川崎景介校長のアフタヌーンセミナーでの講演「花束の文化史」が、新型コロナウィルスの感染拡大で延期になっていた。当初の予定から4か月ほど遅れて、7月14日に無事にセミナーが開講できた。オンラインセミナー形式での実施となったが、今度がJFMAで2度目のセミナーだった。
はじめてお会いしたのは10数年前だと記憶している。JR大森駅近くにある「マミフラワーデザインスクール」の本部(マミ会館)まで、講演のお願いに伺ったことがある。景介さんは、当時からすでに「考花学」というコンセプトで花文化の歴史的な考察をはじめられていた。
2007年に、『花が時をつなぐ―フローラルアートの文化誌―』が講談社から刊行されている。その続編の『花と人のダンス-読むと幸せになる花文化50話-』が、2016年に講談社エディトリアルから出版された。スクールのホームページによると、同書は、「花文化研究者の川崎景介校長が、花と人物とのかかわり、世界と日本の花文化など、植物にまつわるエピソードをまとめた新刊書」となっている。
講演は、「花束の起源とその文化史的な発展」に関する考察だった。欧米文化の中で、花(束)は香りを発散させる役割を果たしていたことだった。
ハーブの花束などが見られたのも、日常生活の中で水をふんだんに使うことができない西欧の事情がそうさせたのだろうというのが、景介校長の推論である。その通りだろう。ヨーロッパで香水が発達したことと関連がありそうだ。水が豊富な日本とは大きなちがいである。
講義の冒頭で興味深かったのは、「花束は人間にしか作れない」という話だった。たとえば、麦や花を束ねるという動作は、両手を自由に操れる人間の特性である。日本でも収穫後の稲を束ねて天日で干すという習慣がある。収穫物を束ねる点では、麦作文化と稲作文化で共通している。
ところで、講演後に、わたしから景介さんに質問をさせていただいた。簡単な質問で、「日本の花束文化の発展について考察した書籍や文献などはありますか」だった。お答えを聞くと、どうやら存在していないらしい。念頭にあったのは、景介さんがそうした本を書かれたらどうかという提案だった。
日本の花文化の中で、ハーブの花束から派生したコサージュのようなものは存在していない。講義にあったように、欧州では産業革命後に中産階級が増えて、ホームパーティーに花束を持参する文化が生まれた。ここからはわたしの妄想である。そうだとしたら、日本の花束文化は、これから始まるのではないのか?欧州発祥の花束は日本人には大きすぎる。
2000年代の初頭、青山フラワーマーケットの井上英明社長が「ミニブーケ」を考案した。サイズがわが国の住宅事情にフィットしていたから、ミニブーケは青フラのヒット商品になった。ここから先に、花の家庭需要が増えるだろう。そのとき、ミニブーケの派生形で小ぶりな花束が登場する予感がする。売られる場所も、従来のような専門の花店やスーパーやホームセンターの花売り場とも限らない。
JFMAの会員さんが共同で、ミニサイズの花束を考案・製作して、「パン屋さんの店頭で花を販売するプロジェクト」に取り組んでいて、わたし自身もそのプロジェクトに関与している。ユニクロや無印良品やブックオフも花販売に挑戦している。日本の花束文化の歴史がいま始まろうとしているのかもしれない。