字幕翻訳の達人、戸田奈津子さんのこと

 『日本経済新聞 夕刊』に、月曜日(12月20日)から、戸田奈津子さんの自叙伝(人間発見シリーズ)が連載されている。戸田さんは、津田塾大卒の著名な字幕翻訳家である。学生時代から洋画を見に行くと、字幕翻訳は戸田さんだった。長いセリフをわかりやすい会話文に変換してしまう。その「瞬間芸」に感嘆したものだった。

 

 英語と洋画が好きな女性たちの間で、戸田さんは憧れの人だっただろう。戸田さんの手にかかると、英語から日本語への微妙なニュアンスの転換が、手品のように実に見事にできあがってしまう。「この場面の会話を、こんな風に翻訳するんだ!」と驚かされたものである。

 日本語の字幕スーパーには、投影するスペースがほとんどない。当たり前のことだが、映像が優先である。役者の顔に文字がかぶったら意味がない。いかに小さなスペースに文字を配置して、短く的確に伝わる文にするのか。そこが勝負だろうと思っていた。

 今回は、字幕翻訳の舞台裏を知ることができる絶好のチャンスである。日経の夕刊などは、正直にいえば流し読みをしている。きちんと紙面など読まないわたしだが、「人間発見」の欄だけはときどき読むことがある。そんなわけで、戸田さんの自叙伝的なインタビューは、初日から楽しみに読んでいる。

 

 2面での連載は、昨日で4回目になる。想定していたよりも、字幕翻訳の仕事を得るまで戸田さんは苦労をなさっていた。最初は通訳やふつうの翻訳で食いつないで、字幕翻訳の仕事を得るまで、なんと20年もかかっていた。

 字幕翻訳の世界では、戸田さんは女性のパイオニアだった。いまは女性の字幕翻訳家が増えているが、もともとは男の世界の仕事だったらしい。洋画全盛の当時でも、男性10人で仕事を回していたとのこと。女性が入れる隙間はなかったようだ。

 本日の連載5回目から、戸田さんにようやく字幕翻訳の仕事が舞い込むことになるはずである。どのような話が飛び出してくるのか。それにしても、長い会話のフレーズをごく短い言葉に置き換える才能は、どのようなものなのだろうか?そのテクニックが公開されることに、個人的に興味深々である。

 

 わたしも英語を日本語に翻訳をする場合に、字幕翻訳の「洋から和への変換作業」と似たような基本思想で仕事をこなしてきた。こんな風に仕事をしてきた。まずは、①英語から日本語へほぼ文字通りの直訳をする。そのあとで、②原文は見ないで日本語として伝わるかどうかだけの基準で、翻訳された日本語を修正していく。最後に、③オリジナルとの逸脱をチェックして完結させる。

 その時の作業は次のようになる。もちろん作業は繰り返して行う。

 

(1)オリジナルの英文のつながりは、日本語では無視する。

 英語のオリジナルの構文にはこだわらない。意味がわかりやすくなるのならば、場合によっては、①2つの文を一つにまとめてしまう。あるいは、②1つの文を分割してふたつに切ることもある。③オリジナルの英文を省略してしまうこともある(他の文章に「潜り込ませる」)。

(2)英単語の意味を、忠実に訳す必要はない。

 絶対的に重要なのは、「言いたいことが読者に伝わるかどうか」である。単語が意味を持つのは、テクニカルターム(技術的な用語)に限定される。要するに、英文ではあるが、筆者の意図(アイデア)が日本語として伝わるかどうかが重要なのである。思い切って、英文辞書には載っていない単語に変換してしまうこともありである。

(3)補足のために、オリジナルの英文にない言葉を挿入してもよい

 英語は、どちらかといえば「コンテクストフリーな」言語である。背景(文脈)が理解できなくとも、表現された文章だけで、意図が伝わるように設計されている。それでも、隠された文化的なコンテキストが、言葉としては表現されていないこともある。その場合は、会話の背景や前提がわかるように言葉(文)を補う方が、読者には親切である。

 

 これまで学者生活の30年間で、10冊ほどの翻訳を手掛けてきた。共訳と監訳がほとんどだったが、弟子たちにこのガイドラインを明確に伝えてきたわけではない。ただし、最終的な責任はすべてわたしが負ってきた。元の英文のニュアンスを伝えながら、わかりやすい日本語を優先してきた。

 以上が、わたしの翻訳の基本戦略だった。戸田さんは、字幕スーパーの翻訳でそのようなガイドラインを採用しているのだろうか?どこに拘って短くて、大向こうをうならせる字幕翻訳をしていたのだろうか?

 きっと、わたしもその昔に見た洋画で、「素敵な会話」の事例が飛び出てきそうな期待感がある。本日も、そんな思いで日経の夕刊が到着するのを待っている。