ふたりの願いは天に届かず: “能代工業”の新校名再考署名運動の顛末

 自宅の郵便受けに、「レターパックライト370」(日本郵政)が投函されているのを見つけました。先週の水曜日(7月22日)のことです。差出人は、秋田県北秋田市元町、畠山純子さんと工藤順子さんの連名です。女性2人からで、備考欄の品名は「お菓子」?。それにしても、A4サイズのレターパックは、中身がお菓子にしてはごく薄めです。

  
 封を切ると、中にはクリアファイルに入った書類のセット。そして、2点の小さなお菓子が飛び出してきました。お菓子のほうは、世界遺産に登録されている白神山の自然をモチーフにした地元の羊羹とお茶でした。このサイズの羊羹には見覚えがあります。子供のころ、秋田県能代市でよく食べていた「東雲羊羹」です。甘くて平べったいのが特徴です。
 ところで、怪訝な気持ちで書類の方を確認しました。「小川孔輔 先生」の表書きがある手書きの封書が一通。それから、「署名のお願い 能代工業高校、能代西高校の統合による新校名再考について(令和2年5月吉日)」、「<能代工業高校>の足跡を後世に 署名活動と陳情を終えて(令和2年7月13日)」が封入されています。7月13日の日付が入った書類には、毎月コラムを連載している『北羽新報』の7月15日の複写(コピー)が添えられていました。
 そこまで来て状況が理解できました。送り主の畠山さんと工藤さんは、能代工業の卒業生で署名運動をしていた中心人物です。『北羽新報』の八代編集長からは、「残念ながら、校名変更の願いは届かず。わたしたち(能代市民と新聞社)の責任も大きかったです」というメールをいただいていました。
    
 畠山さんと工藤さんのおふたりは、友人の加藤祐悦君(能代二中、能代高校の同期)に、わたしの東京都葛飾区の住所を聞いたようです。署名運動後の県議会への陳情の際に、『北羽新報』の紙面で「ブランドとしての“能代工業”の校名存続」を訴えたわたしの文章と名前を引用してくださったらしいのです。その陳情の文章が添えられていました。
 すでに終わってしまった件ですが、お二人からは丁寧なお礼の手紙をいただいたわけです。ここに全文を引用したいと思います。解説は不要だと思います。「能代工業」の校名が、「能代科学技術高校」という何の変哲もない名前に変わってしまいます。卒業生と能代市民の無念の思いを代表した文章でした。
   
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 小川孔輔 様    (N0.1)
  
 突然のお手紙にて失礼致します。
私達は能代工業の署名活動をしていた北秋田市の畠山純子と大館市の工藤順子と申します。住所は能代市明治町の加藤祐悦さんに教えて貰いました。
 この度、秋田県議会に陳情書を提出するにあたり添付書類に小川先生の“ブランド論”を勝手に紹介させて戴きました事を先ずはお詫び申し上げます。
 先生の“東京下町(柴又発)能代着”には、郷里を思う温かいお人柄や地方が今、どの舵取りをすべきか優しい言葉で問題提起して下さっておられる様に感じており、能代工業の名称についてもとても有難く読ませてもらいました。
  
           (NO.2)
 私たちは、新校名案が発表された時、驚き失望していた所に第2弾、新任したばかりの荒川正明校長のバスケの神様・小野秀二さんを粗末に扱う信じられない暴挙。これで爆発。署名を決意しました。母校OBの大先輩である佐藤吉次郎さんに相談し、声がけを戴き、北秋田地区の合川・上小阿仁を中心にまるで選挙のような草の根の運動から始まりました。
 途中から街頭署名(能代市内)を始めると、無風状態を見かねていた能代高校のO.B達が応援してくれる様になりました。
 私達オバさん二人は、入学以来45年分の<能代工業愛>で突進しましたが、見事に撃沈。
 県教委は、“時間が無い、理解戴きたい”と自分達の立てたスケジュールの主張をするばかりで、
    
           (NO.3)
 聞く耳持たず、門前払いでした。
 秋田も能代も何だか空気がおかしくなっています。悔しいけれど、オバさん二人の謀反は微力の悪あがきだったのかもしれません。 本当に残念です。
 本拠地の同窓会が動かなかった事、OB県議、能代市、市議会、、、も  私達にはどうしても理解できませんが、能代工業へ熱い思いを届けてくださった方々に出会えた事が何よりの宝です。
 本当に応援戴き有難うございました。
 心より感謝申し上げます。
 暑さに加え、コロナ蔓延のこのご時世
 くれぐれも御身ご自愛下さい。
  2020.7.20
                         畠山純子 
これからも先生の寄稿文を楽しみにしております。  工藤順子
  
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 「「能代工業高校」の足跡を後世に 署名活動と陳情を終えて」『北羽新報』(7月15日)には、「私の意見」(畠山純子、工藤順子)という意見文が掲載されていました(手紙にも添付)。わたしも、地元愛から新聞に短いコラムを書かせていただきました。近くに住んでいれば、難しい状況を反転できる知恵(法律や社会運動の推進方法など)をお貸しすることができたかもしれません。「直に相談していただければ」とちょっと残念です。
 いまでも、能代工業の校名を合併で変えてしまう愚策は明らかなわけです。しかも聞けば、応募してくれたわずか2人の意見で、どこにでもありそうな高校名になってしまうわけです。能代西高校はもともとは能代農業でした。論理的にも、「能代工業」の校名を残すこともできたわけです。
 実は、法政大学の付属高校に「法政女子高」がありました。神奈川では名門の女子高でした。しかし、女子高の時代的な不人気に対応して、当時の大学理事会は法政女子高を共学にしてしまいました。校名も、どこにでもありそうな「法政国際高校」に変更になりました。
 「法女」の卒業生は、自分たちのアイデンティティを失うことになりました。共学になった法政国際が人気になっているとは聞きません。能代工業も、校名を変えることで、多くの卒業生にとって「帰る場所が失われること」になります。しょうもないことですが、しかも「有名な価値ある名前」を失ってしまうのです。残念至極です。