『DIY白書』(年報の解説記事)の時代から、約20年間に渡ってDIY協会へ寄稿を続けてきた。今回の夏季号では、「ホームセンター業界におけるイノベーション」を取り上げてみた。HC業界に限らず、いくつかの業界の経営課題について考えることは、わたし自身のライフワークでもある。
「HC業界におけるイノベーション:いま何をなすべきか?」
『DIY会報』2023年夏季号(No.171)
文・小川孔輔(法政大学名誉教授、一般社団法人日本フローラルマーケティング協会会長)
1.イノベーション特集
『ダイヤモンド・ホームセンター』(2023 年 4 月 15 日号)で、「常識にとらわれないイノベーション、5兆円市場を創り出す」という特集が組まれた。3 か月前のことである。筆者はその前年に、ジム・イングリス著『史上最強のホームセンター:常識破りのホームデポ経営戦略』をダイヤモンド社から出版していた。¹
翻訳を仲介してくれた同誌の髙浦編集長から依頼があり、特集号でインタビューを受けることになった。日本のホームセンター市場は、1990 年代から 5 兆円の壁が超えられずにいる。その間、欧米では業界で上位集中が進展し、市場規模が約2倍に膨らんでいる。欧米との格差が大きく開いた遠因は、質と量の両面からイノベーションが不足したからである。「そこを突破する方策についてコメントを加えてほしい」という依頼だった。
インタビューに当たって簡単なメモを用意した。記事のタイトルは、「ホームデポから学ぶ、国内 HC がやるべきこと」になった。² そこで取り上げた論点は 4 つであった(以下、2 ~ 5)。本稿では、インタビュー記事では十分に整理されていない論点について、詳しく解説を加えてみたいと思う。
2.顧客サービスの刷新
ホームデポの歴史を振り返ってみる。創業者が引退したあと、会社として短い期間の躓きはあったものの、創業から 35 年の長きに渡って事業の成長が継続できている。最大の要因は、一見矛盾して見える「低価格」と「質の高いサービス」の両立だった。それに加えて、専門的なスキルをもったモチベーションの高い従業員が、売り場を支えてきたからである。
当然のことだが、「顧客第一主義」を現場の従業員が理解して実践できたからだった。80 年代の創業期に定着したホームデポの企業文化(翻訳では、「オレンジ色の文化」と呼ばれている)は、デジタル時代が到来しても基本的に変わることがなかった。
一般的に、顧客は企業が提供する商品サービスに対してデマンディング(要求過多)な傾向がある。企業は、そうした顧客の要求のすべてに対応しようとするものである。しかし、判断をまちがえると、コスト負担に耐えられなくなる。人的対応も大切だが、デジタルツールを上手に活用して、対顧客サービスを刷新することが必要である。
日本のホームセンターはいま、分岐点に立っている。筆者が大手飲食店チェーンの注文用タッチパッドの操作性について、つい最近になって経験した事例を紹介してみたい。デジタル対応の失敗事例である。問題の根はかなり深いと思う。
3.フリクションレスで楽しい買い物体験 ³
顧客がいま一番に求めているのは、スムーズに買い物ができることである。換言すると、フリクションレスにストレスを感じることなく買い物ができることである。とくにデジタルツールが普及してからは、情報システムの設計が顧客志向になっていないと、最終的には顧客離れにつながることがある。わたし自身の経験を紹介してみる。
2 年ほど前のことである。大手飲食店チェーンで、ラーメンと餃子を頼もうとした。それまでは店員さんがテーブルに注文を取りに来ていた。それが、タッチパネルでオーダーする方式に変更になっていた。人件費の削減とサービスを迅速にするためだろうと思った。
注文したかったのは、ラーメンと餃子だった。簡単にオーダーできると思ったが、タッチパネルの反応が遅い。いつまでたっても注文完了の画面にたどり着けなかった。食べ終えることはできたが、夫婦ふたりして釈然としない気持ちで店を離れた。
ネットで検索してみると、この店のタブレットの使い勝手の悪さについて、辛辣なコメントがたくさん書き込まれていた。わたしたちが、例外だったわけではなかった。それ以降、20 年来のロイヤル顧客だったわたしたちが、この店では食事をしなくなった。
先月(5 月中旬)、このチェーンで社長交代のアナウンスがあった。5 年前に息子さんにバトンタッチした創業者が、業績悪化が理由で社長に復帰することになった。「たかがタッチパネルと侮ることなかれ」である。注文用タブレットの使い勝手の悪さが、若社長の首を飛ばしただけでは済まない。究極的には、企業そのものの存続を危うくしかねないのである。⁴
4.物流の「2024 年問題」への対応
HC の店頭に在庫されている商品は、小売業の中でアイテム数がもっと多い。大型店舗ともなると、30万品目以上を取り扱っている。大きくて不定形な商品があるかと思うと、DIY 用の部品などは小さくて細かい仕様になっている。したがって、物流のコントロールがそもそも難しいところがある。
これまでは、情報システムと物流・倉庫の効率化で対応してきた。しかし、自社だけの対応では、それも限界に達している。半年後の 2024 年春には、トラックドライバーの働き方に規制がかかることになるからである。
輸送効率を高めないと、モノが運べなくなる可能性が高い。すでに大手の宅配会社などは、翌日配達をあきらめて、注文を受けてから2日後の配達に変更しているところも出てきている。コンビニなどでは、店舗への配送頻度を一日3便から2便に減らす計画が明らかになっている。
HC の場合、参考になる事例がある。物流の共同化の動きである。例えば、九州エリアでは、トライアルホールディングス(福岡県)がイオン九州(福岡県)と組んで、さらには地元のスーパーを巻き込んで、国内最大のチルド物流ネットワークを持つムロオ(広島県)と物流の提携を推進している。共同物流の実証実験では、物流コストが 3 ~4割、配送スピードも格段に速まることが確認できている。⁵
HC は、常温帯での物流が主体だから、同じ小売業でも異なる業界(例えば、ドラッグストアなど)とは物流の提携がしやすいはずである。業界の垣根を越えて、共同物流に取り組みグループが、新たな合従連衡を引き起こすようになるかもしれない。イノべーティンブなアイデアを提供できる企業が、全体の提携プロジェクトをリードすることになる。
5.サービスシステムの統合
前節で紹介した九州エリアで始まった「共同物流における業態を超えた事業提携」は、デジタル化が企業の枠組みを超えた提携をもたらすことを想起させる。
一つの事例が、HC の店舗在庫を外部の業者(建設業者やリフォーム業者、農家や農業団体)に開放することである。そもそも従業員用に開発された店内の在庫検索システムは、すでに一部が HC を訪れる来店客に開放されている。
自身のスマホから、店頭在庫と売り場や棚のロケーションを確認することができる。それだけではない。いまや専門業者であれば、事業所や農場から、前日や早朝に商品在庫を検索することができる。店舗に立ち寄って商品をピックアップしてから、作業現場に向かうこともできる。
デジタルシステムの進化は、新しいサービスの登場をもたらしてもいる。一方で、システムの高度化は、さらなる便利さを追求するドライブになる。そうしたスマートなデジタルの適用が、店舗や現場作業、専門業者などの仕事の効率化を通して、競争優位をもたらすカギになる。DX(デジタル対応)に後れを取ると、上記の事例で引用した飲食店チェーンのように、会社の存続が脅かされることにもなりかねない。
<注釈>
¹ 林麻矢氏との共同翻訳。同書の概略については、2022 年夏季号で筆者が詳しく解説を加えている(小川孔輔「特別企画Ⅱ:分権的な経営と企業文化の醸成:ホームデポの今」『DIY 会報』(2022 夏季号 No.169)。
² 小川孔輔「ホーム・デポから学ぶ、国内HCがやるべきこと」『ダイヤモンド・ホームセンター』(2023 年 4 月15 日号)。
³ この節(3)の事例は、筆者の個人的な体験によるものである。個人ブログ「注文用タブレットの使い勝手の悪さが、企業を滅ぼしかねない」(2023 年 6 月23 日、https://kosuke-ogawa.com/?eid=6094#sequel)を参照のこと。
⁴ 問題の背後には、3つの問題が潜んでいる。対策としては、徹底的に原因を排除することである。
① 現場と開発側のコミュニケーションの断絶
システム開発側が利用者のことを考えていない。プログラムを担当するチームが、現場に入って、利用者の立場から操作性を高める努力をしていない。解決策は、自前の開発(システム、プログラムの内製化)である。
② 経営トップの問題
ITを理解できるトップがいる場合は、こうした問題はまず起こらない。社内力学でベンダーを決めたり、開発部門に丸投げをした場合に失敗する可能性が高い。対策は、①とも関連するが、IT 人材を外部から引き抜いてくるし
かない。トップの役割は、外部の CIOを選ぶことができる人脈と見識にかかっている。
③ DX の課題はビジネス選択の問題でもある
例えば、タブレットの操作設計において、「プログラムのソフトウエア」で解決しようとすることはやめるべきである。ビジネスのやり方(「食べ放題」するとか)や注文の仕組み(多段階にしない)を考え直すことが大切である。
プログラムを複雑にして、営業部門からの要求を満たそうとすると失敗してしまう。
⁵ 経済産業省資料「九州物流研究会の取り組みについて」(2022年6月13日、https://www.meti.go.jp/shingikai/mono_info_service/physical_internet/pdf/2023_001_04_03.pdf)。
<著者プロフィール>
小川 孔輔(おがわ こうすけ)
法政大学名誉教授、(一社)日本フローラルマーケティング協会(JFMA)会長、(株)アールビーズ社外取締役、(有)オフィスわん代表取締役。
1951年秋田県生まれ。1974年東京大学経済学部卒業。法政大学経営学部教授、経営大学院教授、退職に伴い名誉教授。2000年に日本フローラルマーケティング協会(JFMA)、2006年にMPSジャパンを創立。専門分野;マーケティング、流通サービス、花産業。
著書に『お花屋さんの仕事 基本のき 新版 今さら聞けない仕入れ・販売・店づくりのこと』(日本フローラルマーケティング協会編 2022 年 誠文堂新光社)をはじめ、『マーケティング入門』『ブランド戦略の実際』『マクドナルド失敗の本質』『値づけの思考法』『青いりんごの物語:ロック・フィールドのサラダ革命』ほか多数。
最新刊は2023年9月(ペンネームで、初の私小説)、小石川一輔『わんすけ先生、消防団員になる。』(小学館スクウェア)が発売になります。