su+preview: 『ブランド戦略の実際(新版)』第4章(1)ネーミング

 新版の中でも、第4章は、内容の書き換えと事例の入れ替えが多かった章です。その中から、発売の二か月前に、最初の第一節をお届けします。この章でも、図表の数がかなり増えています。200ページで950円を予定していますが、もっと増えるかもしれません。


第4章「ブランド戦略の実際」

1 ネーミング
 
(1)ブランド名の変更-米国日産自動車のケース

 結婚による改姓という例外はありますが、われわれは自分の名前をむやみに変更することを法律で許されていません。社名やブランド名は、すこし別の理由から、すなわち、変更にともなうコミュニケーション・コストが非常に高くつくという理由から、めったに変えられることがありません。
 一九八一年、米国日産自動車は、アメリカ人に長く慣れ親しまれてきた車名DATSUN(ダットサン、米国の発音では「ダッツン」)をNISSAN(ニッサン)に変更する決断を下しました。世界の一流車メーカーとして、東京本社が国際的にブランド名を統一したいという意向をもっていたからでした。米国内で新車名NISSANを浸透させるために、三年間でおよそ四〇〇億円の広告費が投入されました。このほかに、看板を付け替えたり、商標デザインを修正するといった事務経費に、ほぼ同額の費用が費やされたといわれています。
 その前年には、旧車名DATSUNの車名知名率は、ほぼ八四%でした。この高いブランド知名率は、変更の直前まで全米でオンエアされていた広告キャンペーン“Datsun: We Are Driven”の成功によるものでした。好評を博したCFのおかげで、ブランド知名率だけでなく、旧車名に対する好意度もかなり高いものでした。
 したがって、車名変更を決断したこの時点で、過去数十年間にわたって旧ブランド名・DATSUNに投資してきた広告費用は、ほとんどが無駄になってしまいました。その後のフォローアップ調査によると、NISSANの車名知名率と好意度は、DATSUNの時代とほぼ同じ水準であったということが報告されています(デビッド・A・アーカー『ブランド資産の管理』ダイヤモンド社)。

 
(2)CI活動とブランド名
 
 日本でも一時期、CI(Corporate Identity)活動が一世を風靡しました。当時、各社は経営理念の刷新と称して、競って社名変更を実施しました。多くの企業は、多角化で事業領域が拡大したことで、旧社名が実際の事業内容を正しく反映していないことを正当な理由として掲げていました。漢字表記の堅い会社名では、コーポレート・イメージを伝えるメッセージとして古くさいというのが変更の理由だったようです(表四-一)。
 
(表4-1 ブランド名の変更例)
 
旧ブランド名 新ブランド名 変更理由/効果
ダットサン  ニッサン   米国でのブランド価値喪失
ネッスル  ネスレ     グループ名の国際的統一
野田醤油 キッコーマン 米国でキッコーマンが醤油のことを意味するようになった
吉田工業 YKK      商標の統一
トリオ    KENWOOD 輸出用ブランド名がビッグネームになった
小西六写真工業 コニカミノルタ 1948年から使用のブランド名「コニカ」に変更後、
                    ミノルタと合併で現在の名に
スタンダードオイル EXXON(エクソン) ENCOに決めたが、日本ではエンコの意味になるため、
                    エクソンに変更
ウインダム レクサス      アメリカ市場用のブランド名にした
                  「トヨタ」のブランド隠しで成功
日石三菱   ENEOS      合併による新ブランド名

 事業内容にフィットした名前でCIに成功した企業もありました。たとえば、住宅設備機器メーカーのTOTO株式会社です。TOTOは、生陶器のメーカーとして、一九一七年に「東洋陶器株式会社」という社名で事業をスタートしました。一九六九年、Toyotokiから、TOTOへ商標を変更、翌七〇年には、社名を東陶機器株式会社に変更しました。現在のTOTO株式会社に社名を変更したのは、二〇〇七年になってからです。このころには、製品ラインが衛生陶器だけではなく、システムトイレ、浴槽、ユニットバス、システムキッチン、洗面化粧台など、水回りに事業領域が拡大していました。漢字の社名が事業領域と合わなくなっていたわけです。
 同様の事例は、同業者の株式会社INAXでも起こっています。INAXの場合は、旧社名が伊奈製陶㈱でした。伊奈製陶がCIを実施した際に、事業発祥の地である地名のINA(伊那)に、未知数のXを付けて改名したものです。
 新社名の中には、事業領域がまったく推測不可能な社名も見かけます。イメージだけを追いかけて、親しみやすかった旧社名の貴重な資産を食いつぶし、CIそのものに失敗した例もあります。 会社名であれブランド名であれ、名前やシンボルマークは、事業運営やマーケティング活動の中心にあって、企業経営に求心力を与える役目を果たしています。したがって、名前やロゴマークを変更するということは、ブランド(事業)に対するアイデンティティが問われているということでもあります。
 ネーミングに対する考え方は、トップの経営理念を反映しています。トップは事業への希望を、ブランドの名前に託します。新しいブランドは、命名された時点から、新たな個性を付与されることになります。ブランド名からの連想は、その後のブランドの展開を方向づけますし、逆に、将来の発展可能性を制約することにもなります。
 
(3)ブランドネーム・スペクトラム

 ブランド名は、カラー・スペクトラムのように、さまざまな言葉のニュアンスを発色する「ネーム・スペクトラム」(名前の分光帯)に分解できます。
 表四-二に、ネーム・スペクトラムの具体的な例として、わが国の代表的な乗用車名から作成した「車名スペクトラム」を掲げておきました。 カラー・スペクトラムには、光の波長が短い「紫」の方向と、波長が長い「赤」の方向の両極があります。ブランドネーム・スペクトラムで紫に対応するのが「抽象的」な軸の方向で、赤に対応するのが「具象的」な軸の方向です。緑色や黄色のような中間波長の色光があるように、ブランドネーム・スペクトラムにも、中間的な領域が存在します。ブランド名が「手がかり」となって、そこからさまざまなブランド連想が喚起される広い帯の部分です。
 表四-二は、高級車とスペシャリティー・カー(RVを含む)から代表的な三〇車種を選んで、「車名スペクトラム」を作成してみたものです。図の下の部分には、参考までに車名タイプ(国、対象)と車名の由来、メーカー名を記しておきました。 予想されたように、車名スペクトラムには英語が多いのがめだちます。二〇一〇年の登録台数上位三〇車種では、英語車名の占める割合が六三%になっています。
 最近では、ラテン文化圏の料理やサッカーの流行からか、スペイン語、イタリア語に起源をもつ車名が増加する傾向にあります。 高級車には豪華でエレガントな感じの車名が、スポーツカーには高性能やスピードを連想させる言葉が多用されているのがわかります。スペシャリティーカーには、造語や略語、合成語がめだちますし、速さを象徴するシャープな形容詞や抽象的な言語表現が好まれています。
 アウトドア・ライフを楽しむ人々に向けてつくられたRV車には、自然の雄大さや力強さを連想させる言葉が使用されています。ここには掲載されていませんが、ファミリーカーには家庭的で親しみやすい名前(シビック、カローラ、マーチ)が、軽自動車には可愛らしい名前(ミラ、ムーヴ、タント、ライフ、アルト、パレット、モコ)が用いられる傾向があります。 車名スペクトラムをみると、各社の車名に対するポリシーが一目瞭然です。
 特徴的なのは、ホンダと日産の対比です。ホンダは、抽象的なネーミングの軸方向に多くの車名を配しています。日産車は、具象的な人物や動植物に由来する名前が多いことがわかります。トヨタ車のかつてはスペクトラムの中間領域に配置されていましたが、いまでは抽象的な領域の車種が増えてきています。グローバルな企業イメージの変化と、トヨタ車のポジショニングを考えると、これはとても象徴的です。
 
(表4-2 車名スペクトラム)

 
(4)ネーミング管理システム

 自動車会社にかぎらず、大きな企業であれば、ブランド名を決めるためのネーミング管理システムをもっています。図四-一は、あるコンサルティング会社が採用しているネーミングのマネジメント・プロセスを示したものです。 (図4-1 典型的ネーミング・システム)
 新しい名前の創出は、「ネーミング戦略の策定」から始まります。まず、新ブランドの革新性、国際性、製品特性などを考慮して、基本的なネーミング戦略が確認されます。企業名、ファミリー名との連携、発音のしやすさや抽象度などのネーム・スペクトラム上での位置について、ごく大まかな方向性が決定されます。新ブランドのネーミングを開発するために、しばしば、製品エンジニア、ブランド・マネジャー、パッケージ・デザイナー、知的所有権担当者(法律家)、広告代理店やコンサルタント会社から派遣された専門家をメンバーとする特別作業チームが編成されます。
 第二段階は、名前の「テーマ選定」です。ここでは、具体的な名前とコンセプトが創出されます。新製品のターゲット顧客と技術的な製品属性をすり合わせて、コミュニケーション・コンセプトが精緻化されていきます。
 最近では、コンピュータを使ったネーミング・システムが開発されています。コンピュータに登録された名前を検索して一覧表を作ったり、キーワードを条件入力してまったく新しい名前を作ってしまうといったことが、実際に行われています。また、特許庁の商標検索サービスにアクセスして、新しく考案したブランド名が、すでに存在していないかどうかを重複チェックすることができます。
 こうしたシステマティックな方法の他に、旧来からよく使われている方法として、名前の「一般公募制度」があります。 第一次スクリーニングを通過した二〇〇~三〇〇の候補ブランド名は、さらに法律的・言語学的な基準によって、五〇~六〇ブランドくらいに絞り込まれます。圧縮されたショート・リストが、名前の「最終決定段階」に引き渡されます。他社が同一ないしは類似ブランド名を使用していないかとか、海外展開が考えられるブランドについては、現地語での適切さや、法的な問題点が検討されます。最後に、消費者テストを経て、ただ一つのブランド名が選ばれます。