先週から今週初めにかけては、農林水産省からの受託研究(ダイヤモンド社依頼)で、「日本産の農林水産物のアジア向け輸出とブランド保護」という論考に取り組んでいた。論文でもコラムでもない、ちょっとめずらしい仕事であった。
全文(2版)を<リサーチ&レポート>に掲載しておく。導入ー結論部分にあたる第1章を、本HPの本日分として掲載する。結論は、一昨日の「日本農業新聞」のコラム「世界は今」とだぶっているが、分析そのものは文献にもとづく、かなり詳細にわたる内容である。
依頼の分量は、A4サイズで5~6枚と言うことであった。結局は、20頁分を書いてしまった。要約してまとめて、どこかに発表しようと思っている。
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「中国・台湾に向けた日本の農林水産物の輸出とブランド保護」
1 はじめに: 中国政府、知的所有権の「先願主義」を放棄
いまや世界的な「馳名商標」(中国語で「有名ブランド」の意味)となったMUJIブランドが、5年間中国本土で「無印良品/MUJI」のブランド名で衣料品を販売できなかったことはあまりにも有名な話である。昨年(2005年)11月、ようやく中国国家工商行政管理総局は良品計画の訴えを認め、7月に上海に出店した無印良品の店舗では、年末商戦で晴れて無印ブランドの衣料品を販売することができるようになった。著名であれ無名であれ、日本発のブランドを中国で展開するときの貴重な教訓となる事例である。
『日経ビジネス』(2006年1月16日号)によると、事の発端は1995年に遡る。*1良品計画は91年に香港に進出したが、「無印良品」と「MUJI」の中国本土での商標登録は、良品計画ではなく地元香港の企業「盛能投資有限公司」が先んじて登録済みであった。香港と中国本土では法制度が異なり、中国本土では「馳名商標」(世界的に有名だと認められ商標は、未登録であっても模倣者から商標権を護ることができる)という概念がなかった。当時は知的所有権に関する法体系が整備されておらず、商標登録に関しては早い者勝ちの「先願登録」が事実上は有利であった。
法制度の隙間を突かれた形になった良品計画は、2000年5月に中国政府に盛能を訴えることにした。ところが、香港の盛能ブランドは、すでに中国全土で20店舗のカジュアルウエアの店「無地」を展開していた。商標権使用に関して法廷係争中の間にも、盛能の「無地店舗」が上海などで本家のブランドイメージを浸食するという事態が続いていた。盛能ブランドは、自然志向の生活衣料・雑貨店という「本家」のブランドイメージとは似てもにつかないディスカウントタイプのカジュアル衣料品店であった。
商標権の係争案件として長い時間を要したが、最終的に中国政府は良品計画の訴えを受け入れることになった。今年になって、盛能に対して漢字・英語の二つのブランド名の使用を差し止める決定を下した。中国がWTOに加盟してから4年間が経過しているが、その間にさまざまな分野で国際的な企業活動を律する法制度が整備されてきた。商業活動に関しては、今年になってセブンーイレブンが、中国全土でのフランチャイズ活動(中国語では、「特許経営管理」)を認可された。今回、MUJI(無印)ブランドの使用に関して、馳名商標について先願を認めない決断を下したことになるが、これは中国政府にとって歴史的な判断の転換点である。
以下では、日本発の農林水産物をアジアの諸国、とくに中国・台湾で輸出・販売を検討する場合に、ブランド管理の観点から留意すべき事項を現地の事例を交えながらまとめてみることにする。中国の無印良品事件から学び取るべきの教訓は、以下の4点である。
(1)中国政府の外資ブランドに対する姿勢が、いまだ限定的ではあるが、できるだけ国際的な商取引ルールを遵守する方向に変わってきていること、
(2)商標権の侵害に関しては、たとえ面倒でも折に触れて自社ブランドの正当性を主張し、場合によっては法律に訴えることも辞さない態度を堅持すること、
(3)法的な訴訟に勝つためには、明白な証拠や海外事業の実績を示し続ける努力を継続すること、が大切である。また、それに加えて、
(4)現地企業(家)でブランドを担ってくれる良き提携先(パートナー)を見つけること、である。
中国本土で日本産農産物についてプレミアム価値を確保しようとするならば、工業製品と同様な措置が必要である。農産物が例外であるということは全くない。