【ちょっとした偶然】サントリー・フラワーズから、北米(米国とカナダ)で青いキクが発売になりました。

昨日のJFMA理事会で、サントリー・フラワーズの担当理事が、現任の瀧澤氏から鈴木氏(切り花部門長)に交代することが承認されました。実際の就任は、6月の総会以降になります。本ブログで、「特定企業からの理事交代」の話を紹介する理由は、理事会の場で、少しばかり感動的な場面に出くわしたからです。簡単に紹介します。わたしは司会役でしたのがメモをとってません。事実に関してはやや不正確なところがあるかもしれません。

 

 ご存知のように、サントリー(フラワーズ)は、青いカーネーション(ムーンダスト)や青いバラ(アプローズ)を発売しています。遺伝子操作によって、自然界には存在しえない「青いバラ」を創造する夢のプロジェクトが実現しました。ドリームプロジェクトのために、サントリーはオーストラリアの育種会社(フロリジーン)を買収しました。30年ほど前のことです。

 1990年代の中ごろ、わたしは大学間の交換研究プログラムで、シドニー大学に滞在していました。2か月の滞在期間中に、メルボルンにあったフロリジンの本社を極秘で訪問したことがあります。サントリーと提携を始めたばかりの同社のラボで、青いバラの初期の組織培養苗(カルス状態)を実際に見る機会に恵まれました。

 結果は皆さんがご存知の通りです。完成した青いバラと、その創出の課程で誕生した青いカーネーションの国内デビューは、北米にやや遅れて、それぞれ1997年と2007年でした。今回の青いキクも、米国とカナダで先行発売されることになりました。日本の場合は、遺伝子組み換え作物が認可されるまで時間がかかります。

 残念ながら、国内ではいまだ入手できない状態にあります。数年後を楽しみに待つことになります。

 

 理事会の場に話を戻します。新しくJFMAの理事に就任することになった鈴木さんは、海外の切り花担当部長さんです。昨日は、オンラインで、JFMA事務局長の松島さんの指名で、理事就任のあいさつをすることになりました。理事会の参加メンバーは、事務局3人とわたしを含めて、20人ほどでした。

 鈴木さんが、ご自分の略歴を紹介しはじめたところで、鈴木さんのサントリー入社時期が、昨年からJFMA事務局に参加している拝野さん(元サントリー、青山フラワーマーケット)とほぼ同じ時期だったことがわかりました。鈴木さんの挨拶の途中でしたが、拝野さんと鈴木さんの間で一瞬、30年前の「昔話」に花が咲きました。

 拝野さんも鈴木さんも、当時は就社直後でした。配属されたのは海外事業部門だったらしく、お二人の机はすぐ近くだったようです。最初の偶然です。

 

 正式な理事会が終わったあと、いつものように、オンラインで自由な意見交換の場になりました。午後には、4年ぶりに対面で「新春セミナー」が予定されています。市ヶ谷駅前の貸会議室で実施されることになっていました。

 情報提供とフリー討議に費やすために、あまり時間はありません。しかし、その場(zoomオンライン)で、市村先生(福花園種苗)から新理事の鈴木さんに、青いキクのことで質問が投げかけられました。市村先生の問いは、「北米で販売されているキクの値段」についてでした。

 鈴木さんからの答えは、「青いカーネーション(ムーダスト)と同程度、1.3~1.5倍の価格プレミア」というものでした。日本の場合(仏花)とは異なり、北米でキクは日常使いのアイテムになります。鈴木さんの発言を個人的に解釈すると、「やや珍しい花色のキクを、一般消費者がふつうに購入できる程度の価格で提供する」という説明でした。

 

 価格プレミアムの質問に続いて、市村先生からは「青いキク誕生の裏話」が紹介されました。これが昨日の2番目の偶然でした。

 花業界人たちの間で、市村先生は、「花の鮮度保持の研究」について著名な研究者として知られています。鮮度保持に関する研究書も、数冊発表しています。また、わたしたちJFMAの「花の日持ち保持プロジェクト」(農水省補助事業)では、長い間、研究機関の取りまとめ役をお願いしています。

 ところで、鈴木さんと市村先生とのやり取り中で、わたしたちが知りえなかったことが明らかにされました。先生はもともと、農研機構に所属していました。そのときの話です。青いキクの誕生のきっかけになった基礎研究は、サントリーが農研機構と精興園(現、イノチオ)との共同プロジェクトとして実施されていたものでした。

 「わたし(市村先生自身)が、農研機構内で研究開発リーダーだった」ということを、JFMAの理事の皆さんも、昨日の理事会の場ではじめて知ったようでした。日本の花産業の主要人物が、JFMAの周辺に集まっているという挿話でもあったわけです。つくづく思ったのは、花の業界横断的な組織(日本フローラルマーケティング協会)を作ったことは、とても意義のある活動の出発点になっていることでした。