拙著『ロックフィールドのDNA(仮)』(PHP出版)を刊行するため、2018年6月に幹部社員の前でプレゼンした。「食のSPAモデル」というタイトルの社内講演だった。このプレゼンテーションの内容が、岩田弘三の伝記本(創業50周年記念出版)の骨子になる。メモをもとに、執筆のプロセスを振り返ってみる。」
以下は、「神戸本社プレゼン用メモ」
@ロック・フィールド神戸本社) V3:20180611(提出)
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<表紙タイトル>
「ロック・フィールドのビジネスモデル:
食のイノベーター、岩田弘三のDNA(仮)」
・プレゼンター: 小川孔輔(法政大学大学院・教授)
・場所: ロック・フィールド神戸本社
・日時: 2018年6月29日
0 はじめに:食の未来、5つの脅威と機会
(1)消費者のライフスタイルの変化
・少子高齢化、安心安全の未来
・嗜好の変化:オーガニック、ベジタリアン、ビーガン
・調理技術の変化:ミールキット(半完成品)
(2)中食産業内での競争
・コンビニの台頭、ドラックストアの浸食
・サラダという商品の供給競争(追われるものの立場)
(3)購入場所の変化
・百貨店という販路(強みの継続性、頑健性は?)
・路面店の復活(地球健康家族、サラダバックの復権)
・店舗とネットの競合(自社サイトかアマゾンか?)
(4)素材革命
・植物由来の人造肉(米国の投資家たちの動向)
・自然な出汁(茅乃舎)
(5)日本の農業の未来
・農産物の供給不足
・和食素材の輸出可能性(海外展開)
・食品スーパーの農業参入
1 ロック・フィールドの遺伝子を探る
(2017年7月17日号「日経MJヒット塾」での対談
「食のデザイン・カンパニー」 岩田会長BY小川インタビューから)
<スライド1>
—売上高は2017年4月期に初めて500億円を超え、利益も過去最高を更新したようですね。
「外食市場が伸び悩む一方、中食は2015年に9兆6千億円と40年前の3千億円規模から伸び続けています。そんな中で中食に専念し、『新しい日本の惣菜(そうざい)をつくろう』と取り組んできました。人に良いと書いて食。物に心を込めた野菜と書き惣菜。日本の惣菜である以上、野菜を中心にしようとサラダが持っている多様性を生かしながら、健康とおいしさを追求してきた結果です」
<スライド2>
—かつては、「神戸コロッケ」の会社というイメージがありました。
「神戸コロッケは1989年です。冷凍コロッケが主流でしたが、チルドでこだわりの味を売りにしようと百貨店に頼み込み、最初に入れていただいた高島屋大阪店では初日40万円売れました。単品のど迫力を出そうと特化したのがよかった。生野菜中心のサラダが本格的にスタートしたのは、静岡県の磐田市に安藤忠雄さんに設計していただいた基幹工場が完成してからです」
<スライド3>
—「RF1」ブランドで展開し始め、顧客を大きく増やすきっかけとなったことはありましたか。
「1994年の『30品目サラダ』の発売です。当時、厚生省(現・厚生労働省)は食生活指針で栄養をバランスよくとるため1日30品目を目標に食べるよう勧めていました。お客さんからすれば、わざわざ30品目の食材を買って作るよりもいい。エクスキューズができたわけです。主婦が家で炊事をするのが当たり前の時代に、外でお惣菜を買うのに何となく後ろめたい気持ちがありましたから」
<スライド4>
—健康にいい、食材を買いそろえるより無駄がないという免罪符ですね。
「最初の頃、数えたら29品目しか入っていなかったとクレームが来ました。それで大体30品目前後入れていますが、すごいですね、そこまでしっかり見ていただいている。我々は1品1品、絶対的な競争力がある生産者と連携しています。なぜ当たったかといえば、その素材力があったからです」
<スライド5>
—食材の調達は契約栽培が中心でしたね。
「葉物の生野菜で70%以上、根菜でも60%ぐらいが契約栽培です。例えばジャガイモは北海道の北見で生産してもらっています」
「以前は、ジャガイモを機械で掘り出す前に葉や茎を枯れさせる薬剤が使用されていました。食の安全・安心が一番ですので、我々はオランダで使われているチョッパーという粉砕機を寄付し、枯凋(こちょう)剤を使わずに葉や茎を処理してもらいました。あまりにいいジャガイモなので、雪中備蓄しています」
<スライド6>
—多品種のサラダづくりでトヨタ自動車に学んだというお話でしたね。どう生かされたのですか。
「約300種類と多品種のサラダを毎日、効率的に店に供給して販売できるように、我々もその素材、つまりパーツをキット化したのです。トヨタの物流センターでクルマの組み立てに必要なパーツをキットにして流しているのを見て、ヒントを得ました」
<スライド7>
—売り場でサラダが美しく見えるため多品種であることがより際立ちます。何か秘訣があるのですか。
「売り場のケースのガラスは日本ではなく、実はイタリア製です。その透明度と、今はLED(発光ダイオード)を採用している照明、きちんとしたケース内の温度管理。それが組み合わさって中のサラダがお客さんから新鮮で美しく見えるのだと思います」
「私がこの仕事を始めたとき、神戸に友人(蟻田尚邦氏)が開いた『アンリ・シャルパンティエ』という洋菓子店があり、彼のケーキを売るケースは本当によくできていました。それで製造元を訪ね、造っていただけないかとお願いをしたのがきっかけです。ケーキのケースに惣菜(そうざい)を入れるなんてと最初は断られましたが、諦めずに我々のサラダづくりを説明して、理解が得られました。見せ方は今も進化しています」
<スライド8>
—サラダは西洋の食べ物だと思っていましたが、来日した外国人観光客が「RF1」のサラダを見ると、大体、驚かれますね。
「やはり、1つは多様性でしょう。フランスでは、サラダは前菜でも主食でもなく、おかず的なサラダでもありません。米国でもサラダは主食ではない。しかし、日本ではサラダ自身が添え野菜、つけ合わせではなしに、主食にもなり得ると思って、7千種類以上、開発をしてきましたから」
<スライド9>
—サラダが食卓の「主役」になっていく。これから、どのような新しい商品を考えているのですか。
「創業した40年以上前といえば、ポテトサラダやマカロニサラダ、キャベツのコールスローなどマヨネーズを中心としたサラダでした。それが、フレッシュな生野菜をいろいろ組み合わせて食べるサラダへと変わりましたけれども、料理の考え方からすると、さらにもう1つ、あるのではないかと。野菜を加熱するという食べ方です。これは日本でもフランスやイタリア、米国でも当たり前ですが」
<スライド10>
—ケースの中で冷野菜にこれらを加えるという売り方になるのですか。
「両方です。というのは従来のケースの中で扱い、家庭で再加熱していただく方法と、もう1つは、できれば各店の売り場にオーブンを置いて、焼きながらもお出ししたい。サラダを通してさまざまなチャレンジをしていきたい」
—その中で、生産効率をさらに上げていく。
「どんどんロボット化しますが、例えばジャガイモは工場で人が芽を取る。おいしさが違う。人間力あればこそのロボット力です」
2 食ビジネスの革新の源泉はどこにあるのか?
(1)海外ビジネスの移転(模倣から革新へ)
事例:マクドナルド(藤田田)、ロック・フィールド(岩田弘三)、
すかいらーく(横川さん4兄弟)、セブン‐イレブン・ジャパン(鈴木敏文)
(2)枠組み: マーケティング技術移転マトリックス(事例の列挙)
AI移転: ①Imitate(模倣)、 ②Innovate(革新) ③Invent(発明)
Adopt(採用)、 ②Adapt(適応) ③Adept(創発)
(3)ライフスタイルの提案(食べ方の提案、売り場づくり、新しい場の提供)
事例:ホールフーズ(ナチュラル&オーガニック)、ABCクッキングスタジオ、
ヤオコー(惣菜のインストア加工)、ロック・フィールド(日常的なデリカ)
(4)技術革新
・製品イノベーション ~
日清食品(カップヌードル)、味の素(グルタミン酸ソーダ)、明治(ヨーグルト)
・プロセスイノベーション ~
ヤマト運輸(クール宅急便)、セブン-イレブン(POSシステム)
(5)立地革命
・すかいらーく(郊外立地)、RF1(百貨店の総菜売り場)、
・ABCクッキングスタジオ(SC出店、専門店ビル)
・日高屋(SPA、駅周辺の集中出店)
(6)価格破壊
・マクドナルド、サイゼリヤ、吉野家(ゼンショー)、あきんどスシロー
・アクアベーカリー(100種類の100円パン)
(7)原材料の調達加工
・サイゼリヤ(海外の工場、国内農場)、すかいらーく(CK方式)
・ロック・フィールド(静岡ファクトリー)
3 ビジネスモデル・イノベーション(経営の方式)
(1)ビジネス革新の3つの類型
①伝統的なビジネスモデルの置き換え
ABCクッキングスタジオ
②成熟・飽和市場の再活性化
俺の株式会社(飲食ビジネスに「経験効果」を組み込む)
③新しい市場と顧客の創造
伝統的なビジネスモデルの置き換え
事例:革新的なモデル>ABCクッキングスタジオ
<旧モデル>
・伝統的な料理学校(○○調理師専門学校)
サービス提供方法:スクール形式の授業
目的:料理技能の向上
受講方法:月謝制、能力別クラス編成
その他、製品サービス志向
→ <新モデル>
・ABCクッキングスタジオ
サービス提供方法: テーブルを挟んでの授業(最大生徒数5人)
目的: 料理の楽しさ
受講方法:回数券制、種目別カリキュラム
その他、マーケティング志向
(2)商品・技術イノベーションの取り入れ方
*ロック・フィールドの場合
①経験の蓄積(模倣的な学習)
・岩田会長の子供の時の体験(叔父さんの影響)
・レストラン「フック」(シェフとして)
・海外の食べ歩き(デリカテッセン、ベトナム生春巻き)
②コラボ人材の登用(提携・協業)
・12人のシェフとのコラボ
・安藤忠雄氏とのコラボ
・アリス・ウォータース(シェ・パニース)
・その他、海外レストラン(有名シェフの登用)
③境界領域からのアイデア導入/協業(提携・模倣)
・トヨタがライバル → 食材のキット化
・トロワグロ(小田急百貨店)
・海外のブランド移転(***)
④商品アイデアの展開(模倣・革新)
・デリカテッセン(移転)
スモークサーモン
シャルキュトリー(ジャンボンブラン)
イタリアン(ペック)
・商品カテゴリー(単品開発)
カリー元年
ごちそう宅急便 → アマゾンフレッシュ
⑤ブランド革新(創発)
・神戸コロッケ(あげもの)
・RF1(サラダ)
・地球健康家族(*サラダバッグ)
・いとはん、三日坊主(和惣菜)
・融合(アジアン)(*BeOrganic)
・ベジテリア(飲む野菜)
4 ロック・フィールドの成長プロセス:
*フードビジネスのSPA(製造小売業)が完成するまでの回顧
(1)食のSPAモデル(2004年ごろに完成)
「食材の調達から直営店での総菜の販売まで、製造・物流・販売の一貫システムを自社内に持っている企業形態。しかも、品質と効率を考えて、徹底的に科学的にシステムを管理する。販売時点では、高品質の際立ったブランドで消費者から絶対的な支持を得ているので、リピート購入率が極めて高い」
・食材の調達 ~ 委託生産農家からの直接調達(契約栽培)
・直営工場での加工 ~ 総菜(コロッケやサラダなど)は、神戸と静岡の自社工場で前処理の段階から一貫して製造加工
・物流システム ~ 食品の鮮度を保持のため、工場から店舗まで食材は半製品の状態でチルド輸送され、
・販売 ~ 百貨店・駅ビルなど直営売場で持ち帰り総菜として加工販売
<図表 フードビジネスのSPAモデル>
(2)草創期(1972年~1988年)
<72年の創業:百貨店への出店>
・ロック・フィールド創業の動機 ~ 視察旅行でデリカテッセンに出会う
具体的には、パリの「フォション」、ミュンヘンの「ダルマイヤー」、ミラノの「ペック」など
・レストランのシェフから、百貨店で高級総菜を売る企業人に転身
・一号店は、神戸の大丸百貨店
5年間は事業として成り立たない(レストラン「フック」の利益で赤字補填)
腕の良い料理人の引き留めに四苦八苦
<百貨店でのMDと販売方法>
・当初は、対面ケースでの販売
・食材アイテム ~ サーモン、シチュー、サラダなど。コロッケなどのフライは、衣を付けた状態の半製品を持ち帰ってもらう。
・ターゲット顧客~ レストランの料理を高級総菜として購入する裕福な層
日本経済が発展するにつれて富裕層がすこしずつ増える
・ブランド ~ 百貨店ごとに別ブランド(デリカテッセン)を立てる
「ガストロノミ」(高島屋)、「美食家倶楽部」(そごう)、
「ユーロマルシェ」(大丸)、「マンジャーニ」(伊勢丹・阪急)
「神戸デリカテッセン」(その他の百貨店など)
<関東地区への進出>
・1980年代、関東の百貨店に進出(横浜高島屋が最初)
・商品展開 ~ お歳暮やお中元などギフトが全盛の時代
・ロック・フィールドの強み ~ ヨーロッパ風の高級総菜
・エポックメーキングな事件 ~ 2001年秋に高島屋から「ガストロノミ」を撤退
(3)転換期:1989年~1998年
<デイリー総菜への転換>
・1989年、「神戸コロッケ」の販売を着想
・百貨店で高級食材を販売していたロック・フィールドが庶民の日常的な食べ物=コロッケを販売したのはなぜか?
~ 当時のビジネスの状況
1980年代を通して、順調に売上げは伸びている(87年100億円突破)
ところが、12ヶ月では黒字月がわずか3~4ヶ月
ギフトの売上比率の大きさから(ギフトが26%)
<日常的な需要への対応:ハレからケへ>
・社内チームの発足(路面店で売れる商品の開発)
・プロジェクトチームの結論 = コロッケ(路面店で販売)
・素材を厳選、北海道産の男爵イモ、淡路島産のタマネギ、地元神戸で取れた良質の牛肉
・マーケティングの特徴
チルド状態で成形された生コロッケを、オーダーを取ってから客の前で揚げて販売する
包装紙には、コロッケを抱いた招き猫と港町神戸を象徴する船のマークがキャラクターとして印刷された
「神戸コロッケ」は手作り路線(冷凍クリームコロッケが全盛の時代)。
店頭に、一際目立つように派手な幟を立てる(神戸コロッケの目印)
「ノスタルジーマーケティング」 ~
看板は黒、昔なつかしさを感じさせるレトロな黄色の袋文字、店舗もノスタルジーを感じさせる雰囲気
・路面一号店の設計者 ~ 当時無名の建築家、安藤忠雄氏(東大教授)
安藤は岩田の提案(人目を惹きたい)を猛烈に批判
都市景観を重視するコンセプトをもったデザインが重要だと主張
その後、安藤が再び静岡工場を建設する際にも設計を担当
<神戸ブランド:自然さと安心感>
・ブランドとしての神戸 ~ 食の文化と地域の伝統を歴史的な背景として保っている場所
・神戸発のブランド
「六甲のおいしい水」「六甲バター」「ユーハイム」「モロゾフ」
「フロインドリーブ」「ドンク」「コープこうべ」「神戸大学」
・神戸ブランドの中核要素
「自然さ」と「安心感」と「(海外に通じる)港町の文化」。
そして、衣と食のブランドを多数抱えている
<静岡ファクトリーの建設>
・神戸コロッケで大躍進
1993年には、約50億円、50店舗
百貨店内から出店要請(路面店より多くなる)
・1991年に、50億円を投じて静岡ファクトリーの建設
食材の一貫製造工場で、99年に工場を拡充
野菜など原材料の前処理を内製化
野菜の当日仕入・加工・出荷体制を実現
環境にやさしい風力発電設備も整える
全国の拠点にチルド輸送する物流網を整備
・1992年に、大阪証券取引所2部に株式上場
ロック・フィールド全体の売上高が150億円を超える
<ブランドの統合:「RF1」>
・1992年5月に、ブランドを「RF1」(アール・エフ・ワン)に統一
・RF1は、「RF」(社名:岩田の英語読み)+「F1」(エフワン・レース)の合成語
ブランドの記号性を強調 例:SONY、GAPなどは抽象度が高い
~ 無機的なコアブランドで、将来のブランド拡張を容易にしたから
・RF1のブランディング
2012年の「みらい・サラダ・カンパニー宣言」につながる
4 業態再開発期(1999年~2011年)
<路面店と新規業態ブランドの開発>
・1994年: 和総菜の専門店「そうざいや地球健康家族」
*路面店、神戸コロッケで日常需要にさらに近づく(撤退)
・1999年: オフィス・ミール・サービスの「サラダバッグ」
*社員食堂のアウトソーシング事業(撤退)
・2001年: アジアンフードの「融合」(現存)
<おいしさの革新>
・”おいしさ”の3つの要素(岩田会長の主張)
3要素 = 「鮮度」「テクスチャー」「香り」
(とくに、そのなかでも「鮮度」が大切)
・岩田会長の言葉(2001年当時)
「われわれが料理をおいしいと感じるのは、素材に”力”があるからです。
ただし、素材の力は、時間の経過とともに急速に失われていきますから、
料理をおいしく食べるには、素材のフレッシュさを維持しておく仕掛けが必要なのです」(岩田)。
・米国伝来のファーストフード文化(味のスタンダード)
「米国流のフードビジネスの仕組みでは、
素材の鮮度劣化を「化学調味料」と「脂っこさ」と「甘さ」で補おうとする。
素材の弱さを補うために、人工調味料を多用する結果、味が画一的になってしまう」
・食材についての要望
野菜の委託生産者に対して、残留農薬と除草剤は使わないよう要望
*北海道のジャガイモ農家との関係性
基本ポリシー = 誰が作ったのかがわかる食べ物を提供する(契約栽培)
<新業態、新立地、新商品>
・おいしさの価値観の変化
「健康と安全・環境」がおいしさの基準に変わる
・ロック・フィールドの企業理念
ブランドの価値観を事業の中心に据える
消費者の信頼が得らる「デイリー総菜」へと事業をシフト
・2000年に、東証一部に上場
・出店形態の変更~ JR東駅構内など駅ナカ、オフィス棟・商業施設への進出
<新しい価値に基づく食の時代:「トヨタ」がライバル>
・1998年、異業種の「トヨタ」と「ソニー」をベンチマーク
・トヨタの当時の事業展開を参考にした
米国の自動車メーカー ~ 「スタイル」「モデル」「デザイン」が車の価値
トヨタ自動車の提案(2000年に入ってから) ~ 「安全」と「環境」
・ソニーの価値観 ~ 世界に対して新しい価値観(テクノロジー、ライフスタイル、エンターテインメント)を提案してきた。
・それでは、ロック・フィールドは?
日本人は、戦後に先進国からあらゆる食文化を取り入れてた
日本の食文化は、世界のさまざまな食と融合していく時代になる。
・ロック・フィールドの目指す未来
「サラダを通じて「新日本食」を完成させる。日本は伝統的に、
野菜・穀物・海産物が豊富な国である。日本発の食材と技術を活かした料理を、
世界の消費者に向けて発信していきたい」(2001年春)
5 おわりに