先週から今月発売のホームデポの翻訳『史上最強のホームセンター』(ダイヤモンド社)に続いて、新しい訳書に取り掛かっている。今度の翻訳は、ビル・ジョージ他『True North:リーダーたちの羅針盤、実践ガイド・ブック、 本物のリーダーになるためのパーソナル・ガイド』(本ブログ2022年12月7日)である。林麻矢さんが、すでに序文を翻訳している。
本書は、わたしたちが2017年に翻訳した『True North: リーダーたちの羅針盤』(生産性出版)の自学自習版である。本の構成は、ほぼ原著に準じている。たとえば、章立ては、つぎのようになっている。
はじめに 『実践ガイド・ブック』を改訂した理由
序章 真のリーダーシップ育成が必要な理由
パート1:リーダーシップへの旅
1. 人生経験
2. 道を見失う
3. 試練
パート2:本物のリーダーになる
4. 自己認識力を養う
5. 自分の価値を実践で活かす
6. 自分のスイート・スポットを見つける
7. 自分のサポート・チームを作る
8. 公私を統合する
パート3:本物のリーダーシップを実践する
9. 「私」から「私たち」への移行
10.目標をたててリードする
11.仲間たちをエンパワーする
12. グローバルな本物のリーダーになる
13.自分自身のリーダーシップ育成プランを立てる
あとがき
付録A このガイドの使い方
付録B リーダーシップ・ディスカッション・グループの作り方
付録C 真のリーダーシップ育成のためのシラバス
本編を読んだことがある方は、このフィールドブックのほうも、章立てがシンプルであることがわかるだろう。
わたし自身も、自分の経験に照らして、いくつかの練習問題に取り組んでみた。原本を見ながら、たとえば、第2章「試練」(Crucilbles)の課題に挑戦してみることにした。わたしはすでに71歳で定年退職している。それでも、いまだに新しいことにチャレンジしている。
そのことも含めて、その昔に、実際に経験した自分の試練を振りかえってみることにした。以下は、第3章の文中に登場する筆者から提示される課題のサンプルである。
<課題3-1:代表的な大きな試練>
これまでに経験した試練の中から、あなたのその後の人生に影響が大きかったものを、3~5個程度をリストアップせよ。
①
②
③
④
⑤
その中から、人生最大の試練を選んで「*」を付与せよ。
あなたの体験した試練には、ある種の傾向(パターン)があるかどうか?
さて、以下は、わたしの自分の人生を振り返っての答えである。この本の読者にも、同じ練習問題が課されることになる。
答え:小川の場合
<課題3-1:代表的な大きな試練>
これまでに経験した試練の中から、あなたのその後の人生に影響が大きかったものを、3~5個程度をリストアップせよ。
①大学の進学先は、高校2年生のはじめ(理科系クラスに所属)に、東北大学医学部と決めていた。ところが、赤緑色弱であることが判明したので、東大の経済学部に進路変更することになった。
*この時点で、どの学部に進学するのかが重要なのではなく、卒業後に何になるのか、何を目指したいのかが重要だと感じた。
②大学院に進学するも、指導教授と折り合いがよろしくなかった。研究室から離れたいと思ったので、大学院の博士課程を中退することにした。法政大学の助手試験を受けて、その後も法政から他の大学へは移籍しなかった。
*非常に義理難いところがあると思う。それは、いまのわたしの必勝法・成功に関連している。
③50歳の時に、盟友の橋本寿朗教授(経営学部)が急逝した。1月のある日、大動脈解離でほぼ即死だった。彼が学部長を務めるはずが、代わりにわたしが学部長に就任することになった。その前後の12年間、実質的に総長選挙を仕切っていた(清成総長~平林総長)。学部改革のために採用人事を断行した。これが反対派の妨害にあって、4件の人事がつぶされた。
*教訓:コミュニケーションが根本的に欠けていた。合理的に物事を進めようとしても、感情が交渉事を決めることがある。相手にも花を持たせて、全部勝とうとしないことが大切だと悟った。
④なお、学部長の2年間で、学会誌「マーケティングサイエンス」の編集長と、2000年に創設した「日本フローラルマーケティング」の会長の職を同時に務めていた。これに、経営学部長の仕事が加わったのだった。まさにパニックだった。しかし、この事態を招いてしまったのは、自分の責任だった。誰のことを恨むこともしなかった。人生でもっとも大切なのは、潔いことだ。
ここ(③と④)から学んだこと:
*人生は思わぬ苦難の道が続くことがある。困難に遭遇しても、事態を改善するために、「自分がいつでも自由に使える時間」を持たないと、③のような事態に機動的に対応できない。以後は、2割程度は自由に使える時間をリザーブしておくようにした。仲間を救助できなかったことが悔やまれる(少なくとも、5人の仲間が大学を去って行った)。
*その後、石井淳蔵先生(元神戸大学教授)から、わたしも設立に関わった「「マーケティング学会」の会長を小川さんにお願いしたい」との打診があった。申し訳ない気持ちはあったが、即座にお断りの返事をした。理由は簡単である。学部長時代の失敗(時間が足らずに仕事の質が落ちる)を、二度と繰り返したくなかったからだった。わたしには、やらなければならないことが、その時点でてんこ盛りにあった。地位や名誉、お金や成果については欲張らないことだ。
⑤最後の総長選挙で、わたしたち陣営は大敗北を喫した。敗戦の責任をとって、学内政治からは完全に足を洗うことにした。その後に、先輩たちからは「理事選挙に出なさい」との叱責を受けたが、本業(学問)で業績を残すと宣言した。
*教訓:敗北の理由は、今振り返ってみると、こちら側の慢心だったと思う。12年間も勝ち続けると、見えなくなってしまうものがある。謙虚に生きないといけないし、謙虚に振舞うべきだった。1月に辞任表明した、ニュージーランドの女性首相の言葉が身に染みる。「もはや力が残っていない」、、、、
(つづく)