中国・台湾に向けた日本の農林水産物の輸出とブランド保護

農林水産省の受託研究調査(ダイヤモンド社) 


1 はじめに: 中国政府、知的所有権の「先願主義」を放棄
 いまや世界的な「馳名商標」(中国語で「有名ブランド」の意味)となったMUJIブランドが、5年間中国本土で「無印良品/MUJI」のブランド名で衣料品を販売できなかったことはあまりにも有名な話である。昨年(2005年)11月、ようやく中国国家工商行政管理総局は良品計画の訴えを認め、7月に上海に出店した無印良品の店舗では、年末商戦で晴れて無印ブランドの衣料品を販売することができるようになった。著名であれ無名であれ、日本発のブランドを中国で展開するときの貴重な教訓となる事例である。
 『日経ビジネス』(2006年1月16日号)によると、事の発端は1995年に遡る。*1良品計画は91年に香港に進出したが、「無印良品」と「MUJI」の中国本土での商標登録は、良品計画ではなく地元香港の企業「盛能投資有限公司」が先んじて登録済みであった。香港と中国本土では法制度が異なり、中国本土では「馳名商標」(世界的に有名だと認められ商標は、未登録であっても模倣者から商標権を護ることができる)という概念がなかった。当時は知的所有権に関する法体系が整備されておらず、商標登録に関しては早い者勝ちの「先願登録」が事実上は有利であった。
 法制度の隙間を突かれた形になった良品計画は、2000年5月に中国政府に盛能を訴えることにした。ところが、香港の盛能ブランドは、すでに中国全土で20店舗のカジュアルウエアの店「無地」を展開していた。商標権使用に関して法廷係争中の間にも、盛能の「無地店舗」が上海などで本家のブランドイメージを浸食するという事態が続いていた。盛能ブランドは、自然志向の生活衣料・雑貨店という「本家」のブランドイメージとは似てもにつかないディスカウントタイプのカジュアル衣料品店であった。
 商標権の係争案件として長い時間を要したが、最終的に中国政府は良品計画の訴えを受け入れることになった。今年になって、盛能に対して漢字・英語の二つのブランド名の使用を差し止める決定を下した。中国がWTOに加盟してから4年間が経過しているが、その間にさまざまな分野で国際的な企業活動を律する法制度が整備されてきた。商業活動に関しては、今年になってセブンーイレブンが、中国全土でのフランチャイズ活動(中国語では、「特許経営管理」)を認可された。今回、MUJI(無印)ブランドの使用に関して、馳名商標について先願を認めない決断を下したことになるが、これは中国政府にとって歴史的な判断の転換点である。
 以下では、日本発の農林水産物をアジアの諸国、とくに中国・台湾で輸出・販売を検討する場合に、ブランド管理の観点から留意すべき事項を現地の事例を交えながらまとめてみることにする。中国の無印良品事件から学び取るべきの教訓は、以下の4点である。
(1)中国政府の外資ブランドに対する姿勢が、いまだ限定的ではあるが、できるだけ国際的な商取引ルールを遵守する方向に変わってきていること、
(2)商標権の侵害に関しては、たとえ面倒でも折に触れて自社ブランドの正当性を主張し、場合によっては法律に訴えることも辞さない態度を堅持すること、
(3)法的な訴訟に勝つためには、明白な証拠や海外事業の実績を示し続ける努力を継続すること、が大切である。また、それに加えて、
(4)現地企業(家)でブランドを担ってくれる良き提携先(パートナー)を見つけること、である。
 中国本土で日本産農産物についてプレミアム価値を確保しようとするならば、工業製品と同様な措置が必要である。農産物が例外であるということは全くない。

2 日本からの農産物輸出とブランド構築
 まずは簡単に、日本発のブランド農産物の輸出実態を見てみることにする。図表1は、『日本農業新聞』2006年1月3日号からの抜粋である。日本の全国各地から、実の多くの農産物が世界中に輸出されていることがわかる。

   <この付近に 図表1 世界に挑む日本ブランド を挿入>

 家電(ソニー、パナソニック)や自動車(トヨタ、ホンダ)などの工業製品分野において、さらに近年は加工食品(キッコーマン、ハウス食品、味の素)やサービス事業分野(ベニハナ、吉野家、味千ラーメン)においても、日本ブランドが世界を席巻している。そうした中で、日本発のブランドが勢力範囲を農業分野に広げようとしている。
 農林水産省が「農林水産ブランドニッポン輸出促進都道府県協議会」(座長・高木勇樹元農林水産事務次官、当初32都道府県が参加)を組織したのは3年前の5月のことである。輸入額に比べてそのわずか20分の一にも満たない日本の輸出農産物を、高付加価値ブランドとして海外に売り込む政府主導の運動である。*2
 2003年度より、ジェトロは食品の輸出促進事業を同組織の最重点事業として実施してきた。同年7月には、ジェトロが「日本食品等海外市場開拓委員会」を発足させ、以後、米、果実、野菜等の品目別に各国で市場調査を行っている。*3 翌年(2004年)4月には、農水省内に「輸出促進室」設置され、海外への農産物普及事業等に約8億円の予算が付いた。日本の農産物は輸出の時代を迎えようとしている。
 観光分野(長崎ハウステンボス、宮崎シーガイヤ、大分別府温泉など)でサービス輸出地域となった九州地区の農業生産者や市場関係者は、輸出事業に対して熱心である。釜山(韓国)、大連・上海(中国)、台北(台湾)は、九州から目と鼻の先にある。下手をすると、東北・北海道より東アジアの国々のほうが地理的に近い位置にある。物流コストの面でも、また、食文化(味)や住生活(色彩やデザイン)に関する感覚においても、九州と東アジア諸国はきわめて親しい関係にある。

3 日本からアジアへの切り花と鉢物の輸出事例
 筆者が会長を務めているJFMA(日本フローラルマーケティング協会)の関係者周辺でも、高品質の切り花やシンビジウムの鉢物を、豊かになったアジアの大都市部に販売しようとする動きがある。ただし、日本からの輸出花き類を継続的に高価格で販売できる保証はない。アジアの消費市場を攻略するには、克服しなければならない課題も多い。4つの取り組みを紹介する。

 <事例A1:メルヘンローズ(台湾向けのバラ)>
 切り花の輸出に関してはこれまでは、年末や旧正月、バレンタインデーなど、冬場のスポット取引が中心であった。2001年2月に、大分県玖珠町のメルヘンローズ(小畑和敏社長)がバレンタイン向けに台湾(台北)にバラを輸出した実績がある。世界的に見ると、バレンタインデーは男性・女性に関係なく、好きな人に花などを贈る日である。女性が男性に向けて愛の告白をする日にしている日本は、世界的に見ればむしろ例外である。台湾も、この時期は高品質のバラが不足する。
 そこで、日本の切り花輸出入商社(シースカイ:海下展也社長、当時)とメルヘンローズが組んで、スタンダードタイプのバラ約1000本を台北に輸出することになった。FOB価格(農場渡し価格)で一本110円と115円の買取契約であった。品質も良く現地では高値で売れた。最大の問題は、この時期には日本でもバラの需要が大きいことである。冬場で数量的に少なくなるので、供給が需要に追いつかないことである。国内市場でもある程度の値段がついてしまうので、残念ながらこの取引は翌年は継続できなかった。
 
 <事例A2:福岡花市場(香港向けのシンビジウムの鉢花)>
 2番目のケースは、九州からのシンビジウムの香港向け輸出の事例である。この件には、コピー商品の氾濫対策の問題を含んでいる。福岡の花市場では、数年前からシンビジウムの鉢を香港やシンガポールに出荷している(宮崎県からもシンビジウムが輸出されている)。当初は2~3本立ちの小振りの鉢が日本円で7~8千円(小売価格)で取引されていた。しかし、クチコミで情報がすぐに行き渡ってしまう。すぐに模造品が出回り、いまや同じ値段で3~4本立ちのシンビジウムが当たり前になってしまった。翌年も同じ商品が売れる保証はないので、国内農家に輸出仕様の商品を委託生産させるリスクは大きい。
 他方で、従前からある品種については、中国や韓国の生産者がパテント料を払わずに安く輸出してくる。品種権の保護法はあるものの、罰則規定は無きに等しい。結果として、日本の輸出業者はいまや利益が全くとれない状態にある。アジアの主要都市部で花の市場や高級花店を覗くと、日本の有名なシンビジウム会社(河野メリクロン:本社徳島)の模造品が堂々と同社のラベル付きで販売されている。数量も半端ではない。本物より品質は劣るが、値段は3分の一以下である。商品の良さが判定できない未熟な消費者には、良品とまがい物を見分ける能力はまだ備わっていない。

 <事例A3:八幡平市のりんどう>
 秋田県八幡平市では、ニュージーランドの輸出業者をアドバイザーに、2002年からオランダや米国へリンドウを輸出している。2005年には、それまで7日かかっていた海外市場への輸送日数を3~4日に短縮し、鮮度向上に努めるとともに、コールドチェーンの確立を目指し、オランダの花き市場でも高い評価を受けるようになった。一方、採算性や欧州での需要期に合わせて開花する品種の育成などが急務であるほか、需要の掘り起こしや、海外での評価をてこにした国内でのブランド価値向上が課題となっている。*4
 ちなみに、筆者の知るところでは、八幡平市とニュージーランドとの相互交流は、いまから15年ほど前、NZ南島の最南端で安代(現在八幡平市の安代地区)の農家が、日本産のりんどうの品種を移植して生産したところからはじまっている。季節が逆の南半球で、端境期の花を作るというアイデアからスタートしたものである。

 <事例A4:高知市三里、グロリオサ>
 国際グランプリ(11月オランダ)を獲得したグロリオサ(ミサトレッド)が、2003年1月に台湾に輸出されている(2005年に中国、上海市に試験出荷)。JA高知市三里支所園芸部の取り組みを紹介する。*5
 輸出相手国は台湾で、実績は1,620本であった(輸出金額394,200円)。輸出経路は、高知→東京→台湾(空輸)となっている。大田花きの仲介で、高知市の「土佐の花」国際発信事業の補助を受けて一回の輸送が実施された。しかし、台湾(上海)はともに関税が高く、輸送経費もかかるため、その後は本格的な輸出には至っていない(上海にはPR用に100本輸出)。輸出後の報告(HP参照)によると、「輸出に関しては、着荷状態に問題はなく、品質も高く評価された。グランプリ前の取組みであったため、台湾ではミサキレッドの知名度が低く、販売価格(1本約243円)は低かった。また、台湾・上海ともに関税が高く経費がかさんだため、大幅な赤字となった」。

 <花き輸出のまとめ:物流コストと植物検疫>
 三里のグロリオサの例でも指摘されたように、スポット取引での問題点は、品種権保護というよりは、高い関税と輸送コストの問題が重要である。
 シンビジウムの場合は、九州の港からコンテナ単位(約600鉢)で出荷される。2千円前後で仕入れても、香港や上海の港に到着した時には倍の値段になっている。日本向けの輸入切り花の費用構造を調べたことがあるが、タイ(デンファレ)やマレーシア(スプレイマム)から運ばれる切り花の輸送コストはそれよりは低い。数量がまとまっているので、航空会社は有利な運賃レイトを適用してくれるからである。多品種少量の日本からの切り花は、現状ではかなり割高になる。花き類の海外出荷にあたっては、農産物の輸出立国としてアジアの消費市場をどのように攻略すべきかについて、販売戦略的な面から全体の絵図を描かなければならない。個別業者の努力にはおのずと限界がある。
 これまでは零細で低い生産性の国内農家を輸入品から護るために、農水省は植物検疫制度を堅持してきた。ところが、輸出を視野に入れた途端に、貿易政策に関しては全く逆の立場にとらざるをえなくなる。輸出を志向する企業的農家からは、野菜や花きの輸出先国の検疫制度が理不尽に見えてくる。これまでは、輸入促進に国費を投じることに躊躇してきた農水省も、農産物の輸出促進となれば話は別である。陸海空の物流関連施設を増強し、輸送ルートを固めることが輸出促進には必須である。

4 中国・台湾への農産物輸出(1):品目別の現況
 つぎに、国別・品目別に、米、野菜、果物の輸出実績を見てみることにする。図表2は、代表的な農産物(コメ、リンゴ、ナシ、カキ)の輸出推移を統計データで示したものである(図表1)。この4品目以外の輸出は、金額、数量ともごく限られている。

    <この付近に、図表2(a)~(d) を挿入のこと>

 なお、輸出入関連では、各国毎に輸入規制がかなり異なっている。香港とシンガポールは、農産物は基本的に無税で、植物検疫もない。それに対して、台湾、タイ、中国は、許認可制度があり、品目ごとに輸入制限がある。きびしい植物検疫もある。とくに、タイは日本産ミカンを輸入禁止品目に指定している。中国では、梨、ねぎ、お茶などは通関実績があるが、米や柿、イチゴ、柑橘類にはいまだに輸入許可がおりていない。先の見通しも立っていない。以下は、日本農産物のブランド化と品種権保護に関連した記述を、主として、台湾と中国を中心に要約してみる。

 <事例B5:台湾の日本ブランド米>
 台湾でもコメは過剰生産気味で、生産調整が行われている。日本のブランド米の中では、コシヒカリが人気である。国内栽培のほか、米国や豪州からもコシヒカリが輸入されている(ジェトロ 2004)。*6 2002年当初、民間輸入米としては、魚沼コシヒカリと新潟コシヒカリが輸入された。輸入元は台湾大手のコメ卸売り販売会社「聯米公司」で、「中興米」のブランドで知られている。同公司が既存の台湾産米販売ルートを使って、台湾各地で日本産コシヒカリを販売した。同社は、日本米を扱うことで自社のブランドイメージ向上の狙いもあったという。しかし、2kg500元という値付けは高すぎた。消費地も台北に限られ、暑さによる食味低下で、魚沼コシヒカリの食味等は高く評価されなくなった。予定されていた「あきたこまち」の輸入も中止された。
 もっと安い値段でおいしい日本米ということで、島根県の減農薬・減化学肥料米「西いわみヘルシー元氣米」の輸出が2003年に決まった。その後、「聯米公司」や大手スーパー等と調整が行われ、賞味期限きれの際の対策(魚沼コシヒカリは賞味期限切れで大量に返品された)などが討議された。台北のショッピングセンター「微風広場」(BreezeSuper,350坪、15000アイテム)など(西川正史総経理)の協力で、2kg380元で販売されることになった。
 魚沼産コシヒカリは1kg250元で、毎月平均15トンの売上がある。1kg83元の台湾コシヒカリがその20倍300トン程度の販売があると見られている。ヘルシー米は1kg190元の価格設定で、15トン以上300トン以下の販売が見込めるという(東野 2005))。*7島根のJA西いわみの「ヘルシー元氣米」は、人的支援で成功したと報告されている(宇佐見 2005))。*8
 
 <事例B2:青森産のりんご>
 1960年代後半までは、日本から2万トン近くのりんごが輸出されていた。米国産との競争や円高で、その後輸出は長期低落傾向にあった。青森のりんごは、明治32年に輸出開始、最盛期の1940年には2万トン以上を輸出していた実績がある。1990年、りんご果汁の輸入が完全自由化され、国内のバブル崩壊で、平成時代には産地は東南アジアを中心に高級リンゴ輸出戦略をとったが、それほど成功しなかった。
 りんごの輸出額は2005年で53.5億円。そのうち台湾向けが50.2億円で、全体の94%を占めている。2004年に輸出額が減少したのは、台風の影響による収穫減少と価格高騰の影響である。台湾のWTO加盟以前は、国別輸入枠(IQ)があり、米国には10万トンもの割り当てがあった。日本向けには、いわゆる政治枠で青森産に限って年2000トンの変則的割り当てがあった。WTO加盟後は、世界中から台湾への輸出が可能になり、関税を払えば、自由に輸入可能になった。同時に、関税も50%から20%に引き下げられ、輸入枠の入札制度も廃止された。この点に関しては、関税割当による管理が残った梨とは異なっている。米国産のシェアは低下しており、日本以外の外国産の平均輸入価格は、1kgあたり20台湾元で日本産の半分である(ジェトロ 2004)。*9 
 台湾の日本産りんごは1年を通じて輸入がある。日本産は「ふじ」28玉サイズ(10kgの箱に28個はいる大きさ)が1個250~320円、贈答用「むつ」88個入り1箱5200円である。ただし、小玉の無袋ふじでは1個83円のものもあり、米国産ふじ99円、韓国産ふじ132円に対抗できる物も出てきている(深澤 2006)。*10 実際に、最近は日本から比較的安いサンふじや玉林、中小玉の輸出が増えている。従来は、旧正月(赤い色が好まれる)の贈答や神仏供養用に「世界一」「陸奥」など大玉が中心だったが、家庭消費用の品種の輸出が伸びる形になっている(果実日本 2004)。*11
 米国の『GAIN Report』(2003年9月)でも、台湾における「日本産」のブランド力の強さに言及されている(果実日本 2004)。*12 なお、USDA(米国農務省)の他のレポートでは、台湾は米国の園芸作物の輸出先として、金額では世界6位、人口当たりの消費量ではカナダについて2位であり、価格に敏感ながらソフィスィケートされたマーケットとみなされている。米国産生鮮りんごの輸入量は、2003年3250万ドルだが、全般に米国産の落葉性生鮮果実の台湾でのシェアは下降気味だという(USDA 2004年レポート)。*13
 植物検疫はWTO加盟を契機に強化され、ダニ付着による燻蒸や残留農薬検査で、最悪コンテナ単位の廃棄処分もありえる。したがって、輸入検査は大きなリスクになっている(深澤 2006)。*14 なお、台湾の農業委員会では、モモシンクイガの発生地域である日本・朝鮮半島・ロシア・大陸からのりんご・梨・桃などの輸入禁止を検討中との情報もある(宇佐見 2005)*15
 りんご輸送では、産地の冷蔵庫からリーファコンテナか冷蔵車で国内・海上輸送され、相手国までのコールドチェーン輸送体系が確立されている。切り花などとはちがって、物流の問題はほぼ解決されている。出荷ボックスは、高級品種では発泡スチロールのアイスボックスが主体で、台湾国内でも冷蔵保存されている。小売りもスーパーや百貨店、果実専門店では冷蔵ショーケースで販売される。しかし、露天の伝統市場は常温販売で、卸売市場でもコールドチェーンが切れる(深澤 2006)。*16
 産地の対応は、以下の通りである。青森のりんご輸出は、戦前からの歴史がある。かつてはりんご生産量が需要を上回った場合、ジュース等加工用へ一定量を回し、生食用りんごの価格防止に歯止めをかけていた。中国等からの安価な果汁輸入増大で調整不可能になっていた。青森県のりんご輸出は、かつて加工りんごが担っていた国内の需給調整機能を果たすことが第一の目的になっている。台湾への輸出量1.4万トン(2003年、同県輸出の95%が台湾向け)は、青森りんごにとっては四国4県分以上のマーケットに相当している。しかも下位品ではなく、高位等級の一定量を国内市場から隔離することになり、国内生食用の需給を安定させる一因として機能している(深澤 2004)。*17
 なお、青森りんごは台湾へはCA貯蔵で輸出され、需要期の旧正月にも市場に出回っている(深澤 2006)。*18 その一方、長野産りんごは差別化のため完熟リンゴの台湾輸出を2004年にはじめたが、出荷時期が限られ、旧正月までもたない。山形産は低品質の「山形産」偽装リンゴが台湾で出回り、ブランドイメージの確立を模索している(宇佐見善昭「食の台湾市場を拓け」『交流』2005年7月15日号)*19

 <事例B3:その他の国に向けたりんご輸出>
 中国へのりんごの輸出もはじまっている。販売価格を産地国別に比較してみる。山東省産500g3.5元、米国産8.5元、ニュージーランド産7.5元に対して、日本産(300-350g)は25元である。値段ですでに10倍近くの価格差がある。2003年からは、青森りんごの中国本土向けのテスト輸出がはじまっている(果実日本 2004)*20
 タイは関税率が60%と高い。中国産りんごとの価格差が10倍以上ある。日本産のむつが1個125バーツ(約1バーツ=約3円)に対して、中国産のふじは1個10バーツである。中国とタイは、2003年10月以降、FTAのアーリーハーベスト協定を結び、野菜・果実の関税が撤廃された。それ以降、中国産りんごの扱い高は倍増している。日本とタイの間でもFTA協定を結ぶ方向で話が進んでいる。この行方次第では、日本リンゴにもチャンス有りとみられる。
 欧州向け輸出のりんご輸出は、「片山りんご園」という生産者が有名である。片山氏のりんご園は、日本で初めて「EUREPGAP」(欧州小売業団体適正農業規範)を取得している。。国内でも生産履歴表示リンゴの試売を行ったり、安全性・表示への取り組みに熱心である(片山 200?)。*21
 米国に向けては、1995年より青森りんごが輸出を開始している。米国のりんご輸入は、1971年に自由化されたが、植物防疫法の規定で、病害虫存在国からの輸入は禁止されてきた。それが1993年以降解禁され、ニュージーランド、米国、豪州などからの輸入が解禁された。その対抗措置として、米国へのりんご輸出がはじまったものである。まだ量は少ないが、指定園地の設定やアメリカの検疫官の検査などを受け入れての輸出である。米側に日本の指定する検疫措置を維持させるとともに、アメリカ産りんごの輸入を牽制する狙いである。ある程度は採算度外視で輸出されている(果実日本 2004)*22

 <事例B3: 二十世紀梨>
 現在、日本国内の梨は「幸水」「豊水」など赤梨系が多い。両品種で全生産量の7割を占めているが、輸出の大半は青梨系の二十世紀梨である。これは、二十世紀梨が貯蔵性に優れ、そのため船便での輸送に耐えるためである(フレッシュフードシステム 2004)。*23
 二十世紀梨の輸出は、1933年に大連や上海向けに開始された。その後、欧州や中近東などにも輸出された歴史がある。1940年には、年間で1841トンが輸出されていた。当時から、東南アジア(香港やシンガポール)では、仲秋節のお供え物として需要が大きかった。1985年の1万3500トンの輸出をピークに、その後円高と中国産や韓国産の競争に押されて衰退し、現在の輸出実績は2000トン程度になっている。とくに、従来は大きな市場だった香港での扱いが激減している(農林水産技術研究所 2006)*24
 台湾向け輸出では、1970年代には東南アジアトップの輸入国だった。ところが、1981年に輸入禁止になり、1997年に再開されるまでは16年間のブランクがあった。その後、2002年の台湾のWTO加盟により、輸入量が拡大されることになった。関税割当枠(税率18%)が400トンから49000トンへと大幅に拡大された。
 梨については、これがあだになった面がある。というのは、関税割当枠に応募が多いので、抽選性で少量の枠をもつ業者が多数存在したからである。毎年業者が入れ替わるため、輸出業者が輸入業者を選定しにくくなった(果実実日本 2004)。*25 また、入札(年末に1年分)には新規参入が可能となり、梨と無関係の企業が参入して換金を急ぎ、旧正月に関税割当枠を使い切ってしまった。本来の梨のシーズンまで、関税割当使用を使う企業が少なくなる弊害が生じたのである。なお、旧正月に出回っている輸入梨の大半は、韓国産の「新高」である。本来生食ではなくキムチ用である(宇佐見 2005)。 *26
 産地の鳥取では、低温貯蔵の技術ノウハウが不足気味で、高品質を低温貯蔵で維持する難しさに直面している。また、2003年には、鳥取産梨がありえない季節に「鳥取産」のブランドを印字した産地偽装梨(品種は「新高」)が発見された。この事態に対して、日本側が台湾当局に指導を要請している。
 鳥取県の二十世紀梨は、10kgあたりC&Fで4000円、中国産二十世紀梨は1000円以下である。価格競争は厳しい(フレッシュフードシステム 2004)*27 一方では、仲秋節用のギフトとして4L、5Lの大玉サイズがよく売れるため、マーケットとしては台湾は魅力的である。旧正月需要に合わせるには、9月に収穫した梨を貯蔵しなければならず、鳥取県では「氷温庫」利用による貯蔵に取り組んでいる。2004年度からは、専用の貯蔵施設を整備して、台湾の旧正月に向けた本格輸出を目指した(フレッシュフードシステム 2004)。*28 なお、梨は台湾でも毎年10万トン以上生産され、日本から接ぎ穂を輸入して生産されている。品種としては、「豊水」と「幸水」がある。日本から糖度センサーを輸入し、高糖度の商品を高級梨として出荷する取り組みもある。台湾の「豊水」は、産地で60元(約190円)/kgであり決して安価ではない(果実日本 2004)。*29

 <その他の青果物>
 ①かき
 2005年に1億7200万円の輸出実績がある。そのうちの52%に当たる8800万円は、タイ向けの輸出である。1999年頃は199円/kg、2005年は284円/kgで、ここ数年単価が上がってきている。
 ②みかん
 約9割が北米向けに輸出されている。温州ミカンは、明治中期から輸出されており、北米では「クリスマスオレンジ」として知られている。1983年ごろには、2万5000トンを輸出したが、プラザ合意後の急激な円高や中国・韓国産の進出で、減少傾向が続いている。最近では、5000トン程度となっていて、輸出先はカナダが多い。
 ③ながいも
 国内の消費量には限界があり、豊作でも一定の価格が維持できるような販路を模索しようと、薬膳料理用の需要が大きい台湾への輸出が始まった。北海道の十勝地方の7つのJAが生産する「十勝川西長いも」は現在、台湾向けに年間970トン(2億300万円)の長いもを輸出している。輸出に際しては、国内流通品と同等の鮮度を維持するため、神戸港からの輸送には、他の品物と一切混載しないようにしている。3℃に維持されたながいも専用の冷蔵コンテナを使用し、最短日数で到着するような仕組みが作られた。国内では需要の少ない5Lサイズの特大品のみを出荷し、国内外の需要バランスを保つとともに、相場の維持と生産者手取り価格の向上に貢献している。2005年2月には、シンガポールと韓国で、独自の市場調査を実施したり、北海道フェアへの出品などを行っている(農林水産技術研究所 2006)。*30
 ④いちご
 福岡はアジアに近く、上海、香港ならば出荷後12時間で現地の店頭に並ぶ。土地の利を生かして、福岡県ではいちごなどの輸出(上海、香港、台湾中心)に取り組んでいる。甘くて大きいイチゴが、アジアの大都市部では人気になっている。ただし、韓国から品種を偽ってたまがい物が輸出されているのが問題になっている。
 ⑤日本茶
 日本茶は1859年、横浜開港と同時に生糸と並んで外貨獲得手段として北米へ盛んに輸出されてきた。その後戦争で輸出がストップしたが、1960年代以降はまた輸出が再開された。しかし、国内での需要拡大や中国茶攻勢などにより、2001年には253トンと史上最悪になった。そのころ、米国への輸出には見切りをつけ、欧州に輸出のターゲットを変更した。西欧には現在、日本茶の取扱業者が20~30社存在している(農林水産技術研究所 2006)。*31
この辺の事情は、欧州向けの盆栽の輸出にも共通して見られる。

5 東アジアへの農産物輸出(2): 国別の現況
 つぎに、国別に輸出の状況を見てみることにする。台湾を除くと、日本の農産物はブランドとしていまだ定着するまでに至っていない。ただし、高価格プレミアムを獲得している品目はある。

(1)中国の日本産輸入農産物
 日本産温州ミカンは800万トン以上、ふじ(りんご)も日本以上の生産量があるといわれている(鈴木 200?)。*32中国は、1999年に、「1978年UPOV条約」に加盟し、穀物・野菜を中心に63種類の農産物を保護している。中国特有の法制度、取引の流れ、通関検疫などの試験輸出、および上海での試食データ(2004年9月~2005年2月)などについての詳細は、ジェトロ(2005)『平成16年度日本食品等海外市場開拓事業実施報告書:試験輸出・試食調査(上海生鮮果実)』に詳しく述べられている。*33
 農産物と畜産物は、2003年の動植物検疫にかかるリスク分析規則にしたがって、初めて中国に輸入するものは輸入許可を出す前にリスク分析作業を了する必要がある。他の規制もあり、現状で輸出できるのは、従来から輸出実績のあったリンゴとナシだけに限られている。輸出許可品目の視点からは、ナシ、リンゴ以外の品目拡大には時間がかかると思われる。日本産の生鮮果実が、年間を通しての売場を確保することは非常に難しい状態にある。いちごや柿などは、通関許可が下りず、ジェトロの実験でも実験さえできなかった。
 中国向けの農産物試験輸出は数回行われた。首尾良く行く場合もあれば、中国倉庫での盗難にあることもある。フォークリフトによる果実・箱へのダメージが多いことが報告されている。二十世紀梨では50%、さんさでは60%以上の果実に傷が認められた。日本出荷時と比ると、中国での植物検疫終了時に品質劣化が起こる場合もあり、出荷後の品質が安定しない。現況では、せっかくのプレミアム価値が維持できない。
 試食販売は「上海久光」(B1F)青果販売コーナーで、4回行われた(アンケート調査は計515サンプル)。日本産の果実に対する印象では、回答者の59.6%が「美味しい」と評価している。以下、「価格が高い」39.0%、「外観がいい」37.1%、「高級」、「安全・安心」26.4%、高級23.1%の順となり、美味しさが高く評価された。当初予想された「高級」、「安全・安心」のイメージは低い回答であった。
 購買意向では、「自家消費用」、「ギフト用」に買うと合わせて、75%近い回答者が「買う」と回答、「買わない」と回答した理由では、「値段が高い」28.2%、「美味しくない」が6%あった(ジェトロ 2005)。*34
 なお、渡辺(2005)では、上海松江地区(農業開拓特区)の減農薬野菜生産地やしんせん館など、現地小売り店頭の状況が詳しくレポートされている。*35

(2)タイの日本産農産物
 日本の柿の最大輸出先である。中国とFTA協定を結んでおり、中国からは温帯性の、タイからは熱帯の農作物が出荷されている。日本の果実は、評価は高いが、無関税の中国の果実に対抗が難しいというのが現状である。一方、日本食ブームで、日本農産物の見本市は大成功である。市場としては有望であるが、インド方面への中継基地としても将来性がある。日本食ブームとセットでパッケージ化した対策が有効と考えれられる。
 なお、東南アジア向け輸出では、農産物の収穫から輸出地まで、最短で7~18日かかる。輸送コストは、国内共選場からの出荷販売価格に、運賃、輸出諸経費、保険、卸・小売り経費・利益などを上乗せした計算する。輸出は、20フィートコンテナ15t掲載で10~15万円(10円/kg)、海上運賃は台湾まで20フィートドライコンテナで、3~4万円になる。冷凍コンテナでは10万円である。すべてのコストを積み上げると、日本での船渡し価格の2~3倍で販売される。2003年の通関統計では、中国からの輸入リンゴ40円/kgに対して、日本からの輸出リンゴは920円/kgと推計されている(フレッシュフードシステム 2005)。*36

(3)台湾と韓国の実情
 台湾の人口は2200万人である。りんごに限ると1人当たり消費量は7.2kgで、日本の1.7倍もある。2002年1月にWTO加盟したことを機会に、生鮮果実の輸入が解禁された。なお、前述した通り、台湾の農業委員会では、モモシンクイガの発生地域である日本・朝鮮半島・ロシア・大陸からのりんご・梨・桃などの輸入禁止を検討中である(宇佐見 2005)。 *37
 韓国への農産物輸出は、九州からだと対岸でもあり、それほど難しいというわけではない。しかし、一部に植物防疫による輸入規制がある。高率の調整関税など、輸出に関しては改善が望まれる制度も存在している。新しいブランド戦略に沿って、日本食をPRし、需要開発が有効と見られている。

6 種苗法・育成者保護法制:わが国の歴史

(1)種苗法とUPOV条約
 東アジアの状況を検討する前に、日本における植物品種権保護の歴史を簡単に整理してみることにする。日本の品種保護制度は、「植物新品種保護国際同盟(UPOV)条約」に対応する形で進展してきた。1961年にUPOV条約は、西欧12か国が加盟してはじまったが、保護対象とする品種は、西欧で栽培されている品種に限定されていた。
 当初、日本は同条約に加盟していなかったが、UPOV基準に合致する品種保護制度として、1978年に種苗法が制定された。新品種の育成者による品種登録の出願可能になったが、品種登録により、その品種の販売・生産・輸入に対する排他的権利をもつことになった。しかし、登録対象は365種類の種のみであった。
 1978年、UPOV条約改正(78年条約)には、日本含め33か国が加盟した。この時点では、加盟国が自国の状況に応じて、自由に対象品種を定められるようになった。日本は1982年に種苗法を改正して、78年条約に加盟した。種苗法改正により、品種登録を受けられる外国人の範囲が拡大された。なお、中国が1999年に加盟したのは、この「78年条約」である。穀物・野菜を中心に63種類の農産物を保護している。
 1991年、UPOV条約が改正された(91年条約)。日本を含む28か国がこの条約に加盟している。91年条約では、保護対象が「全植物」へと拡大された。育成者権の範囲も拡大され、収穫物からの加工品や従属品種、販売以外に「保管」「輸出入」などの行為も対象になった。また、自家増殖は容認され、権利存続期間が延長されることになった。原則として、一般には15年以上から20年以上に、永年性植物については権利期間が18年以上から25年以上へと延長された。
 日本はこれにあわせて、1998年に種苗法の全面改正を行った。また、2003年にも種苗法と関税定率法の一部改正が行われた。これまでの罰則対象は種苗の段階に対するものだったが、それが「収穫物」段階で発見された権利侵害も処罰可能になった。なお、それ胃炎は、刑事罰ではなく損害賠償など民事訴訟での対応であった。また、法人への罰金も個人と同額の300万円だったものが、改正で1億円まで引き上げられた(萱野 2004、野澤 2004)。*38

(2)日本の知的財産関係の法制
 <知的財産大綱の策定と知的財産基本法>
 2002年7月、「知的財産立国」にむけた政府の基本構想として、「知的財産同大綱」が策定された。植物の育成者権は、特許権とならび、知的財産権として記載された。植物品種の保護に関しては、新品種審査機関の短縮(申請事務の電子化など)がなされることになった。育成者権侵害品対策については、農林水産省で「DNA品種識別技術」の研究を進めており、いちご、いんげん、稲、いぐさ等では、識別技術が確立されつつある。ただし、検査態勢は、輸入量増加に対応するには不十分である。なお、2004年度からは、税関にPCR(Polymerase Chain Reaction)装置等のDNA分析装置を配置し、輸入農産物のDNA識別を行っている。

 <知的財産権に関する国境措置の改善>
 関税定率法が2003年に改正され、偽ブランドや麻薬、拳銃等と同様、「育成権侵害品」も輸入禁制品になった。海外で違法に栽培された農産物も、没収や廃棄の対象になった。後述するように、例えば、2004年頃からは、海外からの輸入切り花(マレーシア、中国産のキク)に対しては、ロイヤリティを支払っていない品種は輸入差し止めになっている。 なお、関税定率法改正により、育成者は近くの税関に輸入差し止めを申し立てられることになった。生鮮物は3日以内に税関が違法性を判断せねばならず、迅速な決断を下し、水際での差し止めが可能になった背景には、DNA品種識別技術の確立がある(竹村 2004)。*39

(3)各国の植物品種権保護法の制度
 以下では、遅れてUPOV条約に加盟してきた東アジア諸国が、植物品種権保護について、どのような対応をしているのかを見てみる。

 ①中国
 中国は、日本への主要な農産物供給国である一方、いんげんまめの「雪手亡」などについては、コピー農産物問題がある。中国は「UPOV78年条約」加盟国で、保護対象は全植物ではなく、穀物・野菜を中心に、63種類の農産物を保護しているだけである。91年条約への加盟準備中ではあるが、現状では全植物を保護対象としてはいない。
 ②台湾
 1988年に「植物種苗法」制定した。89種類(野菜54種、花き19種、果樹15種、雑糧食物1種)を保護対象としてきた。UPOV条約には加盟していないが、条約の趣旨に添った新法「植物品種及び種苗法」の法案を2004年に公布している。
 ③韓国
 韓国から日本へは、生鮮野菜、切り花(バラ、キク)、栗などを輸出している。2001年日本の「とちおとめ」の無許可栽培品がみつかり、問題となった。1995年に「種子産業法」を制定したが、保護対象は113種に限定されている。2003年1月現在、いちごは含まれていない。2002年に、91年UPOV条約に加盟しており、2009年までには保護対象を全植物に拡大する予定である(萱野 2004)。*40
 ④米国
 米国では、植物特許法、植物品種保護法、特許法の3つの法律で植物新品種が守られている。植物特許法は、無性繁殖植物の新品種に適応され、自家繁殖は認められない。植物品種保護法は、有性繁殖植物に適用され、自家採取はUPOV条約に連動して許可されている。
 ⑤EU
 もともとUPOV条約に基づくEU品種権規則がある。加盟各国の国内関連法に優先して、植物の新品種を保護している。栄養繁殖植物の自家増殖は、EUでは基本的には不可である(野口 2004)。*41

7 育種権侵害の実態と保護対策

(1)育成者権侵害状況
 国別に法制度は異なっているが、基本的に知的所有権(育種権)の侵害は違法であるとされている。ところが、実態は植物に関しても違法行為が後を絶たない。以下では、東アジア諸国における育成者権侵害の状況を、品目別に事例としてまとめてみる。インクカートリッジやビデオソフトと同様に、せっかく日本人が発明(育種)した知的財産がアジア諸国では無断でコピー利用されている。被害は当該国だけにとどまらず、ロイヤリティを支払わない農産物が輸出されているので事態は深刻である。

 <事例D1:韓国のいちご>
 韓国で出回っているいちご品種の大半は、「レッドパール」「とちおとめ」など日本で育種・登録されたものである。育成者の許諾なしに違法増殖され、被害が広がっている。「レッドパール」は愛媛県の育種権者が韓国農家と許諾契約を結び、日本の業者「連合水産」を通じてのみ日本への輸出が許されていた。しかし、苗が韓国内に広がり、他の業者も日本へ輸出していたことがわかった。警告文の送付により、大半は販売をやめている。「とちおとめ」は」育成者の許可なしに持ち出されたものである。

 <事例D2:マレーシアの菊>
 大手育種会社の「精興園」(広島県)の調べでは、マレーシアなどから輸入菊には130種あり、うち30種は同社が育成したものだった。違法輸入切り花が国内相場にも影響を与えている模様である。ただし、2005年以降は、キクの育種会社の大手2社である「キリンビール」(アグリバイオカンパニー)と「精興園」が輸入商社の協力を得て、マレーシア(中国)で違法増殖されたパテント付きの品種については、日本へ輸入できなくなっている(竹村 2004)。*42

 <事例D3:アジア各国のバラ違法増殖>
 バラは栄養繁殖系のため、苗の増殖が簡単である。近年、アジア諸国から日本へ向けて、バラ切り花の輸出が増えているが、その7割以上が不正収穫物という情報がある。日本へのバラ切り花の輸出が多いのは韓国、インド、中国である。各国の官公庁や生産者と話し合っても、ロイヤルティ徴収はたいへんである。時には、水際防止で輸入を差し止めている。
 日本の種苗法では自家増殖が許されていたが、種苗法改正で花き類では20種以上が自家増殖を禁止されることになった。バラもその一つではあるが、育成者の立場からすると、できれば全登録品種で自家増殖禁止になることが理想である(鹿野 2004)。*43

 <事例D4:中国産白いんげんまめ「雪手亡」>
 北海道が育成した白あん用インゲン豆「雪手亡(ゆきてぼう)」は、海外への許諾を出していなかったが、中国、カナダに流出した。北海道は99年からDNA識別技術開発に着手し、中国産サンプルを収集し、2002年1月に中国産いんげんまめが雪手亡であることを公表した。DNA鑑定など、権利侵害に対しては科学的手段に訴えることが重要である(竹次 2004)。*44

(2)国内農家の問題
 日本国内においては、基本的に農家に自家増殖の権利が認められている。しかし、自分が使う以上の苗を増殖し、海外に流している国内農家が多く存在する。農林水産最新技術産業振興センター(STAFF)のアンケートによると、回答者(640)のうち、190件の侵害事例のうち4割以上で、何らかの形で国内農家が海外のおける植物品種権侵害事件に関わっていたことがわかった。
 大分の農家が育種した柑橘品種「佐藤の香」が韓国に無断で出回った事件には、熊本の農家が、佐賀県の「さがほのか」(県外への許諾を出していなかった)が県外で栽培・市場出荷されていたのも、圏内農家の有償での横流しによるものであった。
 他方では、一方的に品種権を保護するのではなく、積極的に利用を拡大しようとする動きもある。韓国では、ようやくいちごにも種子産業法の保護が与えられることになった。日本への合法的輸出が増えることにつながる一方、日本にとっては、優良品種を海外で普及させ、許諾料を徴収できる道が広がったと肯定的に考えるケースも出てきている(竹次 2004)。*45

(3)コピー防止の対策
 育種権侵害に対抗するために、DNA識別技術の確立などが進められている。その一方で、日本国内法で育成者権の侵害を差し止めることができても、外国における生産・販売には権利が及ばない。外国においては、育成者権にあたる権利を取得する対策を考えるべきだが、それには、現地でその植物が保護対象であること、つまり相手国における国内法の整備が前提となる(萱野 2004)。*46権利侵害植物が輸入品として日本に入って来る場合を除くと、根本的にこの問題を解決策する名案はない。

(4)原産国ブランド
 なお、日本については、農産物に関する原産国イメージ研究は少ない。車やAV、電子機器などについては、研究がすすんでいる。農産物と原産国イメージの関連については、ニュージーランドで、とくにキウイの輸出に関する研究がある。農産物ではないが、中国における日本のイメージが、品質知覚とは別に購買行動に与えるネガティブな影響については、Klein et al.(1998)の研究がある。*47第二次大戦中、日本軍の無差別爆撃などがあった重慶での調査である。
 輸入農産品ではないが、ブラジルへの日系人の移民により、多くの日系在来種の野菜や果物の品種がブラジルに持ち込まれ、改良され、食卓に普及した。「青大」など多くのきゅうりの品種や、「ぽんかん」(ブラジルでもぽんかんと呼ばれ、皮が向きやすいのでみかんの豊富なブラジルでも普及)、きゃべつ、ほうれんそう、柿、栗、梨など 新しくマンゴスチンを定着させたのも日系農家であった。
 また、らっきょうもピクルスの材料としてブラジル人に用いられているという。コショウ中心の単作農業からリスク分散のため、JICAのブラジルの農業試験場が研究を重ねて普及させたのがアセロラである(JICA 2004)。*48
 日本食の普及では、寿司や豆腐など単品の食品の他に、久司道夫氏らによる、「マクロビオティック」という食事体系が、米国や欧米で広く受け入れられている。マクロビオティックは、日本古来の食の知恵を生かし、土地の産物・精製しない穀類や野菜を中心にした食事体系(および食餌療法)で、米国で60-70年代頃から普及した。久司氏は『ニューズウィーク』の「世界が尊敬する100人の日本人」に選ばれている(2004年)。温帯地域では、玄米食、ごま、野菜、海草、みそ汁などが基本になる体系(持田 2005)。*49

<脚注>
*1馬場完治(2006)「ブランド侵害はこう叩く」『日経ビジネス』1月16日号、80~83頁。
*2 2004年で、日本の食料輸入は496億ドル(輸入全体は4547億ドル)、食料輸出は21.6億ドル(輸出全体は5650億ドル)である。食糧だけで見ると、輸入は輸出の23倍である。輸出品目では、ほぼ半分が魚介類調整品である(ただし、輸出以上の額を輸入している)。貿易統計「ジェトロ・アグリトレードハンドブック」を参照のこと。
*3 農産物海外輸出に向けた市場調査や委員会報告書等の詳細は、CDROMまたはhttp://www.jetro.co.jp/ag『日本食品等海外市場開拓委員会提言で詳しく報告されている。今後の海外市場開拓事業に関する基本戦略』(CD)などに、その経緯と各国のマーケットの概略などが示されている。
*4(2006)「輸出による「安代りんどう」の世界ブランド化」『農林水産技術研究ジャーナル』29巻1号。
*5 詳しくは、http://www.chushi.maff.go.jp/joho/genchi/yusyutu/4-6.htmを参照。
*6 ジェトロ(2004)「海外市場にみる日本産品」『ジェトロセンサー』9月号、pp.12-13。
*7 東野昭浩(2005)「台湾における日本産農産物の販売促進活動台湾市場を拓け」『交流』7月15日号。
*8 宇佐見善昭(2005)「食の台湾市場を拓け」『交流』7月15日号。
*9 ジェトロ(2004)「海外市場にみる日本産品」『ジェトロセンサー』9月号。
*10 深澤守(2006)「「青森りんご」の台湾向け輸出が大ブレーク」『農林水産技術研究ジャーナル』29巻1号。
*11 果実日本(2004)「青森りんごの輸出の現状と展望」『果実日本』10月号。
*12 果実日本(2004)「台湾への果実輸出の現状」『果実日本』10月号、p.26。
*13 USDA Foreign Agricultural Service, World Horticultural Trade and U.S. Export Opportunities; U.S. Horticulture Exports to Asia 2004, http://www.fas.usda.gov/htp/Presentations/2004/US%20Hort%20Exports%20to%20Asia%202004%20(08-04).pdf
*14 深澤守(2006)「「青森りんご」の台湾向け輸出が大ブレーク」『農林水産技術研究ジャーナル』29巻1号。
*15 宇佐見善昭(2005)「食の台湾市場を拓け」『交流』7月15日号。
*16 深澤守(2006)、前掲論文。
*17 深澤守(2004)「青森りんごの輸出の現状と展望」『果実日本』10月号、p.42、pp.46-47。
*18 深澤守(2006)、前掲論文。
*19 宇佐見善昭(2005)「食の台湾市場を拓け」『交流』7月15日号。
*20 果実日本(2004)「青森りんごの輸出の現状と展望」『果実日本』10月号。
*21 片山寿伸(200?)「果実の生産・流通における衛生管理――ヨーロッパへのりんごの輸出」、松田友義他編『食の安全とトレーサビリティ』所収。
*22 果実日本(2004)「青森りんごの輸出の現状と展望」『果実日本』10月号、pp.43-44。
*23 フレッシュフードシステム(2004)「農林水産ニッポンブランド輸出促進都道府県協議会」の活動ならびに鳥取県の二十世紀梨輸出の取り組みについて」『フレッシュフードシステム』2004年夏号。
*24 農林水産技術研究所(2006)「世界へ羽ばたく二十世紀梨」『農林水産技術研究ジャーナル』29巻1号。
*25 果実日本(2005)「台湾への果実輸出の現状」『果実日本』、p.27。ただし、この制度は、2005年から前年実績を考慮する形で変更になった。
*26 宇佐見善昭(2005)「食の台湾市場を拓け」『交流』7月15日号。
*27 フレッシュフードシステム(2004)「全農鳥取県本部 百年かけた技と味 二十世紀梨の輸出」『フレッシュフードシステム』2004年夏号。
*28 フレッシュフードシステム(2004)、前掲記事。
*29 果実日本(2004)「台湾への果実輸出の現状」『果実日本』、p.27。
*30 農林水産技術研究所(2006)「海を渡った「十勝川西長いも」『農林水産技術研究ジャーナル』29巻1号。
*31 農林水産技術研究所(2006)「日本茶の輸出戦略」『農林水産技術研究ジャーナル』29巻1号。
*32 鈴木秀明(  )「果実輸出の現状と今後の可能性」『フレッシュフードシステム』33巻4号。
*33 ジェトロ(2005)、前掲資料。
*34 日本貿易振興機構産業技術・農水産部(2005)『平成16年度日本食品等海外市場開拓事業実施報告書 試験輸出・試食調査(上海 生鮮果実)』(『CD-ROM版)
*35 渡辺均(2005)『農産物輸出戦略とマーケティング』GMIグループ。
*36 フレッシュフードシステム(2005)「農産物輸出の現状と将来展望」『フレッシュフードシステム』2005年春号。
*37 宇佐見善昭(2005)「食の台湾市場を拓け」『交流』7月15日号。
*38 萱野(村山)英子(2004)「我が国農産物の品種開発に関する知的財産的考察」『農業技術』12月号、野澤誠(2004)「植物品種保護制度の概要」『農業および園芸』1月号。
 
*39 竹次稔(2004)「育成者権の侵害を巡る動き――現場で何が起きているのか――」『農業および園芸』1月号。
*40 萱野(村山)英子(2004)「我が国農産物の品種開発に関する知的財産的考察」『農業技術』12月号。
*41 野口博正(2004)「種苗法における自家増殖、農業者と育成者の権利調整」『農業および園芸』1月号。
*42 竹次稔(2004)「育成者権の侵害を巡る動き――現場で何が起きているのか――」『農業および園芸』1月号。
*43 鹿野義規氏(2004)「登録品種の権利保護のための取り組み」『農業および園芸』第79巻第1号。
*44 竹次稔(2004)、前掲論文。
*45 竹次(2004)、前掲論文。
*46 萱野(村山)英子(2004)「我が国農産物の品種開発に関する知的財産的考察」『農業技術』12月号。
*47 Klein, Jill Gabrielle, Richard Ettenson, Marlene D. Morris (1998), “The Animosity Model of Foreign Product Purchase: An Empirical Test in the People’s Republic of China,” Journal of Marketing 62, Issue 1, pp. 89-100.
*48 JICA(2004)「日系人と農業――南米に生きる日本の技術」『海外移住』JICA発行、3月号。
*49持田鋼一郎(2005)『世界が認めた和食の知恵-マクロビオティック物語』新潮新書。