12月28日にして、年賀状315枚を投函した。昨年は喪中だったので、年賀状を作成するのは2年ぶりになる。一年ぶりで部屋の模様も終えた。リビングも配置替えをした。掃除も終わって、残るは庭の掃除と窓ふきだけ。玄関側は、一週間前に花苗の植え替えを完了している。千葉の旧宅は外回りが気になるが、まあそれはいいとしよう。
今年は、コロナに始まりコロナで終わった。大学の授業は前期はほぼリモートだった。後期は、大学院の演習はリモートだったが、学部ゼミと大学院の授業は、教室に講師をお呼びして対面で授業を実施した。
半ばやけくそで、わたしはリアルにこだわった。大学院やゼミの教育にオンラインはなじまない。コロナの感染は怖かったが、信念をもって対面授業を貫いた。来年1月9日、最終回のあと一回だけ。
日本マクドナルドの下平副社長に、「マクドナルド 復活の真実」というタイトルで講義をお願いしている。最後の招待講演になる。書籍化を目論んでいることは、読者ならば理解していただけると思う。V字回復の立役者に講演をお願いすることになるのだから。
花業界は春先の世界市場の価格暴落からはじまった。わたしの提案で、「母の日」を「花の月」にすることになった。青山フラワーマーケットの井上社長と日比谷花壇の和田さんの協力をえて、オンラインで会議を重ねた。最終的に、江藤農水大臣の肝いりで、読売新聞にカラー全面広告を打うことができた。政治の力は大きい。母の月のおかげで、花業界の人たちは救われたと思っている。
母の月が終わりかけてころのことである。自著として、JFMA・小川孔輔編著『花産業の戦後史(1945年~2020年)』を6月に刊行できた。JFMAの野口弥生さんと林麻矢さんにサポートをしていただいた。
この本は、「JFMAニュース」のトップインタビューに掲載された記事を再編集したものである。将来、この本は貴重な資料として引用されることが多くあるだろう。記録を残しておくことは大切なことだ。トップインタビューは、いまでも続いている。いつかこの記録をもとに、学術的に英文資料として日本の花産業の成長をまとめておきたい。大学教員を引退してからの仕事のひとつにするつもりだ。
マラソンのほうも、散々な年だった。フルマラソンは、一回も走れずに終わった年になった。3月の予定されていた「東京マラソン2020」がコロナで中止になり、12年連続完走の記録が途切れた。
大きな大会で走ることができたのは、赤羽ハーフ(1月19日:2時間2分22秒)と丸亀ハーフ(2月2日、1時間59分24秒)のみ。今年も、東京マラソン2021が10月に延期になっている。大会が本当に開けるのか?オリンピックの開催よりは確率は高いだろうが、それでも走れるかどうかはかなり怪しいところだ。
というわけで、「全日本一歳刻みマラソンランキング」には、2020年のわたしの完走記録は残らないことになった。ハーフだけは、どうにか「丸亀マラソン」で順位がつくだろう。2021年は、まだどのレースにもエントリーしていない。というか、エントリーできる大きな大会がいまのところは存在していない。
来年のことになるが、元旦はどこにも行かない予定でいる。おそらくは、柴又帝釈天にお参りするくらいだろう。夏にやったように、二人の孫をカートに乗せて、江戸川の土手まで凧揚げをすることが決まっている。とにかく旅行で移動できないのがとてもしんどい。神戸からは、二人の孫とはLINEでお正月のあいさつになるだろう。
これから、浅草橋まで出ていく。通称GRC(群馬レーシング倶楽部)の例会だ。でも、毎日走っているのは、わたしとカインズの土屋会長だけ。石川さんは、いまマレーシアのクアラルンプールにいるらしい。元気な写真が送られてきた。なんちゃってすし屋で食事をしているらしい。忘年会は欠席になる。かの地に移住しそうな雰囲気だ。
そういえば、暮れにかけて、東大のクラスメイトが数人亡くなった。弁護士のふたりとゼミの同級生。ここ数年は毎年、数人の同期がなくなっている。学会の先輩も、少しずつ鬼籍に入る学者さんが増えている。わたしたちの時代は、コロナをもって終わるのかもしれない。
しかし、まだわたしの本の出版点数は50冊に届いていない。わが身長は、高校時代の167センチから2センチほど縮んでいる。刊行した本を横に並べて、現在の身長の高さ(165センチ)まではあと65センチ。さらに先は長い。計算してみると、これから30冊は必要なところだ。目標を完遂できるかな?