新潟県糸魚川市に、「SKフロンティア」というわさび栽培の会社がある。祖業は土木建設会社「渋谷建設」である。雪国で見かける融雪装置にヒントを得て、雪解け水を地下から汲み上げて、真妻(国内向け)と正緑(輸出用)という2種類のわさびを栽培している。
わさびの栽培が本業なのだが、アクアポニックスといって、わさびに散水した排水(汚れてはいない)を養殖槽に流して、プールでチョウザメを育てている。同じインプットで、わさびとキャビアの両方でで儲けようと、アクアポニックスのプラント技術を9年前から採用している。
渋谷社長のために、わたしはわさびの販売アドバイザーの役割をしている。しかし、先週になって、渋谷社長からチョウザメ事業の「嘆き話」(失敗談)を聞くことになった。
渋谷さんのわさび栽培の特徴は、地下からくみ上げた14℃の伏流水を、365日24時間、わさびに散水を続けるところである。ミネラル分の豊富な伏流水を「浴びて」、わさびは天然のものより早く大きく育つ。姿形のよい、「美人のわさび」が出来上がるのである。生産効率も良いので、コロナの一時期を除くと、年間を通してわさびには引き合いがあった。
他方のチョウザメの方は、残念ながら、当初から問題含みだった。わたしが最初にSKフロンティアさんを訪問した年(2022年春)に、渋谷さんから「チョウザメのメスが、なかなか抱卵しない」との嘆きの声を聞いた。通常は、小さな幼魚から飼い始めて、5年程度で卵を産むらしい。ところが、SKさんのところでは、なかなか卵を産む気配がなかった。
2023年の訪問の際に、数匹が抱卵していたようだが、それでもキャビアにできるほどの量は獲れていなかった。わさびは肥料無しで育つが、チョウザメはそれなりに餌代が掛かる。たしかにキャビアは高価だが、餌代がばかにならない。チョウザメの他に、幻の魚と言われるイトウも養殖していた。こちらは、年間に数十匹は出荷していたらしい。
今年に入っても、チョウザメの方は卵を産まないらしく、養殖事業の赤字幅が拡大していた。さすがに抱卵しない原因を、渋谷がどなたか養殖事業に詳しい専門家に尋ねたらしい。
わかったことは、わさびにとって良好な栽培条件(年間を通して14℃で一定)が、チョウザメやイトウにとっては、よろしくないことがわかったのである。つまり、常春の栽培環境でわさびは早く大きく美くしく育つが、魚(動物)にとって、年間14℃の常春状態は、生育環境が良好すぎるのである。
冬の時期(水温が10℃以下になる)を経験しない魚は、子供を産まないらしいのだった(推論)。植物でも、球根類には「休眠打破」という現象がある。氷点下の気温に1か月程度晒されない(冬を体験)と、春が来たことを感じて植物(球根)から芽が出てこない。
というわけで、わさびにとって良い条件が、アクアポニックスの養殖にはマイナスだったわけである。さて、渋谷社長は、この先、どのようにチョウザメ池を維持し続けるのだろうか?それとも、キャビアは諦めるのだろうか?
渋谷さんの話を伺っていると、この際は、赤字続きの養殖池からは撤退するように思う。しかし、高値がついているキャビアの夢を、やすやすと捨てることができるだろうか?
環境が良すぎるのことは、植物の栽培や魚の養殖では、マイナスになることがあるのだった。渋谷さんにとっては、がっかりな話だろう。しかし、わたしのような物書きにとっては、おもしろい失敗談ではあった。
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