その人の名前は、小川孔一さん。この字面(じづら)は、どこかで見たことありそうな気がする。2017年に、「一般社団法人HAPPY WOMAN」を立ち上げた人だった。自称「ハッピークリエイター」の存在を教えてくれたのは、JFMA事務局の拝野多美さんである。
『JFMAニュース』(2024年3月号)のコラムで、わたしが「ミモザの日」のことを書いた原稿を校正していた拝野さんが、「国際女性デーをプロデュースしている人で、先生と一字ちがいの方がいらっしゃいますよ!」との情報をくださった。
その昔、北海道のどこかに、わたしと同姓同名の人間(2000年ごろ、中学生だったはず!)がいることは確認してある。ネット検索して見つけたのが、北海道の中学生(小川孔輔くん)だった。彼はその後どうしているだろうか?
もしかすると、エゴサーチ(自分の名前検索)をして、わたしの名前を見つけることがあるかもしれない。そう思っていたが、「(法政大学の)小川孔輔先生へ、(北海道の)小川孔輔より」というメールをいまだにもらっていない。
ところで、小川孔一さんの名前は、わたしのエッセイストとしてのペンネーム(小石川一輔)と、これまた一字違いである。なんという偶然だろうか。孔一さんのご両親がどのような思いで、この名前(孔一)を思いついたのか?ちょっと気になっている。
わたしの「孔輔」は、分解すると、中国の歴史で著名な軍師=諸葛孔明の「孔」を借用したものである。「輔」は、補佐の意味である。歴史が好きだったわが父(久)が、必死になって考えついた名前だった。
孔輔という名前は、文字面がよい。覚えやすくて、特徴のある名前である。小川の姓が6画しかないので、父としては軽い苗字だと思ったのだろう。下の名前の方には、重厚な「輔」をあてたのだろう。そんな話を、生前に父から聞いたことがある。
親としては、子供の名前は責任をもって命名すべきだと思う。キラキラネームは、避けてほしいと思う。しかし、人それぞれに好みや趣味があるから、一概にきらきらが悪いとも言えないところがある。余計なお世話になってしまうからだ。
ただし、命名の仕方には、その人の知性と教養が透けて見えてしまう。そして、関西人の場合は、名づけにあたっては、遊び心も外せない要素ではある。神戸に住んでいる長男は、ふたりの子供たちに、紗楽(さら)と諒(りょう)という名前をつけた。最初に生まれた女の子は「サラ」で、二番目に生まれてきた男の子が「リョウ」である。
ふたりの誕生時に、長男は総菜メーカーの開発シェフ(サラダとフライ担当)をしていた。どちらも自社の商品ラインとカテゴリー名である。二人の名前を順番に読んでいくと、サラダの「さらちゃん」、料理の「りょうくん」になる。
千葉県で生まれた長男は、神戸に移ってから関西人になってしまった。もともとが関西人にある素質があった。そうをいいことに、洒落っ気を出して、そのように子供に名前をつけてしまった。紗楽も諒も決して悪い名前ではない。
後日談である。2022年に、長男の会社の社史を執筆した。『青いりんごの物語、ロック・フィールドのサラダ革命』(PHP研究所)という書名だった。当時は、創業者の岩田弘三会長が健在で、この人は生粋の関西人だった。そもそも、自分が興した会社に、「ブリジストン」(石橋)を模して、「ロック・フィールド」(岩=ロック+田=フィールド)という名前にした。明らかに、ダジャレの極みである。
社史本の出版日に、わたしから岩田会長にお礼の電話を入れた。どういう流れで、そんな話になったのかは忘れてしまったが、わたしの孫の名前が、会社の事業(「サラ」ダと「料」理)に由来しているということを説明した。
そのときのことである。関西人の岩田会長は、とっさにわたしの話におもしろく反応しなくてはけないと考えたようだった。
「先生、息子さんたちに3番目のお子さんが生まれたら、名前は”ころ輔くん”ですな」。ころ輔は、「コロッケ」のことだとすぐにわかった。ロック・フィールドの第2の柱であるブランド=「神戸コロッケ」から取った名前である。
岩田会長は、元気にしているだろうか? 昨年の株主総会で代表権を返上して、創業者名誉会長に退いている。
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