2週間前の七夕の日のこと。「熊谷長栄堂」(秋田県能代市)の鈴木博社長に宛てて、長文の手紙を書いた。手紙に託した用件は、「東雲羊羹を復活させるための事業承継」のお願いだった。羊羹の販売は、6月30日が最終日だった。幸運にも、わたしは1本だけ、最後の東雲羊羹を確保することができた。
能代市在住の末弟の晋佐くんが、わたしたち東京に住んでいる2家族(葛飾区の小川家、板橋区の近藤家)のために、閉店間際の店前に並んでくれたからだった。妹の道子の話では、全部で5本を確保したとのこと。
現物は見ていないが、そのうちに両家には1本ずつ東雲羊羹が郵送されてくる手はずになっている。神戸の長男宅にも、追加で1本確保してくれているらしい。晋佐くんにしては、珍しい配慮だ。
これで、最後の羊羹が入手できたわけ。それにしても、”わがソウルフード”は失いたくはない。生きている限り、永遠に食べ続ける算段を目論んで、熊谷長栄堂の鈴木店主さんに、「嘆願書」兼「提案書」を郵送した。2週間前の七夕の日のことである。
昨日は、この「東雲羊羹復活・再生プロジェクト」に協力してくれる宇都宮在住の2人と、リモートでミーティングをもっていた。事業承継のコンサルティング会社「(株)サクシード」の水沼啓幸社長と、マーケティング面から事業再生を支援する「(株)リビジョン」の山川社長である。
ふたりは、「ツグナラ」(サクシードが運営)という事業承継サイトを通して、地方老舗企業の事業継承を支援する事業家たちである。事業再生支援の申し込みが、宇都宮のふたりから来たことはラッキーだと思っている。そこで、生まれ故郷の鈴木店主さんへの手紙には、2人の存在とそれぞれの役割を示してある(以下のメール参照)。
わたしが、鈴木さんと2社の仲介役を買って出たわけである。なんとしても、東雲羊羹を復刻させたいとの思いからである。製造方法はそのままでも、パッケージデザインや宣伝のやり方(ネット販売が中心)を変えることで、売上は数倍にすることができるだろう。昨日のオンライン会議で、山川さんの話を伺って、そのことについては確信を持つことができた。
わたしから、熊谷長栄堂の鈴木さんへの手紙の一部を引用する。
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はじめまして、能代市出身の小川孔輔(こうすけ)と申します。
現在は、東京都葛飾区に住んでいます。法政大学(経営学部と経営大学院)で46年間、教鞭をとっておりました。6年前から、『北羽新報』の一面に、月一回のペースでコラムを書かせてもらっています。
先月末、Yahoo!のニュースで、東雲羊羹の発売停止の記事を見て、とても驚きました。「子供のころから慣れ親しんできたソウルフードがなくなってしまう」と思ったからです。
ニュースの報道を受けて、6月26日(月)に、「悲報!東雲羊羹が食べられなくなる!」という記事を『北羽新報』に書かせていただきました(コピーを封入してあります)。
コラムを書いた後に、元大学院生(水沼啓幸氏)が経営している「(株)サクシード」(本社:栃木県宇都宮市)から、東雲羊羹のことで連絡がありました。サクシードが運営している事業承継サイト(「ツグナラ」)の会員さんから水沼社長に、わたしのコラムを読んで、「東雲羊羹の事業を継承するお手伝いがしたい」とのメールがあったそうです(添付資料参照)。
水沼君からのメールは、以下の通りです。
「お世話になっております。ご相談です。先日の熊谷長栄堂さんに関しまして、ツグナラ企業から私のFB(フェイスブック)を見て、「是非引き継ぎたいのですが」という相談がきたのですが、可能性ありますでしょうか。若手のIT集団なのですが、酒蔵の再生など地域コンテンツ事業について強みのある会社です。」
『北羽新報』の池端編集長から、熊谷長栄堂(鈴木様)の連絡先を教えていただきました。先日、この件でお店に電話を入れさせていただきました。佐々木さんという方が電話口に出られて、女性の方(お名前を聞くのを失念しました)につないでいただきました。
(後略)
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手紙には、①北羽新報のコラム、②「サクシード」の会社案内(+日本生産性本部の資料)、③山川社長の「Revision」の事業実績などを同封してあった。
わたしが能代を離れてからでは、ちょうど50年になる。生まれ故郷には、いまだ何のお返しもできていない。水沼君からは、「無理のない範囲でご協力させてください」という追加のメールが来ている。夏休みにでも一度、能代で鈴木さんにお会いできたらと思っている。
あまり時間が経過してしまうと、一度閉じてしまった事業を再開することが困難になる。資金面や人材面も含めて、何らかの形でお手伝いすることもでればと考えている。