手帳の中の自由な時間

 年明け早々から風邪を引いた。そのせいもあって、自宅でゆったりしている。今年の目標は、スケジュールに拘束されない「自由な時間」を増やすことである。この10年間は、ひたすら手帳にスケジュールを詰め込んできた。心変わりがなぜ起こったのか?



 第一の理由は、読書時間の確保のためである。このところ、仕事が忙しすぎて、本や資料が読めなくなっている。10年前と比べると、とくに「無駄な本」を読む時間がない。
 小説の類やいまの仕事とは一見して関係のない、ビジネスや経済を離れた書籍など。そのために時間を確保したい。もともと本好きだった。作家が他人の本を読めないというのも、おかしなことだ。

 二番目は、スケジュールに隙間がないと、緊急事態に備えられないからだ。弟子や学生や仲間や家族から、しばしば「SOS」のコールが入る。すぐにでも助けに来てほしいのだ。
 サイレンが、う~んう~ん鳴っている。だが、スケジュール手帳に隙間がないほど忙しいわたしには、レスキュー(救助)に向かう余裕がない。苦境にある仲間や子供たちをすぐにでも助け出したいのだが、駆けつけられない。
 わたしに自由な時間もなさそうなので、つい相手も遠慮させてしまうらしい。それと、忙しいと、緊急事態で泥に埋まっている車両(困っている人)に気が付かなくなる。警戒網のアンテナの感度が鈍ってしまうのだ。

 最後は自分の側の理由である。わたしは、きわめつけのわがまま人間である。そもそも、自由が失われると、ご機嫌が悪くなる。
 気持ちよく人生を生きたいと思っている。残り少なくなった人生。単純に、拘束されていない自由な時間がほしい。なので、隙間を埋めるのをやめたくなったのだ。
 そんなわけで、今年からは、手帳の余白を半分以上は空けておくようにする。

 ときどき、人の手帳を何気なく見てしまうことがある。わたしの手帳は、彼らの物と比較して、隙間がほとんどないと感じている。昔は、それでも、忙しいのは幸せなこと、いっぱい稼ぎもあるし、などと思ったものだ。しかし、いまは反省している。
 忙しいから人気があるからといって、かならずしも「豊かな時」を過ごしているわけではない。単に忙しいだけなのだ。自由な時間を増やさないと。精神衛生上もよくないことに気が付いた。
 おかげさまで、風邪を引いて仕事をキャンセルしているので、元旦から気持ちがよい。もっと無駄に時間を過ごすことにしよう。

 咳がいまだに止まらない。インフルエンザ?肺炎?単なる風邪?
 熱はないのだが、とうとう、近くの病院に行く決心をした。それでは、、

 <診断結果>(白井由井内科)
 診察の結果、単なる「気管支炎」であると判明した。先生に舌を出して!と言われて、黄色くなっている舌を見て、飲みすぎで胃腸が荒れていると指摘された。要するに、忘年会で飲みすぎて、カラオケとおしゃべりで喉を痛めただけのことだった。
 病院から指定されて、近くの福太郎(処方薬局)に行った。窓口から5種類の薬が出てきた。総額1300円。これって、安すぎる。本当の値段(国民負担額)を考えてしまった。これをドラッグストアで買ったら、いくらになるだろう。3倍くらいはとられそうだ。ああ、朝から頭がビジネスになっている。