その昔に戻った? 静かでまったりした年末年始の過ごし方

 不思議なことが起こっている。コロナで外出自粛になったおかげで、年末年始が50年前に戻ったようだ。半世紀前はちょうど1970年。高度成長期真っただ中の日本。正月の三が日は、商店街もスーパーも開いてなかった。コンビニもないから、急な買い物は4日まで待つしかない。年始回りをする商売人も、どこかのんびりしていた。

 

 そうなのだ。コロナの感染で自粛ムードが広がる中で、ひとびとは本当の意味で、StayHome(在宅)のままでいる。わたしなど、クリスマスの24日と25日が終わると、急な仕事がなくなりStayHomeの状態でいる。26日は部屋の模様替えして、自宅で一日遅れのクリスマスパーティー。27日は、玄関の花苗の植え替えと自宅の室内掃除が終わった。

 28日は、忘年会で浅草橋まで出かけて、GRC(群馬レーシング倶楽部)のメンバー5人で納会。29日は、村上さん親子と金町のイタリアン(歩庵;ほあん)で会食。来年度の仕事の打ち合わせ。電動自転車で10分ほどでお店に着いた。

 年賀状は、25日には文面を完成して、26日に印刷して投函済み。26日の夜に、パーティーの後、家族総出でシール貼りを手伝ってもらった。シール貼りは、穂高も手伝ってくれた。一緒に暮らし始めて、「孫の手を借りた」のは初めてだった。

 

 というわけで、師走なのに、てんてこ舞いで急ぐこともない。静かにゆったりした年末を過ごしている。神戸も京都も、練馬や葛飾の親戚も正月は我が家に来ないことになっている。人の往来がないこんな正月は、もしかすると生まれて初めてかもしれない。コロナがもたらした正の側面である。

 我が家の正月の行事は、①柴又帝釈天へのお参りと、②孫たちをカートに乗せて江戸川の土手も凧揚げをしに行くこと。それ以外はなにも予定がない。驚くほど静かな正月になるはずだ。その昔に戻ったどころか、リモートでの年賀挨拶になるはずだ。

 2日と3日に、箱根駅伝の中継を見て過ごすことになるのだろう。これで、法政が予選落ちでもしていたら、やることがなくて困ったはずだ。幸いのも、予選会をぎりぎりの8位で通過してくれた。駅伝の応援で沿道は密になるだろうか?わたしは、世間の予想と反して、そうはならないと予想している。

 

 本日は、これから金町の整骨院で治療を受けたかみさんをピックアップして、亀有のアリオで買い物の予定。世の中のショッピング状況を観察するためだ。ついでに、カルディでコーヒー豆、ユニクロで部屋着を買うつもりでいる。柳井さんは絶好調のようだ。

 そういえば、今日の午後は、1月6日の社会情報大学院の講義資料の準備に充てる。ラッシュの仕事でないから、ストレスフルでもない。心穏やかな準備作業になる。