさみには、私らは紙を切るときも、はさみを使いますし、カッターナイフも一種のはさみですが、切るという機能があります。物を切る、裁断する機能には、何を切るかということと、どうやって切るかということと、2つあるわけです。
 おそらく坂源さんがやったことは、一つは何を切るかの「何」のときに、はさみのスタートは、三条地域のことですから、枝ものを切るところから来ていると思うのです。私の想像ですが、枝もの、要するに生け花用のはさみから、たぶんスタートしています。ただ、はさみの技術では、国際見本市に行くとドイツがたぶん強いのです。IPMという国際園芸何とかという、世界で一番大きい見本市があります。ドイツのメーカーを含めて、世界中からはさみのメーカーさんが出展しているのです。坂源さんが出展していたかどうかはわかりませんが、そこへ行くと技術がいっぱいあるのです。同じはさみでも、いろいろなニーズがあって、それに合った商品を作っているのです。
 話をもとに戻すと、たぶんセグメンテーションをするときに、坂源さんはあるきっかけでもって、生け花やガーデニングに着目された。これは万能のはさみではなくて、ある物を切るという対象を選んでいるのです。それはセグメンテーションです。それ以外のところは全部、捨てる。ですから裏側にあるのは、物を切るけれども、何でも切るのではなく、ある特殊な機能を持ったときに、捨てるという作業です。自分が得手としないところは、まず捨てるという作業をやることが、実はターゲティングです。つまり、ターゲティングとは、それを狙うことではなくて、優秀な経営者はみんなそうですが、自分ができるけれども、すごくよくできないものは全部捨てることが第一段階なのです。これがとても大切なのです。
 商品開発をやっている方たちの中で、やはりすぐれたものを作れない人というのは、結局、捨てることができない人です。例えば私は大学で先生をやっています。私はある程度の仕事をしてきているのですが、自分のやり方は、基本的にはマーケティングの発想です。これはSTPの発想です。私がなぜこういう仕事をしているかという、自分のことを話すのが一番わかりやすいでしょう。イントロダクションなので、核心に行かないのですが、私がなぜこういう仕事をしているかを、ちょっと説明していきます。私自身は大学の先生で、研究者をやっている側面もありますが、ビジネスをやっているという発想でやっています。あらゆる組織、自分が作った組織、大学の中でのいろいろなフォーメーション、仕事の組立も、全部そのようにできています。
 私自身、自分の仕事はL字型です。これはおそらく、中小中堅企業の方が物事をスタートするときに、自分の仕事の組立をL字型と、いつも言うのです。ちょっと長々となりますが、15分ぐらい自分の仕事の組立を話します。
 私は経営学の中のマーケティングが専門分野です。けれども、経営学の中でマーケティングの重さはおそらく50%ぐらいで、それ以外の学問は、つまり人と物と金があって、見えないものもあります。私は物を扱っています。あと、あるのはヒューマンリソースです。人材をどうやって使うか、それとリーダーシップもそうです。残りは金です。金は会計学とファイナンス、財務と2つあります。しかし、これは経営者にとってみると、ある意味では自動的に学べばいいことで、あまり学問としてどうのこうのという話では、ありません。すると企業にとって一番重要なのは、実はマーケティングなのです。
 どうするかというと、私はマーケティングという学問や実務の世界との接点を持っています。そこで自分の事業戦略をどう作っていくか。やり方、Lというのはこういうことです。自分の得手とする非常に特殊な分野を選ぶことが必要なのです。これをどうするかというのは、実は10年かけて探しているのです。Lといっても、実は井戸は3本ぐらい。ここを井戸と普通言っているのです。L字型のLは1本ではなくて、実は3本ぐらいあります。それから横はジェネラルなマーケティング、一般的な仕組みです。
 すると、私がマーケティングの研究者として国際的にある程度活躍できて、日本でナンバーワンになって、産業界の方たちとも一緒にやっていくためには何が必要かというと、自分の能力がSeedsなのです。私は統計学や経済学の出身ですから、そこに得意分野があります。私はもともと親父が秋田の呉服屋の息子でしたから、商人の生活というのは私の遺伝子の中に組み込まれています。DNAに私の商人魂のようなもの、人との関係性をつくるやり方があるのです。ここにDNAがあって、ここからあとで獲得したもの、大学や大学院で学んだものがあります。ですから、私は数学もすごく強いです。私は理科系のクラスにいましたから、大学の1~2年生も、ほとんど統計学の授業ばかり採っていました。なぜそうなるかというと、つまりすべては将来、自分が実際に井戸を掘っていくための準備で、そう意識してやっていました。研究者になろうと思ったとき、そのために必要なものは何か。他人より絶対強いものがあるから、それを若い20代のときに育てていこうと思いました。それがスタートです。
 これは経営者も同じで、経営者も将来、自分のビジネスをどのように持っていこうと考えるとき、やはりこの3つを考えるのです。まず、その前に自分のDNA、血を見つけなければいけない。そのための投資をどんどんしていきます。投資というか、実は投機です。投機というのはスペキュレーションですから、そのマーケットや自分が対象とするものが10年、20年、30年先にどうなっているかを、じっと考えます。これがとても大切なことです。この中に出てくる例は、マーケティングをやるということは、第一段階としては自分のDNAを育てていく、自分の得手とするものを育てていくことと、マーケットはどのように動くかということを常に深く考えて、投機していくことなのです。
 マーケットは動きます。私にとってのマーケットというのは、マーケティングという学問分野が、どのように動いていくかを見ることなのです。ですから、DNAはSeedsになります。
次にマーケティングジェネラルです。20代の半ばのときに、私が40、50代になったときのある種のストーリーを描くわけです。これは全く経営者も同じで、東北で何か仕事をした場合でも、目指すものは世界のマーケットがどう動くかがとても重要なのです。東北や日本がどうのこうのではないのです。問題は、世界のマーケットがどう動くかを10年、20年前に予測する。これは投機すると思ってください。ですから、非常に消費者ニーズなどと勝手なことをみんな言っていますが、本当は消費者ニーズなどということはないのです。マーケットがどう動くかを、自分で投機して思い描く、仮想の絵を描くわけです。外れることもあります。
 アイリスオーヤマの大山社長と話すと、彼はあと10年たって15年たって、あるいは明日、マーケットがどう動くかについていつも考えている。そればかりお互いに2時間も話しているのです。これがとても大切です。私はどう思ったかというと、20代の半ばぐらいに、マーケティングはおそらく非常に有望な分野になるだろうと思っていました。実際、そうなっています。マーケティングこそが経営だと最近は言われていますが、そうすると20年先、30年先に自分がマーケティングジェネラル、一般的なマーケティングの研究者や、実務の世界のインタラクションの中で、私はトップにいたいと思ったのです。国際的に考えてもトップに行きたい、これが最終目的です。つまり、マーケットをわしづかみにするのが最終目的なのです。大体そのとおりになっています。今、雑誌の編集長もやっていますし、学会では十数年、理事をやっています。ただ、グローバルに私がいい仕事をしているかというと、必ずしもそうではない。これはあと10年かかると思います。
 ただ、こんなことを20代の若者が言っても、だれも信じてくれないです。そうするとどうするかというと、一般企業も同じで、自分が得手とするところの中で、絶対勝てそうなところを選ぶ。ですから、まず若いときに井戸を掘る。当たるか当たらないかはわからないけれども。何をやったかというと、普通の企業も同じですが、マーケティングの中の調査です。調査の中のある種のテクニック、これは国際性です。最初に行くのはマーケティングジェネラルでトップになるのではなくて、まずある非常に特殊な分野で自分が強いところ、ただし、それは国内でナンバーワンになったのでは意味がないのです。田中耕一さんではないですが、とにかく狭い領域でもいいから、世界の中でのトップになる。
 29才のときに、アメリカのカリフォルニア大学バークレー校に留学したのですが、そこでターゲットを絞ったのは、マーケティングの調査の中で、統計学を使ったある狭い分野です。これは商品の開発をするときに、どういう属性を重視したらいいかを調査で調べる、コンジョイント分析という、重箱の隅をほじくるような分野です。ただ、当時は非常にいい分野だったのです。そこのための論文を書いて、しかもアメリカ人やヨーロッパ人と一緒に書くのではなくて、単名、一人で論文を書いて、それがアメリカやヨーロッパのジャーナルに載るという目標を設定しました。これが最初の掘る穴でした。
 1982~84年まで留学していましたが、最終的に1987年に「マーケティング・サイエンス」という、マーケティングの分野では国際的にナンバーワンのジャーナルの中で、一人の名前で、つまりアメリカ人の先生の手を借りずに、独力で書きました。ですから、コンジョイント分析のあるセグメンテーションの分野では、私の論文がいまだに引用されることがあります。1987年ですからもう古いですが。ですから、この分野では国際的に名前が通るような仕事をしました。これが最初です。
 2番目、3番目に何をやったかというと、この1本では特殊な分野ですから、こちらにはつながらないのです。そうすると、将来こちらにつながるような穴を掘ります。1984年に日本に帰ってきて、次に掘った井戸は、以下の背景があります。私のすごく尊敬している元埼玉短期大学の秋谷重男先生という、市場(いちば)の専門家がいます。最近はお年を召されたので、NHKにはあまり出ませんが、市場の話になると必ず「暮らしの経済」など、お魚のセリのやり方などで、彼が出ていました。お魚、市場経営、市場の仕組み、セリのしかたなどでは、日本でナンバーワンです。同じことを自分もやりたいと思いました。何をやったかというと、私が井戸を掘ったのはお花です。最初にお花にぶつかったわけではなくて、いろいろなことをやっていたのです。車、それから花王さんと一緒にトイレタリーのボトルのデザインなど、いろいろやっていました。
 ただ、ポジショニングとして、私しかできないものでないといけない。例えば車をやろうとすると、同僚の中で下川浩一さんという先生がいて、日本の自動車産業論の中では、元組織学会の会長さんでもあり、すごい方です。それから東大には藤本隆宏さんという私の後輩がいて、彼は三菱総研からハーバードへ行って、アメリカでキム・クラークと一緒に、『製品開発力』という本を書いた人です。彼は組織論に近く、私はマーケティング・プロパーだから直接はバッティングしていません。しかし、彼と一緒に戦うのは厳しいじゃないですか(笑)。そこは逃げるのです。ものすごく一生懸命勉強して、一生懸命協力しても、国内だけでも強力なコンペティターが10人ぐらいいるわけです。そういうのはまず避ける。
 自動車は捨てる。それに自動車なんて大体もう頭打ちですから、何十兆円というマーケットかもしれないけれども、研究者としてもあまり興味はないのです。すると、これから伸びていく産業でポジショニングをするのです。ポジショニングとは簡単に言うと、自分と競争相手です。競争相手と比べたときに、絶対勝たなくてはいけないので、相手とものすごく遠い位置にいるのです。
 市場を分けて、分けたうちのどれかを狙うというのが、ターゲティングです。ポジショニングというのは、ただセグメンテーションのターゲティングをやっても競争者がいますので、競争者と自分の位置関係です。なるべく遠い方がいいのです。相手が自分にすり寄ってこられないところ、あるいは相手を遠くに追っ払ってしまえるところを選ぶわけです。
 自動車産業に戻ると、ここはセグメンテーションはたくさんあります。研究者はすごくやっていることが細かいです。だけど、将来的にターゲティングして、そこの分野をやったときに、それぞれのマーケットがものすごく有望かというと、そうでもない。それから、ポジショニング上は自分に近いところに、たくさん競争者がいるわけです。下手すると自分より先にやっています。それから、下から追いかけてくる藤本隆宏さんや延岡さんがいて、この連中と戦うのはちょっと厳しいなと。特性は違いますが。すると、これは逃げるわけです。
掘ったのが、しかも国際的に通用するものです。これは1本目の井戸と全く同じです。私がその産業分野を扱ったときに、国際的にナンバーワンになれる可能性がある。それからもう1つは、その時代に人があまり混んでいない。それから、将来伸びる。あまりマーケットが混雑していないということです。まだ、sparse(疎)だけれども、将来は絶対に大きくなるというマーケットです。現在そんなに大きくない。競争がそんなに激しくない。先駆者利益がある。それからもう1つは、産業界です。産業界とのコネクションが、ものすごくできるということです。
 この3つというのは全部、将来の布石なのです。L字型の横です。ここでトップになるためには、こういう井戸を少しずつ掘っていかなければいけない。そのうちの一つなのです。選んだのは実はいくつかあったのですが、その中で花卉産業です。切り花だけでなくて、グリーンです。
 もう少し広げると、次のような戦略もあるのです。最初には伸びる産業かどうかということです。この「伸びる」の中には、その産業が伸びるというのと、コンセプトの拡張性があります。切り花のマーケットは6000億しかないのです。けれども、グリーン、花壇や観葉植物を入れると1兆2000億なのです。それだけに終わらず、花、グリーンの持っている特性というのはもう少し考えると、コンセプトの拡張性といって、花卉類だけではなくて、実は野菜、芝生と、植物にまでコンセプトを拡張できる。非常に特殊な商品を扱っているように見えるのですが、実はこの商品は拡張性があるのです。ここはお花という特殊な領域の中で植物と言い換えたときに、いっぺんに1兆円からもう10兆円、20兆円になるのです。野菜だけ、果物だけ入れても10兆円になりますし、今度は森林なども入れると、国内だけで数十兆円になります。
 最初にこの井戸を掘るとき、周りにいっぱい実は油井があって、そこまでたどりつく可能性があるのです。これは仕事も同じで、ポジショニングもとても大事ですが、実はこの「伸びる」ことの中の、コンセプトが伸びるかどうかというのが、とても重要です。
 事例で挙げていただいた企業の中で、売上高でパフォーマンスを測ってはいけないのですが、10億円いかない会社があります。それはいろいろな理由があるのですが、実はこれは「コンセプトが伸びる」ことと関係しているのです。最初に事業を興すときにあまり考えていないと思うのですが、その会社が取り組んだセグメントが拡張できるかどうかというところに気がつかなければいけない。もしできないとすれば、その次の手を10年以内に打っていかないと、事業は必ず落ちてしまいます。ステイブルな状態でもいいですが、いずれにしても、その次の段階、20、30、40億円とはいかないです。ですから、第2ステージまで行っているが、その上は行っていない。花卉を扱ってグリーンまで行ったけれど、まだ植物の領域までは行っていないということです。そこへ行けるかどうかは、最初に投機するときに、そこまで見るかどうかなのです。これは結構計画性が必要なので、ただ行き当たりばったりではだめなのです。
 結局、私の言っていることは、セグメンテーション、ターゲティング、ポジショニング、それからコンセプトの拡張性、それから産業界との関係を考えるということです。
 産業界の関係というのは、アプリケーションです。ネットワークのつくり方は自動的にできるわけではなくて、私が研究者として、学会と産業界を結ぶという仕事をものすごくやっているからです。アイリスオーヤマの大山健太郎さんと論客になれる研究者なんて、たぶん私しかいない。ほかの人ではできないと思うのです。なぜできるかというと、私がこの学会と産業界を結びつける仕事をしながら横展開をしているからです。いろいろな業界の方、製造業も流通業も含めていろいろな方とお話をするので、私の方がたぶん事業をやっている方よりは優位性があるのです。情報上の、知識上の優位性が私にはあるので、たぶんそのようになっています。
 ちょっとユニクロの話をします。ユニクロのマーケティングの仕組みというのは、実はひっくり返しているのです。通常はセグメンテーションして、ターゲティングして、ポジショニングするということですが、1999~2001年ぐらいまでにかけて(もう今は少し不調ですが)、少なくとも2年間にわたるユニクロの事業展開で、このSTPをやらなかったことが実はユニクロの成功なのです。これも私はいろいろな雑誌に書いているのですが、普通の企業だったら、しかも山口という田舎から出ている企業ですから、ニッチや特定のセグメントを攻めなければいけないのです。しかし、それを攻めなかったことが、実はユニクロの成功の秘訣なのです。つまり、まさにそれがポジショニングなのです。
 衣料品の小売業は、どういう工場を持っているかというと、ユニクロが現れるまでの状況は、みんな細かいセグメントです。1990年代の半ばぐらいまで、消費者というのはどんどんいろいろなニーズを持っていて、多様で、十人十色だといわれていましたから、それぞれのメーカーや流通業は、お客さんをものすごく細かくセグメントしていくわけです。ターゲットも、うちはここだと言って、非常に小さいものを狙っていたのです。狭いマーケットを狙って、それこそ裏原宿では、Tシャツを100枚から作ることをする。しかし、そんなことをしていたらお互いにお互いの住み家を住み分けるので、ものすごく効率が悪くなるのです。
 ユニクロが出てきて成功した背景はいろいろいわれていますが、これは超セグメンテーションの結果だと思います。お客さんがみんな違うので、別々の商品や別々のサービスを提供すればいい、ということをやります。それはそれで正解なのです。しかし、マーケットはいつもそうなのですが、ものすごく極端に振れてしまうのです。とにかくアパレルのメーカーもDCブランドも、非常に細かくなりすぎて、効率が落ちてしまいました。そこへセグメンテーションしない、ターゲティングしない、ポジショニングも考えないというやり方で1999年から2年間、ものすごく成長したのです。
 私が今着ているのは、パンツや靴下など見えないところのものは、全部ユニクロです。見えるところは全部ブランド製品なのですが(笑)。フリースが確かに爆発的にヒットしましたが、本当のユニクロの成功の要因は、実は見えないところにあるのです。ですから、本当はシャツやパンツ、靴下なのです。
 今、店頭に行くとユニクロは女性ものをすごく重要視しています。少し売上が上がっています。落ち方が下がってきたのをご存じですね。なぜかというと、女性もののインナーが売れています。意外と新聞報道や雑誌などでは、こんなことは書いていないのですが、私が実際に店頭を見ていると、ショーツや何かの2枚組セットが結構よく売れています。この間、実験するので見に行ったのですが。11月半ばにユニクロの店頭を借りて、バンドル販売の実験をやるのです。そのために先週、新宿3丁目の店を見に行ったのですが、ブランディングをやらない。
 もう1つの説明を読むと、超セグメンテーションに対して、要するにノンセグメンテーションです。それから、ノンブランディング。これは当然のことならセグメンテーションしていくと、自分のアイデンティティが必要になるので、他社にない名前とか他社にないことを訴えます。自分たちはこのターゲットを狙っていますと言いますが、そういうことをやらなかったのが、実は2年前のユニクロの成功の要因です。それから、対象も男性・女性関係ない。実際はそうではありませんが、年齢関係なし、男女関係なし、機能関係なし。いい商品を安く売ればいい。だれにでも合うような商品、これがユニクロの成功の要因だったのです。
 ですから、基本はSTPなのですが、これを無視したところでユニクロが成功した。これは非常におもしろいところで、あらゆる産業で起こります。マーケットが成熟した段階では、必ず住み分けが起こりますので、住み分けを壊すことが、実は成功の要因になることが結構あります。
 それから、ロックフィールドについて、お話しします。ロックフィールドが生まれたのは、1970年です。1970年はすごくおもしろい年で、マクドナルドが三越に出店した年です。同じ年に生まれた企業がいくつかありますが、マクドナルドとロックフィールドは、同じ年に生まれています。ロックは岩で、フィールドは田んぼです。本人が「私は岩田なので」と言っていました。岩田弘三さんという社長さんです。
 なぜそういう会社を興したかというと、これはカテゴリーに関係するのです。ユニクロは衣の世界です。アイリスオーヤマは衣食住の住です。ロックフィールドは食です。しかもスタートが、日本マクドナルドと一緒だったのです。
 ロックフィールドは、1970年にこういう業態で始めました。後に神戸コロッケが有名になったのですが、最初のスタートは百貨店の中のコーナーで、例えばだれかの誕生日やパーティに提供する惣菜、デリカテッセンを半製品の状態でお持ち帰りいただいていました。神戸ですから芦屋などもあって、いい家庭、お金持ちのところが最初のターゲットです。ハレでわりと所得が高いところで、半製品を持ち帰っていただいて、油で揚げたり調理していただいたりする。イタリアンやフレンチのデリカテッセンです。それを商品提供しました。
 最初は神戸の大丸です。場所から言うと、これはチャネルと関係するのですが、流通の中の百貨店に入る。これはある種、パラサイティングするわけです。百貨店に来ていただくようなお客さんを相手にして、半調理済みのデリカテッセンを、ターゲットは非常にお金持ちのマダムたちに提供する。ただ、それはネタからいうと、岩田さんがフックというレストランを自分でやっていたのです。そしてたまたま海外へ行ったら、デリカテッセンというのはすごくいいねと言って、普通の人が買っているわけです。それを日本に広めたいというのが動機です。
 そこからスタートして、次に何をしたかというと、1989年に神戸コロッケというのを売るのですが、なぜそのようにしたか。これはとても重要なのです。百貨店の売り場の中で、百貨店が引きつけるお客さんを当てにして、自分でデリカテッセンを売るわけです。これは自分の力もあるけれども、実は百貨店の集客力に依存しているのです。なるべくそこから抜けたい。何かに依存するのではなく、自分の力で客を引きたいというので、神戸の南京街に路面店を出します。道路に面した店です。
 実は無印良品は、最初はファミリーマートや、西友の中の一コーナーで売っていたのですが、成功した本当の理由は、無印が青山に出ていったからです。自分でストリートに出ていったのです。そこで他の業態というか、自分の親に依存しないで、自分で独り立ちすることができたからです。東北のいろいろな企業が、ある時期に自分の商売を自分でやると考える時期になると、こういうケースは結構重要になると思います。
 アイリスオーヤマも同じです。最初は漁網やブイなどのOEMメーカーだったのです。問屋さんを使って依存した商売をしていたのです。そこが成功した一つの理由は、自分で販売の仕組みを作ったからです。工場を全国に造っていって、自分でベンダーをやる。問屋さんにつぶされそうになって嫌がらせをされながらも、自分で自分の仕組みを作っていくところが同じです。ロックフィールドの岩田社長が考えたことは、結局、百貨店に依存する商売は、いずれ見えてくる。なぜかというと、1970年のころは考えなかったと思いますが、1980年代半ばごろになったとき、岩田さんは自分で思ったのです。「百貨店という業態が、このまま永遠に続くはずがない」。実際、そうなっていますね。郊外のお店、例えば衣料品関係だと、ユニクロの前に紳士服のいろいろな郊外店が出ています。それで商売を、百貨店はどんどん取られていったわけです。それを見て岩田さんは、いずれ食の方も、名店街なども、いずれそういう時代が来るから、自分で打って出ようと。それで、路面店を展開するわけです。
 そして神戸コロッケを出したのですが、ただ商品が当たってしまって、これは結果ですが、逆に百貨店から「うちにまた出してください」となってしまったのです。最終的に神戸コロッケを、南京街だけでなくて百貨店の中にまた戻す。でも、これは現実的にしょうがないのです。その方がもうかるわけです。これが第2段階です。今、ロックフィールドさんが何をやっているかというと、もう一回外へ出ようとしています。
 ちなみにロックフィールドですが、静岡の磐田、これもしゃれで、字が違いますが磐田郡に静岡工場を造りました。ジュビロ磐田があるところです。磐田郡に日本で一番大きい野菜のサラダを作る一貫工場を持っています。これはハサップ(HACCP)を取っています。ですからBSEの問題が出てくる前に、彼はすでに予測していました。私は工場を見せてもらいましたが、農薬をかけるのをなるべく抑えていますので、結局サラダに使うような野菜に、虫や砂がついたりします。サラダとして店頭で売ろうとしたときには、虫や砂がついていたら非常に具合が悪い。本当に悪いかどうかは別なのです。べつに体に悪くないかもしれないです。ただ、お客さんはもので見ていますから、やはり虫の卵がついていたり砂が入っていたら具合が悪いので、それを取るための一貫工場を造っています。前処理の工場で、日本で一番大きいと思います。毎日何十トンの野菜、ジャガイモをやっています。
 もともとターゲットは、ハレのターゲットです。これは私の先程のジェネラルと、岩田さんの考えは同じなのです。それから、彼のアイデアは3つだと思います。デリカテッセンはハレの商品を作っていました。今、いろいろなところでやっている惣菜屋さんは、ハレの惣菜というより、ケというか、日常の商品です。神戸コロッケとやっていたのは、パーティで使うような、ちょっとプレミアムつきのコロッケです。「コロちゃん」というコロッケもありますが、それは全く逆で、神戸コロッケは実はハレのコロッケなのです。そうではなくて、もう少し日常的なものに商品を変えていくというのが一つです。
 どういう意味があるかというと、ハレの商品だと土日に集中してしまうのです。そうすると、工場を動かしていても、店の人を雇うにしても、月火水木が収益性を見るとだめで、金土日で商売が成り立っているのです。それから、クリスマスなどでは非常に売れるけれども、それ以外の日は売れない。そうするとオペレーション上の工場の稼働や物流の稼働を考えても具合が悪いというので、ハレからケに持っていく。
 そのために何をしないといけないかというと、百貨店は、実は購入の動機がハレの場なのです。そうすると、やはり駅前に店を持っていくことをしないといけないので、2店舗展開しているのです。地球健康家族というのは、惣菜の駅前型です。住宅街に近いところに、百貨店から出て店を出しています。
 もう1つ、サラダバッグというのが東京駅の八重洲口にお店があるのですが、お客さんのところに近づいていくのです。要するに、ビジネスマンの方だと東京駅は日常通ります。ですから百貨店から出て、今非常に注目しているのは駅です。非常に人が多くて日常的なところです。
 もう1つは、安全とか健康。有機野菜もそうですが、安全や健康というのはある意味で、日常的には非常に商品も高いし、買うものではないと思われた時期があったのですが、なるべく、これも普通のものにしていこうということです。ハレからケに行って、安全・健康というのを、特別なものではなく、普通のものにする。それから、百貨店からもっとお客さんのところに近づいていく。そうすることはいろいろな意味があって、非常に特殊な商品です。相手も特殊、お客さんも特殊。それから安全と健康というか、非常にお金をかけて安全な食品を、農薬をかけないような商品を扱うということです。委託の農家に作らせて引き取ることをやっています。それから、百貨店の中で商売する。こういうものを一般的なものにする。
 ということは、要するにここで特殊なラインなのだけれども、そこまで培ってきたいろいろな技術を、一般的なマーケット、つまり私の言葉でいうとマーケットをわしづかみにして、そこへ今向かっているのです。売上高はまだ1000億にいっておらず、300いくらでしょうか。ですから将来のマーケットは、そこで投機しています。彼自身も投機していまして、数千億円のマーケットを、にらんでいるわけです。それはかなり前から準備していなければ、できないことなのです。
 それから、次に「製品開発と発売まで」、マツモトキヨシの例をお話しします。これは製品ではないのですが、なぜマツモトキヨシが成功したかという話をしていきます。
 「認知をつくる」「アイデアを製品デザインに」「全国発売までのネットワークのつくり方」、これは普通の商品であれば、出てきている事例を見ていただくとわかりますが、商品の開発から全国発売まで、全部こういうプロセスを歩みます。つまり、最初に名前を知っていただかなくてはならないので、ある種の情報探索、プロモーションをこちらで打たないといけない。それから、アイデアを製品デザインにするというのは次の段階で、説明するまでもないのですが、問題はいかに知ってもらうかということと、全国発売までのネットワークをどうやって作るかということです。マツモトキヨシの話をすると、なぜ全国へ飛んでいったかということが、わかると思います。
 マツモトキヨシは、実は今でこそ売上高千数百億円のドラッグストアですが、私が最初に知ったのは1968年の秋で、そのころ私は千葉県市川市の下総中山という駅前の、中古のマンションに住んでいました。帰宅の際、駅を出ると西友があるのですが、そこを通って、マンションに行く左側のところにマツモトキヨシという、さえないドラッグストアがあったのです。本当にさえなかったです。
 この店のおもしろいと思ったところは、角にあることです。駅を出て道がガードになっています。マツキヨはそこの角にあったのです。冬、今ごろになると寒いですよね。そうすると普通の薬局はどうなっているかというと、扉を閉めている。今でこそ全部自動ドアになっていますが、当時は自分で開けないと入れない。この店の特徴は、店のシャッターが開いていて、私はいつも道なりに回らないで、店の中を横切って通っていたということです。冬でもシャッターが開いているのです。お店の白衣を着た先生は大変だと思います。当時、こういうお店はなかったのです。
 つまり、この経営者は偉いなと思ったのは、働いている人は寒くて大変なのです。当時ストーブか何かにあたっているのですが、お客さんは店内を通るわけです。通るということは、チャンスなのです。みんな必ず通るわけですから、通るということは、売上に必ず結びつきます。
 これはお客さんのことを考えているのです。お客さんがどうやって動くか。当時、さえないドラッグストアだったのだけれど、そこだけはちゃんとやっていた。昔は本当の安売りの店だったのです。それが松戸にお店があって、創業者の松本清はご存じのとおり、松戸市の市長に立候補して当選したのです。ですから、当然のことながら市長なんてやっていたら、ドラッグストアの商売なんかできないです。どうしたかというと、かみさんが全部、権力を握っていまして、よくある話だと思いますが、商売はおかみさん、政治はだんなと。そのお母さんはもう90ぐらいだと思いますが、会長さんになっておられます。
 その後継者の南海雄さんは当時、副社長で、今は社長さんになりました。マツモトキヨシが東北地方に出店したのは、たぶん南海雄さんが社長になってからだと思います。和那さんというのは議員ですから、兄弟でまた分業しているわけです。今の社長さんになって何が変わったというと、認知を作るということで、非常に大きな違いがあります。変わったのは、新松戸に本社があって、新京成など常磐線の沿線にお店があるところから、突如、都心に出てくるのです。これは地方の企業にとって非常に重要なことだと思います。
 ユニクロも全く同じケースです。ユニクロが成功した理由というのは、原宿に店が出てからです。原宿に店が出なければ、ああいうふうにはならないですね。広島に店を出して公開をして、大阪や名古屋あたりでうろちょろしていたら、ユニクロはああはならないですよ。原宿に店をボンと出したからです。マツモトキヨシも同じことで、土地柄は違いますが、上野に店を出しました。つまり、松戸ローカルだった企業が全国レベルになるためには、まず上野に店を出しました。
 そのときに、実はこういうことがありました。通常ドラッグストアというのは1階だけで、2階以上はないのです。今でこそマツキヨは2階、3階建てのお店がありますが。上野に店を出そうと思ったのは、もちろん南海雄さんが常務さんと2人で仕組んで、とにかく都心の方に出ていきたいと、思ったわけです。たまたま最初に当たった物件が上野のパチンコ屋がつぶれたものなのです。パチンコ屋は怪しげな世界ですから、契約するときに、マツモトキヨシとしては、本当は1階だけ貸してほしいわけです。だけど、1階だけではだめだと。パチンコ屋だから、2階も3階も4階もありますよと。全部借りろと。借りざるをえないのですが、2~4階はどうやって使おうかと。当然3階と4階は事務室や在庫を置いておく場所に使えますが、2階までそんなのに使ったら、店舗の効率が悪すぎますね。ですから、2階を使おうと。
 どうしたかというと、これが結局、今のマツモトキヨシをつくっているのです。アメリカ直輸入のコピー商品ではない、日本型のドラッグストアができたのです。1階は通常の、シャンプーや雑貨。逆に化粧品を2階に置く。トイレタリーでない雑貨は2階に置いてしまうことをしたのです。
 でも、それだけでもだめなので、まず2階に客を上げる仕組みが必要だった。それで、階段陳列を考えたのです。プロモーション商品を階段にずっと縦陳列していく。それを見ながら、お客さんは上に上がっていきます。これだけではだめで、次にやったことは化粧品を2階へ上げて、テスターを置く。化粧品は通常、マネキンさんがいて何か売りつけられる感じがありますが、高校生や若いOLでも、自分で勝手にお化粧できるコーナーを設けた。これは今でこそ普通になっていますが、マツキヨが上野の店で始めるまでは、普通のものではなかったのです。
 これはマーケティングにとって非常に重要で、スーパーマーケットに行くと試食コーナーがあります。試食コーナーと試食させないコーナーは、10倍売上が違います。有名な話ですが、食べてしまうと、買わないと悪いような気になるではないですか。あれと同じです。マツキヨも、2階に化粧品のテスターコーナーを使って、もちろん高校生はお金もないから買ってはくれないですが、高い化粧品は売れなくても、ラメや小物、周辺のコズメティックが売れるわけです。今はDHCやコンビニのコズメがありますが、あれの原型は実はマツキヨなのです。高校生が自分のお小遣いの範囲内で化粧ができる、化粧品が買えるという文化をつくらなければ、今のコンビニコズメはないのです。
 ですからマツキヨがやったことというのは、一つはテスティング。ヒントは試食コーナーから来ています。それから、化粧品そのものを売るのではなくて、化粧に使うようないろいろな小物を売る。これは関連販売といいます。それ以外に、かわいい雑貨をたくさん売っています。2階は通常だったら死に場所になってしまいますが、それを生かすための仕組みを実は作ったのです。それがマツモトキヨシの最初の成功です。
 マツキヨはいつ行っても、化粧品だけでなくて、雑貨もトイレタリー、シャンプーなども、サンプルが置いてあります。メーカーは自分で試供品を置いていくのです。ですから、あそこへ行くと何か新しい商品があるという、期待感をつくる。これがもう一つの理由です。
 あとはどうなったかというと、特定のターゲットの中で口コミが広がります。すると、都心の人口密度が高いところ、高校生やOLがいっぱいいるところで、マツキヨはもともとディスカウントの主婦の店だったはずが、何かおもしろい商品があるという、若い人の店に変わるのです。何か期待感があって行く。何が変わるかというと、そこで口コミが広がって、みんなそこに集客されるわけです。これが第1段階です。その次に起こることは、利益が出てきますから、もうかったお金を今度はどうするか。店舗もそのころは100店舗ぐらいになっていたのです。
 次にやったことは、コマーシャルです。お金ができたので全国広告するわけです。電通の田島恵司さんという若いディレクターを使って、広告を作るわけです。これは社長の直で作るわけです。ですから、マツキヨの初期のコマーシャルは、私はコレクションで持っているのですが、覚えていらっしゃいますか。優香を使っています。ちょっとエッチっぽいコマーシャルで、若い子の好奇心をくすぐるようなコマーシャルを流すわけです。あとやったことは、火曜日の巨人戦の後ろに必ず出るのですが、全国の方がマツキヨを知っているのは、実は巨人戦の火曜日の試合を見ているからなのです。投げるたびに映るのですから。あの広告料だけで、1600万円程度らしいです。
 それが成功すると、今度は何が起こるかというと、もちろん都心で売上が上がります。実は、若い人をターゲットにして売上、利益が上がっていく。全国レベルのコマーシャルをやる。打っているのは関東圏だけですが、名前は知られている。すると一番いいのは、例えば茨城や埼玉にあるローカルの店です。もともとディスカウントタイプだったのですが、この売上が上がるのです。都心の売上が上がると同時に、口コミとCMでもって、主婦をターゲットにした既存店が、対前年ベースで2~3割売上が上がるのです。これはみんなブレークイーブンだった店なのです。そういう店が2~3割、売上が上がると、全部利益です。それでマツキヨは成功するのです。
 最初は偶然からスタートしているのですが、その偶然を見逃さなかった。ここは先程のポジショニングですが、他のドラッグストアがアメリカのものまねでやっているところに、日本型のドラッグストアをつくっていくわけです。その都心での成功が結局、環流していって、郊外型のお店も売上が上がる。これは完ぺきにプロモーション、CMの効果です。あとは雑誌も取り上げますから、話題づくりです。そして今度は全国展開という順番です。
 ちょうど対照的なのは、ユニクロです。これも地方の店で、ブレークイーブンかかすかすの店。株価も300円ぐらいだったのです。1998年、私は覚えています。あのとき買っておけばよかったなと思ったのですが、今のようになると思わなかったので。広島の地方の証券取引所に上場したばかりのとき、300円ぐらいの株価でやっとやっていました。成功したのは、ドーンと原宿に店を出してからです。そしてみんなの口コミで広がっていって、そのうち全国コマーシャルもやるようになった。そうすると、実はあまりもうかっていなかった地方の店が、もうかり始めるのです。今は実は逆に来て、地方の店ががらがらになってしまうことになっていますが、それでもまだ利益が出ています。
 これはたまたま小売業ですが、地方の小売業が東京へ出ていって、成功するパターンというのは、これであろうと私は予測しているのです。幸楽苑という、郡山ベースのラーメン屋があります。あそこは第2のマツキヨになる可能性があると私は思っています。株価の動きを見ているとそうですね。今、1700円ぐらいまで上がったのかな。この半年ぐらいで上がったのです。あれはたぶん、成功すると思います。パターンは同じです。地方から出ていくのだけれども、あるときに話題になります。今、都心の郊外にずいぶん店が出ているのですが、この成功がたぶん、もう1回地方へ波及してきますから、郡山のお店の売上がまた上がります。これは予言ですが、同じパターンです。数十億円の売上が、100億円にいけるかどうかというのは、この3番目に書いてある「販路の開拓と発見」の「評判の環流」ということです。
 販路の開拓と発見は、意外や意外なのですが、例えば三宅一生さんやああいう方たちがなぜ日本で成功したかというのは、海外で成功したからです。田中耕一さんも同じで、あの人も島津製作所の一研究員ですが、ノーベル賞をもらったとたんに島津の株価も上がるぐらいで、大変でしょう。あれは結局、評判を作るのは、地場で作るのではなくて、海外で有名になったり、日本の国内でいえば原宿や銀座なのです。そこで評判になるような仕掛けを作って、もう1回、地方へ環流してくる。これは非常にはっきりした明確な法則です。ですから、これをどうやってやったらいいかは難しいので、私自身どうやったらいいかと言われても、事例に学んでくださいと言うしかないです。地方から出ていって飛び立つ企業は、必ず世界に根拠があったり、東京のど真ん中に根拠があったり、そこから評判が環流していくという、明確なパターンがあります。
 アイリスもやや似たところがあって、あれは社長が一生懸命になって自分の会社を売ろうと、自分が広告塔になりました。いろいろな雑誌、朝日や毎日、日経ビジネスなどに、どんどん自分で顔を出しておいて、地方の企業だけれども、地方にもこんなに特色のある会社がありますよと、自分が広告塔になったのです。これは地方の企業例です。やはりドーンと行きたい場合の一つの法則です。経営者自らが広告となるということです。その仕掛けは、意外とマスコミ対策だったりするのです。ですから、いい商品を売っていればいいと先程話がありましたが、同じで、自分は優秀な経営者であって、自分の商品はすごくいいのだという自己満足もいいのです。けれどもやはり多少、自分を卑下してごまをすってもいいから、マスコミと仲よくなって、自分の会社を売るという手はあると私は思います。
 それから、「チャネル設計と実施のポイント」というところです。販路の開拓と発見というのは、実は先程のマツキヨ、ユニクロ、アイリスもそうです。自分の会社がマスコミや口コミを通して有名になると、放っておいても「店を出してください」とか「来てください」という話になるのです。ロックフィールドもマツキヨもそうですが、最初は結構出店するのに困っていたのです。私は幸楽苑さんも同じことが起こると思います。今は新しく店を出すために、苦労していると思います。首都圏はまだほとんど無名ですから。しかし、ある時期に、あそこがもし非常に有名になった場合、放っておいても「出店してください」という話になると思います。それは完全な転換点、ターニングポイントになります。それは経営者が自分を売り込むことができるかどうかです。それから、自分のビジネスをどうやってプレゼンテーションするかがポイントになると思います。
 それと関連して、BUY OR MAKE、あるいは自社ブランドか相手先かと書いてあります。これは表向きと実際とが結構、違うことがあります。これは2番目のお話になりますが、アイリスオーヤマ、大山さんの会社はスタート時点で全部、自分のところでプラスチック製品を作っていました。ですからスタートは全部、自社です。しかし今はどうなっているかというと、2つあるのです。大連とかアメリカの工場もそうですし、必ずしも自社ではないです。それから、いろいろなモーターを使った商品は自分で作っているわけではなくて、むしろメーカーから今、ベンダーになっています。他社が作ったものをセレクトするかたちのビジネスに変わってきているのです。自社も日本国内で作るのではなくて、海外のアイリスの工場や、その周辺にある協力工場から、実は調達してきて、日本へ持ってきている。あるいは世界へそれを持っていくかたちに変わっています。ですから、MAKEではなくBUYに変わっているということです。
 もう1つおもしろいのは、では全部そうなっているかというと、全部アイリスのブランドで、他社が作ったものを、あたかも自分の商品のように売っているかというと、そうではないです。ある商品についていうと、OEMを相変わらずやっているのです。これはホームセンターのケーヨーやコメリなど、ホームセンターのためにアイリスの名前を出さないで、相変わらず商品を作っています。ですから、他社の技術や商品力に依存するところと、販路としては相変わらず全部、自社ブランドではなくてOEMで提供することも、現実的にやっています。これはいろいろおもしろくないところがあると、大山さんは言っていましたが、現実対応として、もうかればいいのだという割り切りです。ですから、BUY OR MAKE、自社ブランドかOEMか。これは大きくなればなるほど、ある種の基準でもって割り切ることが必要になります。全部自前というのは無理ですから。
 もう1つ重要なのは、自前の技術は不等式です。マーケットは、技術の進歩より早く進みます。特にこういう国際競争がものすごく激しいときは、自分の技術、自社開発に頼っていたら、スタートはもちろん自分の力ですが、マーケットの変化の方がものすごく早いですから、それに合った商品、Seedsを探してくるしか手がないのです。ですから、かなり先を見越して自社で技術を作るのも重要ですが、結局はネットワークの中で商売をせざるをえなくなるのです。これはあるとき、みんなそうなります。
 次の「顧客との関係性のつくり方」に行きますが、実は関係のつくり方は2つあって、B2C、C2B、B2Bがあります。ネットワークの中で商売をせざるをえないし、そこが結局ポイントになります。スタートは自分の技術です。しかし、ニーズの変化はものすごく早いですから、マーケットに合わせて自分のところに技術を導入しようとしても、とても追いつかない。そうすると、技術のあるところが、技術を導入してこないといけないし、商品も外から調達してこないといけない。ですから、これはどうしてもアウトソーシングせざるをえないところがあります。会社が大きくなればなるほどそうだし、そういうことをしないと、うまくマーケットのトレンドについていけないのです。
 そのために必要なことは、実は商売の作り方として、閉鎖系と開放系があるのですが、ますます地方へ行けば行くほど、逆にクローズな仕組みではなくて、オープンな仕組みの中にどうやって乗っていくかが、とても重要だと思います。大山さんの商売をずっと10年ほど見ていますが、基本的には大山さんは全部、自分でやりたいタイプなのです。全部自分でやって、全部自分で利益を取りたいというスタイルの経営者なのです。もともとあそこの仕組みは物流を見てもわかりますが、全部クローズで自分でやっています。そうであっても、もうオープンな仕組みでやらざるをえないというのが、ある種の宿命です。
 問題は、経営者としての資質を今問われていると思うのです。大山さんは若いころから一人でやっていて、全部自分が最高でやってきた方ですが、今は一人ではできない。そうすると、他の方、ホームセンターの経営者、それから彼にとっての納品業者の方とどうやって信頼性を作るかという課題、すなわち今がちょうどその分かれ目にあると思います。もういい年ですが、彼はずっと自分でたたき上げた経営者ですから、かえってそういうのが実はネックになるのです。ですから大山さんは今問われていて、もう一段彼が上に行けるかどうか。これを言うのは私だけですから(笑)。
 今まではここまで来たけれども、他人とのネットワークの中で商売せざるをえないので、他の経営者とどういう信頼関係をつくれるかというところが今、アイリスさんは問われているのだと思います。そうでなければ、大体今のままで終わってしまうと思っています。これはとても重要なので、ともすればSeedsから出発した会社は、そういう危険性をはらんでいます。
 ここで言ったことは、「新規獲得→顧客維持→追加販売」という話の「仕組みづくり」と書いてありますが、これは時間があればあとでお話しします。
 地方からスタートしたベンチャー企業の役割というのは、そういうことを端で言ってあげる人がいないと、独りよがりになってしまうところがあります。それは私のような人間の役割でもあるし、こういう場でいろいろな情報を提供していくのです。
 最後に、意識改革のための「場」の創出という話をさせていただきます。おそらく年商10億円~20億円、それからせいぜい30億円~40億円の会社の社長で、一応、技術は持っていて販路もある程度あるという方が、その上に伸びていくためには、似たような経歴でありながら、違う経歴を持った方たちと、出会う場が必要です。これは東北にそのベースを置く組織である、東北産業活性化センターやほくとう総研の役割ではないかと思うのです。気がつかないと、そのまま行ってしまうのです。けれども、いろいろな方を紹介してあげれば、そこで場ができて、まさに参照事例を作ることができます。
 これはまさに出会いの場の創出だと思いますが、もう1回、私の例に戻ります。私は日本フローラルマーケティング協会という場を作っています。これはNPOですが、実際的にはインキュべーションです。私の仕組みというのは、ビジネス・インキュベーションの仕組みです。私のところに入っているのは、とても有名な企業がたくさん入っています。キリン、サントリー、日比谷花壇、イオン、イトーヨーカ堂、西友、無印も入っています。
 そういう会社というのはとても重要だけれども、実はもうちょっと重要なのは、まだ売上が5億や10億、20億という会社です。それはこの花の業界でいうと中堅なのです。彼らにとって、未来が実はあるのです。キリンやサントリーに未来があるわけではなくて、私は彼らに未来があると思います。その中に例えば、青山フラワーマーケットという花のチェーンで、生まれたばかりのところがあります。28店舗か何かです。井上英明という39歳の若社長ですが、彼と出会ったときにはまだ11店舗で、東急百貨店の中のコーナーで展開していましたが、今はマスコミでも有名になって、しょっちゅうテレビにも出ているし、雑誌にも出ています。
 日経の夕刊に、ずっと栩木さんという編集委員がお花の挑戦というコーナーで、二十数回連載した中に、出てくるのです。キリンやサッポロの話も出ています。そして井上さんも出ています。おそらく将来は日比谷花壇を抜いて、日本で最大の花屋のチェーンになると思います。それはインキュベーションのための情報交換です。井上さんは、やはりキリンやジャスコとも話をするのです。一見、競合するけれども、他人がやっているビジネスを横で見るのはとても重要で、それは小売業者だけではなくて、種苗会社、例えばタキイのようなところと一緒に話をしたり、そうすることが結局大きくなっていく一つのポイントなのです。
 ですから同じことで、東北でもそういう「場」が必要なのです。ちょうど伸び盛りの社長さんやトップの方は、下手すると自分の狭い業界、チャネルの縦の方たちとか、自分の顧客、自分への供給業者さんとの話、ある意味ではその地域だけ、地域の特定の業界だけに、話を閉じてしまう可能性がある。もちろん、世界に出ていった方もいらっしゃいます。けれども、もう少し違うかたちで、いろいろな話を聞くチャンスをあげるのが重要です。
それをコーディネートしてあげる機能が、こういう場で実は必要であると思います。その根っこにあるのは、最後に「私見」と書いてありますが、私はやはり経営者、特に中堅の経営者は、ものすごく孤独だと思うのです。精神的に孤独であると同時に、情報的にも孤独なのです。そういうことで、投機をするわけですが、投機のしかたが、いったい正しいのか悪いのか、まちがっているのかを、ちゃんと評価してあげる。もし正しいとすれば、それを後ろから押してあげられるような仕組みや人を、必要としていると思うのです。マーケティングもとても重要ですが、経営者として見ると、言ってみれば自分の将来の正しさのようなものを、後ろから押してくださる組織や人がとても重要だと思います。
 ちょっと自分の話になってしまって、マーケティング戦略の立案みたいな話に収まったかどうかわかりませんが、またあとでご意見、ご質問がありましたら、お話ししたいと思います