マーケティングリサーチ協会から頼まれた原稿である。『マーケティング・リサーチャー』(MR協会)2010年3月号に掲載される。タイトルは、表題の通りである、久しぶりに書く依頼原稿である。
1 リサーチを学び、教えはじめた頃
法政大学で「経営科学」(マネジメント・サイエンス)という講義科目を教えはじめたころのことである。当時、助手から講師になり立ての26歳。前任者が教えていた「経営工学」の授業内容を踏襲して、当初は「待ち行列」や「線形計画」、「在庫管理」などを中心に、オペレーションズ・リサーチ(OR)の技法を忠実になぞってシラバスを作成していた。研究と教育のために、ようやく大型コンピュータをクラスで利用できるようになったぎりぎりのタイミングであった。とはいえ、教室に来る学生は、わずか20~30人程度だった。
数学や統計学が苦手な文科系の学生が、ORのような工学的な手法に興味をもつわけもない。そのうちに、教室で退屈そうに話を聞いている学生のニーズに合わせて、授業の内容を、マーケティング的な話題や手法に切り換えていった。時系列分析や回帰分析を使った「需要予測」、売上の「シミュレーション分析」などである。当時ようやく手法的に確立してきていた「知覚マップ」の話などに、学生たちは興味を示していた。
いま振り返ってみると、筆者が米国へ留学をする直前の授業内容は、「マーケティング・サイエンス」そのものであった。[1] わたし自身は、純粋なアカデミシャンとしての教育を受け、実務経験を持っていなかった。企業の方からマーケティングマネジメントの考え方を学びながら、自分でリサーチデータを分析する手法を身につけていった。そうしているうちに、分析の前提になるデータ収集法として、市場調査のやり方を教室で教えることになった。
現在は、企業の方たちと組んで、アンケート調査はもちろんのこと、商品開発に踏み込んだり、店頭実験を企画して実施、提案、検証までを行っている。ネット調査会社や大手リサーチ会社には、院生を含めて卒業生をたくさん送り込んでいるので、演習それ自体が企業内での実務にきわめて近い実習状態である。それに比べると、20年前に市ヶ谷キャンパスの教室に座っていた学生たちには、ずいぶんと申し分けないことをしたと思っている。筆者の経験不足から、当時はマーケティングのフレーバーを十分に伝え切れていなかっただろう。しかし、それはまた、当時のリサーチ環境(情報システム、分析手法、マーケティングデータ)に関わる時代的な限界でもあった。
1984年に、カリフォルニア大学バークレイ校のビジネススクール留学(1982年~)から帰ってきた。そのころ、1980年代の前半(POSデータの普及のはじまり)と、その後にインターネットが普及し始めた1995年からの5年間(インターネット情報革命)が、マーケティングリサーチとマーケティング情報システムにとっては、大きな転換点になったと考えられる。[2]
情報技術の発達と情報インフラの深化が、マーケティングリサーチのあり方を大きく変えようとしている。同時に、マーケティングに対する時代的な要請が、戦略立案やマーケティング実行計画に必要とされる市場情報やデータ分析の手法に影響を与えている。リサーチが進化を遂げた30年間を回顧しながら、マーケティングリサーチのあるべき姿と未来を展望するのが、本稿の目的である。
2 マーケティングの時代的な要請
マーケティングリサーチの体系は、3つの基本モジュールから成り立っている。①マーケティング情報システム(情報収集システム)、②マーケティングデータ(情報コンテンツ)、③マーケティング分析手法、の3つである。
3つのモジュールをうまく体系的に組み合わせて、自社の製品サービスや事業部門に課された「④マーケティング戦略課題」(上位目標=4番目のモジュール)を解決するのが、マーケティングリサーチの使命である。より具体的には、(A)市場や消費者、競合についての何らかの最終的な判断と、(B)自社のマーケティングに関する推奨や改善提案、そして具体的な実行プランを導いていくことがマーケティングリサーチの課題になる。換言すると、マーケティングリサーチとは、「市場を理解し、マーケティングアクションに結びつけるためのインテリジェンス(情報収集と分析活動)の全体的な仕組み」のことである。[3]
したがって、優れたリサーチシステムとは、①情報収集システム~③分析手法のモジュールのそれぞれに求められる一定の水準を満たしながら、④企業のマーケティング戦略課題を効率よく解決できるシステムであるということになる。以下では、モジュールごとに、その求められる要件について、順番に議論していくことにする。
(1)マーケティング情報システム
「マーケティング情報システム」(MIS: Marketing Information System)という言葉が登場したのは、1980年代の前半である。メインフレーム・コンピュータとオンライン・ネットワークシステムの登場がきかっけであった。日本でこの概念を最初に展開したのは、当時、花王の調査部長だった陸正氏(1988)である。[4] そのベースになったアイデアは、MITの教授だったLittle(1970)が提示した「モデルとマネジャー」という「人間―機械システム」の枠組みだった。[5] マーケティング・マネジャーが、データと道具(分析ツール)を駆使して、マーケティング問題に挑むという基本イメージである(図1)。[6]
この付近に 図1 マネジャーとDDSの構成要素
(陸正 1988) を挿入
Little教授(1970)が提示したMIS(DDS)のイメージは、いまでも現実的である。鮮度を失っていない。「データ」「統計分析」「モデル」「最適化」+「インターフェース(ディスプレイユニット)」のそれぞれが、その後も、独自のモジュールとして改善、発展を遂げてきている。インターネットが登場したあとで変わった点は、①インターフェースの性能向上(PCと携帯端末の登場)と②外部データベースの利用可能性(WEB検索、リアルタイム情報閲覧)である。
優秀なサーチャーであるためには、自社情報システムを熟知しているだけでは充分ではない。高度な統計手法や分析ツールに精通しているのは当然のことである。それ以外に、他社や業界情報、あるいは業界を越えたところに存在している情報を検索してくる「連結(リンク)」について知識を持っていることが求められる。
(2)マーケティングデータベースの深化
1980年と1995年を境にして、マーケターが利用できるマーケティング情報に大きな変化が起こった。まず1980年代のPOSデータの登場によって、①利用可能な販売データのカバレッジが広がり、②データの取得閲覧が即時になった。店頭POSデータの利用可能性が高まったことで、物流システムが変わり、情報システムの深化によりマーケティング意思決定が迅速にできるようなった。
1995年以降、現在まで続いている変化の流れは、マーケティング情報の自由化である。ここで言う自由化とは、「無料化」と「低価格化」を含んでいる。例えば、従来から無料で閲読できたネット系の新聞情報は有料化に向うという報道もあるが、ネットを経由して得られる情報は、ほとんどが無料である。あるいは、低い料金がチャージされているだけである。そして、かなりの程度、簡易なデータは一般にも公開されている。ネット民主化のおかげである
また、企業が保有している自社内部情報(販売、利益、顧客情報)にしても、大容量データベースが即時にオンラインで検索可能になった。情報セキュリティはきびしくなったが、①社内での情報共有と②意思決定の迅速化には、非常にプラスに作用している。社内組織も、③情報環境の変化に対応してフラットなものに変わっている。
しかしながら、注意しなければいけないのは、自由にアクセスできる大容量の市場情報は、実は、差別的な優位性を生み出す源泉にはなりえないという点である。マーケティング情報の自由化と民主化は、速度と効率の両面からマーケティング意思決定を合理化しているが、本当に求められている情報コンテンツは、市場や消費者に関する質的な情報である。そして、創造的にデータを解釈する知恵の開発とその蓄積である。
そのための手段は、従来からある郵送調査をネット調査に置き換えたものではない。むしろ、店頭観察や店舗実験といった調査手法を進化させて、消費者行動や店舗運営の実態を把握するための基礎データを得ることがより賢い方法である。デジタル全盛の時代に、意外に有益な情報はアナログな世界から得られるものである。そうした観察事例については、以下では、筆者が昨年体験した「カジュアル衣料チェーンの店頭観察@上海」(事例:上海のユニクロ、H&M、ZARAの買上率の違い)を紹介してみたい。
<事例:上海のユニクロ、H&M、ZARAの買上率の違い>[7]
2009年1月10日、ユニクロの上海基幹店である正大広場店(SC内に出店)で、通行客の入店客と購買客の比率をカウントしてみた。午後12時5分からの15分間である。ユニクロが上海に出店した翌年(2004年)の調査記録によると10~13人にひとり(@南京東路店)が、3年前(2006年)の記録では6~7人にひとり(@準海路店)が実購入客だった。上海ユニクロの買上率は、日本に比べて非常に低い状態だった(来店者中の買上率が10~15%)。
3回目の定点観測の結果である。入店者171人に対して、購買客数38人である。レジ袋の数で推測した買上率は22%。実際にはカップルや家族で来ているので、買い物袋を持っているのは来店客の約半分である。実購買率は40%近くにはなるだろう。
その後で、競合店との比較のために、准海路でユニクロを含む海外4ブランドの店舗(入口)を観察してみた。買い物バッグを持って出てくるひとの比率が、買上率の代理指標になる。15時から16時の間、それぞれの店から出てくるひとを、ほぼ100人目まで観察してみた。意外なことがわかった。買い物袋を持って出てくる人の数(割合)は、H&M:100人中13人(13%)、ユニクロ:110人中23人(22%)、ZARA:100人中4人(4%)、C&A:100人中55人(5%)。ユニクロの場合は、正大SC内店と路面店(准海路)で、買い上げ率が約20%と一致していた。数年前と比べて、目的買い(半分弱が実購買客)が増えていることがわかる。
その他3社との比較で、ユニクロが圧倒的に購買率が高いのである。その理由を知るために、全店の店頭作業を仔細に観察してみた。ユニクロと他社との大きな違いは、レジでの店員の対応スピードだった。ユニクロの店員たちの作業効率の高さ(手早い)とサービス対応の良さ(感じが良い)が目立っていた。あたかも「多能工的」にサービス対応しているからである。レジ打ちとサッキング、店舗作業をひとりの従業員がこなしている。
それと比較して、C&Aでは、レジ打ち係と袋詰め係が分業している。お互いに助けあわないから、手待ち時間が長くなる。レジで客が込んでいるように見えるが、実際の業績はそれほど良くないのである。実際もそうだった。購買率が低かったZARA(スペイン)とC&A(オランダ)では、レジの作業効率とサービス対応が悪く、うまく客がさばけていない。客がたくさん入っていて長い列ができているのだが、その割に実顧客数が増えていないのは、店頭での作業効率に原因があった。商品とブランド、販売データだけ見ていると見逃してしまいそうな事実である。
ネットでのデータ収集が可能になったことにより、マーケターやリサーチャーが現場を見なくて済むような錯覚をしてしまうものである。こうした態度は、マーケティング企画を担当する企業人にとって、マーケティングについて誤った判断を導いてしまうリスクを持っている。手に入りやすいデータばかりに頼り過ぎないよう、マーケターは現場に入って「フィールドワーク」(現場視察、店頭観察、インタビュー)を実施すべきである。[8]
(3)統計的手法やモデルの賢い利用法
最近の10年間はとくに、情報収集システムと情報技術の発達によって、マーケティングに関する情報量が極端に増えている。リサーチャーやマーケターは、ともすると情報の洪水に溺れてしまいかねない。他方で、マーケティング担当者は、自らの日常業務に忙殺されている。じっくりデータを読む時間も、それを解釈している時間も絶対的に不足している。多量すぎるデータに直面したマーケターにとって必要なツールは、以下の3つである。
① 市場の現実を要約して記述するための簡易手法、
② マーケティング課題(因果関係)を理解するための分析手法、
③ 使い勝手の良いユーザー・インターフェース
一番目の簡易ツールに関しては、PCの計算速度とハードデスクの容量が飛躍的に増えたことで、かなりの程度すでに解決がなされている。例えば、マーケティングデータの分析に関して、表計算ソフト(エクセル)の活用などはいまや誰でもが操作できる標準モジュールになっている。社内情報システムの中に、通常は要約統計やグラフソフトなどがプリセットされていることもふつうにある。もし問題があるとすると、どのようなデータセットが、どのようなマーケティング問題に適用可能なのかを示す「関連づけの知恵」がやや不足していることであろうか。それも、それほど深刻な問題とは思えない。
二番目の手法は、市場で起こっていることの原因を究明するための分析ツールを指している。周囲を見回してみると、実はかなり複雑なモデル分析(SEM:共分散構造分析)や統計手法(SPSSなどの付加的なソフトウエア)が簡単に利用可能である。しかも、統計分析に限らず、データマイニング的な手法もカジュアルにフリーで入手可能になっている。
三番目のユーザー・インターフェースは、日進月歩で改善されている。例えば、筆者自身が30年前に原稿や書籍を編集するためには、図書館や資料室に再三にわたって足を運ばなければならなかった。ところが、いまやPCの前に座って文献検索やデータ分析が可能である。原稿を書くスピードは、4分の一世紀の間に10倍は速くなっている。個人的な印象ではあるが、量的な意味での「知的生産性」は、その数倍、おそらく約30倍は高まっている。
3 リサーチとマーケティング意思決定の質
マーケティングリサーチという「料理法」にとって、「素材」(データ)と「道具」(分析ツール)が豊富になったからといって、「美味しい料理」(インサイト)のメニューが増えたのだろうか? 必ずしもそうばかりとは言えない気がする。マーケティングに関する分析者の洞察力は、30年前と比べて大きく向上したかといえば、実際はそうでもない。
科学やビジネスの本質は、案外と単純である。これは、筆者の偽らざる信念である。目の前で進行している現象を説明するために、相当な金額と努力をかけて実施した消費者調査の結果をすべて示す必要はないだろう。市場調査の報告書やプレゼンテーションでは、複雑な分析手法や多様に見える証拠(ファクツ)が示されることがある。そのときに、マーケティングの意思決定にとって、非常に大切な情報が抜け落ちていることがある。本質的なことは、市場調査のデータだけからはわからないことがある。常識や直感から推論されることが多いのである。
最後に、マーケティング意思決定の質を高めるために重要と思われるガイドラインを箇条書きにして、本稿を終えたい。キーワードは、マーケターやリサーチャーが置かれている「マーケティング情報環境」である。人間の思考法は、情報的な環境に依存するものである。マーケティングも例外ではない(筆者の原稿書きの生産性向上を参照のこと)。
① 良いマーケティング意思決定には、良い情報環境(マーケティング情報システム)が必要である。そして、良い情報環境を作ることができるかどうかは、マーケター本人の意志と努力にかかっている。
② 情報環境は、マーケター自身のデスク(PC)情報環境だけではなく、社内システムをさらに超えた外部との人的なネットワークを含んでいる。だから、高い品質のマーケティングを計画実行できるためには、情報環境を広く深くする努力をしなければならない。
③ 市場や消費者の本質は、データだけからはわからないことが多い。事実を確認する意味でも、対象に関する理解や洞察を深めるためにも、実際に現場に足を運んで、マーケティング対象を見て触って臭いをかいで見ることが推奨される。
④ マーケティング意思決定には、自らの直感を優先すべきである。データは直感を客観的に支持するために利用することで価値が高まる。さらに、直感は他者とのコミュニケーションによって確認したほうがより確実である。
⑤ データや分析手法は、あくまでもマーケターの発想や着想(仮説構築)を刺激するための引き金である。したがって、リサーチの質を高めるには、調査手法やモデル以外の経験に投資すべきである。
<脚注>
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[1] 米国で、学会誌Marketing Scienceが発刊されたのがちょうどそのころ(1980年)である。
[2] 筆者は、両方の時代のマーケティングリサーチと情報システムに関して、二冊の著書を表した。前者については、小川孔輔編著(1993)『POSとマーケティング戦略』有斐閣、後者の時代に関しては、小川孔輔)(1999)『マーケティング情報革命』有斐閣。
[3] 「マーケティング・インテリジェンス」の定義と理解については、拙著(2009)『マネジメントテキスト マーケティング入門』日本経済新聞出版社、第7章、 頁を参照のこと。
[4] 陸正(1988)『マーケティング情報システム―その戦略的視点と未来の構図』誠文堂新光舎。
[5] Little, J.D.C. (1970), “Managers and Models: The Concept of a Decision Calculus,” Management Science, 16, pp.B466–85.
[6] 陸正(1988)前掲書、46頁から抜粋。図は、Little(MIT教授), Urban(MIT教授), Montgomery(スタンフォード大学教授)らのアイデアを、陸氏(現、千葉商科大学教授)や借用して脚色したもの。ちなみに、DDSとは、意思決定情報システム(Decision Support System)の略である。
[7] この事例は、小川の個人HP(2009年1月19日 )に掲載されている。
[8] フィールドワークの手法と事例に関して、さらに詳しくは、小川(2006、2007)「マーケティング・フィールドノート」『チェーンストアエイジ』(ダイヤモンドフリードマン社)を参考にされたい。記事データは、小川の個人HP(https://www.kosuke-ogawa.com/)でも一般に公開している。