【寄稿】小川孔輔「特別企画Ⅱ:分権的な経営と企業文化の醸成:ホームデポの今」『DIY/HC会報』(2022年夏季号)

 「分権的な経営と企業文化の醸成:ホームデポの今」という原稿を、『DIY・HC協会報』(2022年夏季号)に寄稿した。法政大学名誉教授として初めて寄稿した文章である。米国のHC企業「ホームデポ」の経営に携わったジム・イングリス氏の手になる書籍(2021年刊行、英文)についての解説である。

 

 小川孔輔「特別企画:分権的な経営と企業文化の醸成:ホームデポの今」『DIY/HC会報』(2022年夏季号)

 

 約20年ぶりで、米国最大のホームセンター「ホームデポ」に関する著作が刊行になった。原書は、Jim Inglis(2021), Break-Through Retailing:Bleeding Orange Culture Can Change Everything, IR Publishing。今回は、本書の紹介を兼ねて、日本のDIY・HC業界にどのような意味を持つのかを解説してみたい。
 著者はジム・イングリス氏(Jim Inglis)でホームデポの元役員。彼は創業から4年後(1983年)にホームデポに入社している。創業者チームのひとり、MD(マーチャンダイジング)の天才パット・ファローに誘われて、ジョージア州アトランタ市の新店を見てから入社を決意した。その後の13年間で、成長期のホームデポで、MD担当のシニア経営者として活躍している。
 ホームデポを離れた後は、海外のホームセンター(本書中では、「ホームインプルーブ・センター」と呼ばれる)を渡り歩いた。経営陣のひとりとして、またはコンサルタントとして、例えば、日本のコメリやチリのホームデポ提携企業で顧問として働いている。グローバルに知名度が高いアドバイザーとして著名である。ただし、業界の人脈に疎いわたしは、イングリスの名前を知らなかった。
 たとえば、2人の創業者(マーカスとブランク)が書いた『ホーム・デポ驚異の成長物語』(ダイヤモンド社、2000年)にも彼の名前は登場していない。ホームデポの成長を描いた石原靖廣著『最強のホームセンター』(商業界、1998年)にもジムは出てこない。

 

 <本書の概要>
 原書のタイトルBreak-Through Retailingは、「破壊的な小売革命」とでも訳すのだろうか?サブタイトルの ‘Orange Culture’ は、米国南部のサンベルト地帯を象徴するオレンジに由来する。ホームデポのアソシエイツ(仲間・社員)は、オレンジ色のエプロンをして売り場に立つからだろう。’Bleeding’ の意味は、「オレンジ(挑戦と自決)の文化に社員の意識を染める」の意味だろう。
本書の全体は、前半(第1部~第3部)と後半(第4部)の二つに分かれている。前半では、ホームデポの創業から現在(2021年)までの会社の歴史を描いている。ご存じのように、ホームデポは1979年の創業からわずか20年で、売上高3兆円に成長したベンチャー企業である。驚異の発展を遂げた企業の原動力は、現場に権限をゆだねる「分権的な企業文化」であるとされている。

 第1部(Building the Home Depo)は、創業から2000年までをカバーしている。伝統的なHC(高粗利で緩い競争環境)を根本から打破するホームデポの草創期の成功物語が描かれている。挑戦者のホームデポが、既存HC業界のほとんどの企業を完膚なきまで駆逐できた社会的な環境要因と戦略が解説されている。
 第2部(Foundation Cracks)では、ふたりの創業者(バーニー・マーカスとアーサー・ブランク)がホームデポを離れた後の停滞期を扱っている。GE(ゼネラル・エレクトリック社)出身のナルデリCEOの7年で、ホームデポは停滞を経験する。そして、第3部(Reconstruction)では、経営陣が刷新され再復活を果たす時代を簡潔に記述している。役員交代(2007年~)によって、ホームデポは再び快進撃の軌道に乗り今日に至っている。
 後半部分(第4部)では、著者の経営論(Blueprint for Success)が展開される。後半は11個の章から構成されている。分量的には前半と同じ厚さの200頁。いわゆる「マーチャンダイジング・ミックス」に沿って、ホームデポの革新性が解説されている。第11章(Art of Merchandising:芸術的なMDの実践)にはじまり、第21章(Company Culture:企業文化)で終わる。

 

 <本書の特徴>
 約20年前に出版された2冊の書物(創業者2人と石原氏の書籍)と比較して、つぎの点で、ホームデポの真価について解説の深化が見られる。
 それは、創業者が築いた戦略を完璧に理解する一方で、実務能力に長けていたイングリス氏は実践に強いディレクターだったからである。具体的な課題を解決する能力が高かったからこそ、他社でも通用する顧問役がこなせたのだろう。本書の特徴を述べてみよう。

 

(1) 単なる成功物語に終わらせていない
 創業者たちの出会いを取り上げた第1章(The Home Depo: The Early Day)は、『ホーム・デポ驚異の成長物語』に比べて記述が簡潔である。伝統的なHC業界が、大型の倉庫型店舗に置き換わる様を、業態のパラダイムシフトとして説明している。
根底にあるのは、①低価格と低粗利による競合の駆逐、ドラスティックな卸価格を実現するための直販チャネルの開拓だった。これを、GMROI(Gross Margin Return on Inventory Investment:商品投下資本粗利益率)を高める戦略で説明している。
粗利益率を低く設定して(25~ 27%)、在庫回転率(年10回転以上)を高めることで、GMROIを高めることができれば、収益性と成長原資が確保できる。結果として、劇的な低価格商品の実現により顧客は大いに喜ぶことになる(第 4章:Pricing, Our Offensive Weapon)。その原資を、丁寧な顧客サービスと仲間社員の報酬に投下する。回転の経済が好循環の成長をもたらす。
ただし、無理な成長路線は取らない。年率を25%以下に成長を抑えてきたのは、M&Aや高い成長が組織的・人的な容量を超えてしまうからである。それでも、日本の基準からしたら充分に高い成長率ではある。

 

(2) 直販チャネルが開拓できたプロセスが解説されている
 メーカーから商品を直に仕入れることができれば、低価格が実現できることは誰でも理解できることだ。しかし、一般的にメーカーは卸に気兼ねしてしまう。メーカーから小売への直卸はさらなる値引きを引き起こす可能性があるからだ。
 本書中で、 具体的な実践例を提供している。第4章(Buying Right)と第5章(Becoming the Channel Captain)の中で、具体例が登場する。たとえば、電球の事例では、トップメーカーのGEと欧州企業のフィリップスを競わせることで両社との直取引きが実現する。もう一つは、シアーズ(電動工具のCraftman)のOEMメーカーを取引業者として取り込んだ事例である。また、衛生陶器メーカーのコーラー(Kohler)や工具メーカーのボッシュ(Bosch)などとブランドの提携を始めるプロセスが描かれている。

 

(3) 対象市場がデュアル(2つ)であることの論理的な説明が書いてある
 HC業界の転換期において、一般のDIY顧客に低価格で丁寧なサービスを提供すると同時に、ホームデポは、プロ顧客にも対応した。日本のHC市場でプロユーザ(業務顧客)に着目するようになったのは、最近の流れである。DCMやコーナン商事などがプロ対応業態を開発しているが、ホームデポがそのモデルになっている。
 しかし、日本でのプロ対応業態の展開とはちがっていた。ホームデポは、創業当初からターゲット顧客グループをデュアルにしていた。初期の高成長は、DIYユーザと業務顧客を同時に取り込み、リピート顧客層を厚く設定できたからだと思われる。この視点は、現在の日本の HC に欠けている点である。

 

 <本書の刊行意義>
 なお、本書が20年後のいま刊行された意味は、つぎの3つではないかとわたしは考える。
① ホームデポは、問題含みのCEOの登場で一度は沈没しかけた。なぜ事業が停滞してしまったのか、なぜ復活できたのかを解説されている。
② 後半の第4部で、HC業界のことを主にしながらも、小売業のMDミックスをどのように設計すべきかをSNS時代の環境変化を見据えながら語っている。小売業の革新性や企業文化の構築という点で、広く小売業態全体に適用できる知恵を与えてくれる。
③ ジム・イングリス氏は、グローバルな経験を有する経営コンサルタントである。実務家であると同時に研修講師の役割を担うことができる人物である。つまり本書は、小売業の研修の基礎文献として役に立つ本である。そのようにわたしは考えた。

 本書の中に、「True North(羅針盤)」という言葉が何度も出てくる。2017年に翻訳した『True North:リーダーたちの羅針盤』(生産性出版)のタイトルである。2人の創業者たちは、旧態依然としたHC 業界のイノベーションの実現を羅針盤として、顧客中心主義と分権的な経営を目指した。その方向性は、いまでも変わっていない。
 ウォルマートの創業者サム・ウォルトンが、小売業界に広めた “Associates”という言葉も頻出する。従業員(employees)ではなく、仲間を社員として敬うときの呼称である。米国小売業界では、カタカナで「アソシエイツ」と表記される。この表現も、ホームデポの企業文化を体現した言葉である。日本の小売業界では、埼玉の食品スーパー「ヤオコー」のように、社員を「パートナーさん」と呼ぶ企業もある。
 本書を通して、小売経営に共通な成功要因が、3つの言葉に集約されていることを確認できる。「絶え間ないイノベーションへの挑戦」と「徹底的な顧客志向」、そして「分権的な組織づくり」である。日本の HC 業態の経営者とミドルマネジメントには必須の書籍と考える。

 

――――――――――――――――――
小川 孔輔(おがわ こうすけ)
法政大学名誉教授、(一社)日本フローラルマーケティング協会(JFMA)会長、(株)アールビーズ社外取締役、(有)オフィスわん代表取締役。1951年秋田県生まれ。1974年東京大学経済学部卒業。法政大学経営学部教授、経営大学院教授、退職に伴い名誉教授。2000年に日本フローラルマーケティング協会(JFMA)、2006年にMPSジャパンを創立。専門分野;マーケティング、流通サービス、花産業。著書に『マーケティング入門』『ブランド戦略の実際』『マクドナルド失敗の本質』『値づけの思考法』『青いりんごの物語:ロック・フィールドのサラダ革命』ほか多数。