50年間の想いが詰まった「あとがき」@七夕の日

 昨日(8月7日)、最終ゲラをチェックして、『わんすけ先生、消防団員になる。』は校了になった。10月の発売に向けて、印刷のプロセスに入る。世の中に出るまで時間があるので、先月の七夕の日に書いた「あとがき」を発売前に公開してしまう。長年の想いが詰まった文章である。

 

 小石川一輔『わんすけ先生、消防団員になる。』

 (小学館スクウェア、2023年)

 

 あとがき

 子供のころ、小説家になりたかった。35歳で大学教授になったが、物書きになる夢を忘れなかった。座右の銘は、「有言実行」である。言い続けていれば、書き続けていれば、偶然がいつか必然を引き寄せてくるものだ。そう考えて生きてきた。
 1年前の7月9日のことである。北区赤羽マラソンを走るため、上野行きの京成電車に乗っていた。ふと見ると、つり革の脇に「かつしか文学賞」の募集広告が目に入った。ポスターの絵柄は、鮮やかな青空の背景に白い雲。夏空があることを思い出させた。

 法政大学を退職するにあたって、自著で49冊目になる『青いりんごの物語:ロック・フィールドのサラダ革命』を約300名の友人に献本した。一緒に、「教授から作家への転身」という挨拶文を封入しておいた。退職に当たって、物書きへの転身を宣言したわけである。

 

 漠然とした構想は、ずいぶん前から頭の中にあった。東京の下町に引っ越してからブログに書き溜めていた短編(「柴又日誌」に収録)を編集して、『商人版:東京下町物語』として直木賞に応募してみようと思っていた。その後、元同僚で友人のミステリー小説作家・前川裕さんから、「直木賞は応募形式の賞ではないですよ。小川さん(笑)」と教えてもらった。無知のなせる業である。
直木賞の選考方法を知ったあとだったので、「かつしか文学賞」への応募話が舞い込んできたのだと、自分に都合よく解釈したわけである。電車の中で見たコピーは鮮烈だった。
 ―― 舞台は葛飾。心に響く小説(はなし)をください。――
 応募してみたい気持ちになった。心に響いて、心を打つ。そんな話の連作を書いてみたい。ところが、文学賞の締め切りまでは、100日弱。何の準備もしていなかった。
 そこに、強力な助っ人が現れた。ビル・ジョージ著『True North:リーダーたちの羅針盤』(生産性出版)で、一緒に翻訳をしてくれた林麻矢さんである。わたしの文章を読んで、節ごとに編集作業に参画してくれた。彼女なしには、作品の提出ができなかっただろう。

 

 締め切り(10月8日)の前日に、応募作品を駅前のポストに投函できた。提出期限には間に合ったのだが、翌年3月の優秀賞の発表では、『わんすけ先生、消防団員になる。』は優秀作品に選ばれなかった。それどころか、佳作の3篇にも残れなかった。
 大いに落胆していたところへ、京都の娘から励ましのメールが届いた。「ちち(父)、著作権が保持できたからラッキーじゃない。小説として出版できるじゃん……」。そうか、受賞してしまえば、著作権は葛飾区に移管される。賞金の100万円と引き換えに、自分で好きなように作品を出版できなくなるのだった。

 2011年に『しまむらとヤオコー』の編集を担当していただいた小学館の園田健也さんに連絡をとってみた。応募作品を小学館から出版できないかという相談である。園田さんからは、「小学館スクウエア」という子会社があることを教えてもらった。
 自費出版部門の担当者につないでいただき、今年の9月中の刊行を目途に、出版のスケジュールを組んでもらった。本の装丁は、『しまむらとヤオコー』や『青いりんごの物語』などでお世話になった「ナノナノグラフィックス」にお願いすることになった。
アートディレクターのおおうちおさむさんには、いつものように素敵な装丁にしていただいた。なお、表紙デザインは、京都の娘が描いたスケッチ画が元になっている。

 

 葛飾に引っ越してから、わたしの生活が大きく変わった。地元で商売をしている方たちや、ご近所さんとはずいぶん親しくしていただいている。昨年の11月には、本田消防団の団員になった。東京消防庁に所属する準公務員である。
 本書は、地元の人たちとの交流を横糸に、関西(神戸・京都)と東京下町に分かれて暮らしている子供や孫たちが成長していく様子を縦糸に描いた私小説である。そして、『わんすけ先生、消防団員になる。』は、自分史でもある。
 回想場面では、懐かしい出来事を挿話として取り入れている。秋田で暮らした子供のころ、学部や大学院時代の話、米国留学や千葉での暮らしを描くことを通して、苦しくも楽しかった過去を振り返ってみている。
 本文中では、わたしを含めて3親等までの近親者は仮名にしてある。それとは逆に、ご近所さんや商売関係の方は、ご本人の了解を得たうえで、実名で作品には登場していただいている。その方が自然だと考えたからだが、プライバシーに関わる記述もあるので、ご迷惑がかからなければよいがと心配はしている。

 

 物事には、すべて終わりがあるものだ。本書を執筆した理由が、もう一つある。それは、わたしが愛おしく感じている人々を記録に残しておくためである。両親や美代子おばさん、いまは亡き肉親や友人たちが、本書の中にひっそりと登場してくる。
 過ぎ去った時間は取り戻せないが、書くことで蘇らせることができる人もいる。それこそが、物書きの特権だと思っている。50年の長い時間をかけて、途中で諦めることなく、小説家としてデビューができたおかげである。
 2023年七夕の日