【学生感想文】森岡 毅(著) 『苦しかったときの話をしようか 』ダイヤモンド社、山根 京子(著)『わさびの日本史』文一総合出版

 読書感想文優秀者3名を掲載する。
(大澤奈都稀、林修平、柴田果林)

 

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「苦しかったときの話をしようか」   大澤奈都稀

 本書では、「就職活動」を控える、著者の娘の話から物語が始まった。私は一年程前から本格的に就職活動を始めた頃の自分を思い出した。そこで、自分自身の就職活動について、ここでは本書の内容を含めて、体験談を書いていこうと思う。

 私は、著者の娘と同様に、大学を出て何をしたいか、やりたいことなど一切なかった。しかし、大学三年生になり、周りの友達と就職活動の話をするようになってから、「就職活動」について、自身の将来について深く考えるようになった。
 私は幼少期からお花屋さんをやりたい、ケーキ屋さんをしたいといった子供ながらの夢もなかった。何事にも興味関心がなかったと思われがちだが、そうではない。多くのことに興味関心を持つことから、一つのことに対して深く関わることが出来なかった為である。
就職活動を始めるにあたって、何をしたら良いか分からないまま、とりあえず早めに始めようと思い、三年生の夏からインターンシップに参加をし始めた。インターンシップに参加した企業選択においては、自分自身聞いたことのある会社から沢山応募をして、通った企業へ次々に足を運んだ。
 本書では、「オプションが多すぎることは人間にとっては厄介なストレスだ。」と、書かれていた。しかし私はそうは思わなかった。私の性格上、色んなことに興味を持ち、様々な企業を見ていくことは、今後の就職活動においてプラスになったからだ。

多くの企業を早い段階から、見ていたことで、冬に入る前にはもう既に、自分のやってみたいと思うことが決まっていた。私は、自身の軸として、①自分自身が学んで成長できる、②大きな仕事(具体的には規模や扱うものの大きさ)が出来るという二点に定まった。本書における、「軸がないとやりたいことは見つからない」という言葉はまさにその通りだ。この軸を基に、最終的には金融系への就職活動に絞ることができ、本選考へと臨んだ。

 本書ではこの軸の話から、「宝物」についての話に移っていく。私は、就職活動の中で一番に苦戦したのが、ここで話されている「宝物」について、自身の特徴、強みとは一体何なのかである。就職活動の経験のある先輩からも、この強みについての自己分析は一番大切だと何度も話を聞いていた。実際、普段生活をしている上で自分の強みを誰かに話すことはなく、少し恥ずかしさも感じていた。
私は、友人たちにSNSを通じて他己分析をしたり、自分で過去の出来事を振り返って、自己分析を行った。その中から、出てきた強みは、前述の幅広く興味関心を持てることや、アルバイトやゼミの活動の経験から様々な世代の人と関わりを持ち、分け隔てなくコミュニケーションをとれることの二点であると知ることが出来た。

 私は、軸と強みを自分の中で大切にしながら、私が働きたいと思える企業を探して就職活動を行い、面接の場では、噓偽りないありのままの自分を出して会話をすることを重要視した。企業も学生が何を伝えたく、どんな人柄なのかをとても良く見ているので、本書の通り、自己分析を怠ることや別人格を演じることは、自分のやりたいことから離れた企業と出会うことになり、将来を不正解に導いてしまうと感じていたからだ。
 三年生の夏から始めた就職活動は、新型コロナウイルスの影響がありながらも、四月後半に自分の納得のいく会社へと決め、終えることができた。

 本書を読んで、就職活動の辛さや難しさを思い出した。私たち四年生の代の就活生は、新型コロナウイルスの影響で、面接や説明会がオンラインへと変更になり、異例の就職活動で、企業側も対応に追われていたと思う。しかし、その中でも私は、家の時間で自分と向き合う時間が増え、就職活動に充てる時間を増やすことで有効的な時間を過ごすことが出来た。
本書における、著者の考え方はもちろんだが、私は、自分なりの考えで自分の納得のいく就職活動をしていくことが、大切だと思う。周りに流されず、自分自身の気持ちを大切にして、就職活動をしてほしいと、後輩にも伝えたいと感じた。

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「わさびの日本史」を読んで   林修平

 日常生活の中で、私たちは嫌でも多くのものに触れている。例えば、今私がこの感想文を書いている机の上にあるペンやのり、ハサミなど。普段これらの文房具に対して生い立ちや歴史を知ろうとすることはなかった。
 それは食品についても同様である。美味しくいただいている魚や肉、それらに振る塩や胡椒など。どれだけ使っていても、歴史を知ろうとすることは今まで一度もなかった。そんな中、わさびがどのようにして日本で普及していったのか、生い立ちや歴史について知ることとなった。
 私はスティーブ・ジョブズの点と線の話に深く共感しており、今回学んだわさびに関してもいますぐに役立つとは思っていないが、いずれ役に立つ時が来ると信じている。私はこの本を読んで、わさびについてはもちろん、それ以外のことでも学んだことがあったのでこれを書いていきたい。

 まず、わさびについて2つ印象的に感じた。
 一つは、今当たり前に使われているこのワサビは、人が存在するよりも前から存在していたにもかかわらず、普及するまでにかなりの時間がかかっているという点である。現在では当たり前に刺身のお供として使われているが、実際に普及し出したのは江戸の後期ごろからであると書かれていた。今ある食べ物が食べられているのには家康がわさびと出会えたような「奇跡的な出会い」あってこそだと知った。もし、初めてわさびを食べた人がこの食べ方を友人や知り合いに紹介していなかったら、僕たちの時代にもいまだなかったかもしれないと思うと驚きだ。

 もう一つは、わさびが好きだという人と好きではない人との統計についてである。この章では韓国と比較して唐辛子やわさびの辛いものが好きかと言う問いに対する統計が載せられていた。
 これをみると、韓国は唐辛子もわさびも好きといった回答が多いのに比べて、日本ではわさびに関してのみ好きといった度合いが少し小さくなってしまっている。これは、辛いものが食べられるのにもかかわらず、わさびがそこまで好きではないことを表していた。僕の友人にもやはり、同じように唐辛子系統の辛い食べ物は好きだが、ワサビは好きではないと言う者もいる。
 この本の調べによると、わさびが好きになるためには子供の頃に「魚と一緒にわさびを食べた美味しい経験」が必要であるとされている。今回の話を知り、将来的にもし子供ができたら、美味しい刺身と一緒にワサビを合わせて食べさせてあげたい。

 最初にも述べたように、私はこの本を通じてわさびについてだけでなく別の大切なことも学んだと考えている。それは、今あるものが初めからその形や用途であったとは限らず何者にも歴史が存在するということだ。今当たり前に食べられているものは昔から当たり前だったわけではない。最初は少数の人たちだけで考案された食べ方が徐々に浸透していくことで文化となる。そう言った歴史の過程を踏んで当たり前になっていくことをとても学んだ。
 当たり前が、「いつから当たり前になったのか」について考えてみることは少し面白いなと感じた。これから私は就職して会社の社員の一員として働いていくことになる。その中で、当たり前に囚われず、前例も疑って自分の納得いく人生を歩みたい。

 最後に、この本を読んで私はもっといろいろなものの歴史を知りたいと感じた。特に自分が興味のあるものについてである。例えば、ウイスキーである。私はビールやワインも飲むが、特にウイスキーが一番好きである。多くの種類があり、飲み方も複数。合わせてレモンを加えてみるなど様々な楽しみ方ができる点である。
 これから大人になるにつれて、祝事やイベントごとに違ったウイスキーを用意してみるなど、そういった楽しみ方をしたいと考えている。その中で、歴史を知ることでもっと楽しみの幅が広がると感じた。ウイスキーに限らず、これからの人生様々なものや人、事象に出会う上で、多くのものに興味を持っていきたい。これらの知識はなくて困る者ではないが、これから先きっとどこかで何かの役に立つと感じた。

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『わさびの日本史』を読んで   柴田果林

 正直わさびのことは好きでも嫌いでもない。お寿司に付いていたらそのまま食べるが、かといって特段好んで選ぶものでもない。私の中ではパセリや大葉といった彩りの部類か、粉チーズやタバスコのような味変のための調味料と同じくらいの扱いである。興味が向いていない植物であるワサビについては全くと言っていいほどの無知であり、本書では初めて知ることばかりであった。

 一番驚いたことは、わさびが日本古来の植物だと言えるということだ。私の中で辛かったり癖の強い食べ物は外国から来ているという勝手な先入観があったためだ。
 そもそも、私たちはわさびを辛い!と感じる。しかしその辛味とは、味ではない。味覚の5大要素と謳われる、甘味、酸味、塩味、苦味、うま味は、味の受容器である舌にて感じ取られているが、わさびの特徴である「辛い」という感覚は、アリルイソチオシアネートという物質が冷刺激受容体T R P M1を刺激することでツンとした感覚に陥るからである。受容する冷刺激受容体T R P M1にて得られる刺激は、粘膜で特に感じられる感覚ではあるものの、受容体自体はヒトの全身に存在しており、舌に限ったものではないのだという。

 辛味が味覚に入っていない理由はここにあり、「味蕾で感じるもの」ではなく、「痛覚」や「刺激」であると言えるのだ。この事実についてはなんとなく知ってはいたが具体的に調べるとなるほどと感じた。しかし私の中でこういった刺激物とも捉えられる食べ物は、韓国料理や中東の料理のイメージであり、日本の食べ物だと言えるということを本書を読んで初めて知った。寿司が日本の食べ物であることは知っていたが、その寿司と切っても切り離せない関係がある寿司も日本の食べ物であったのだ。

 このことよりさらに驚かされたのが日本人の嗜好性に影響を与えているということだ。本書に掲載されているグラフを見て、日本人のD N Aの中にもわさび好きが組み込まれているのではないかと感じるほど一致していたことにとても驚いた。高校生への調査でわさび離れが進んでいるとあった。近年、韓国料理ブームは止まるところを知らず、サムギョプサルから始まり、少し前にチーズダッカルビが流行ったかと思えばチーズハットク、ヤンニョムチキン、自宅に手軽に楽しめる乾麺まで日常に幅広く浸透している。

 私自身、友達と新大久保に遊びに行き、韓国の料理を食べることが多くある。コロナの影響で行くことは叶わなかったが、友人と今年は韓国で食の旅をしようと企てていたほどに韓国の料理が好きである。
 一方で、わさびはそこまで熱狂的に好きであるとは思わない。最初にも述べたがあれば食べるといったスタンスである。友人の中には「サビ抜き」しか食べないといった子もいる。

 わさび離れを食い止めるにはどのようにしたら良いのだろうか。若者に定着させるにはやはり「映え」を意識した取り組みが良いのだろうが、エゴにはなるが、わさびには日本古来の良さを伝えていってほしいと私自身は思ってしまう。わさび畑を訪れた際にわさびソフトクリームなどのわさびの良さを生かした製品をたくさん購入し食べた。わさびのピリッとした感覚がクセになるし、これはわさびによってしか得られない感覚であると感じた。私はこの優位性を生かし、少しずつスパイスとしてわさびを組み込んでいくことでわさび離れを食い止めることができるのではないかと考えた。

 本書を読み、人生で初めてこんなにもわさびについて考えた。わさびについて知ったことでこれからはわさびを意識して過ごしてしまうだろう。本書を読むことも若者のワサビ離れを抑制する効果があるのかもしれないと身をもって感じた。