コロナ禍が飲食店の存続を危うくしている。ミシュラン星つきの「うなぎの尾花」も、その例外ではなかった。昨日、エースワンの岩崎社長と森田さんと3人で、午後16時に店の前で待ち合わせた。尾花で最後にうなぎを食べてから、20年ほど経過している。昨日は集合時間を早めてみた。
わたしは16時10分前に玄関前に到着。まだ門は閉まっていて、7人が並んでいた。待ち行列は想定よりも短かった。商売がむかしと変わっていないならば、20人から30人は並んでいるだろうと予想していたからだ。
岩崎さんと森田さんは、16時を少し回っても、お隣の回向院の前の小道には現れなかった。日比谷線に乗っているときに、「16時には到着します!」とふたりからLINEに連絡が入っていた。もうすぐ来るだろう。案内のお姉さんからは、「三人お揃いになってから、ご案内になりますが、よろしいでしょうか?」と督促されていた。
前に並んでいた3組の7人は、履物を下駄箱に乗せて、先に大広間に案内されていた。わたしは一人だけ残されて、玄関わきの縁台に腰かけ、二人の到着を待つことになった。開門後にやってきた客が、わたしを追い越して先に店に入っていく。一巡目のクール(順番)に間に合わないかと心配した。
焦っても仕方がない。この店は客の回転が速い。ほぼ1時間ほどで客は総入れ替えになるから。と思っているうちに、5分ほど遅れてふたりが玄関前に姿を見せた。やれやれ、一巡目のお客さんにはなれたようだ。
その昔、台東区浅草の千束に住んでいた同僚の遠田雄二教授(元法政大学教授、2018年逝去)から、「小川君、南千住においしいうなぎの店があるから、食べに行こうか!」と誘われた。遠田先生と奥さんの春代さんと、南千住の駅から歩いて、はじめて尾花の暖簾をくぐったのは、米国留学(1982年~1984年)から戻った直後だった。35年ほど前のことになる。
上品な味付けと柔らかな鰻が気に入って、ほぼ隔年のペースでうな重を食することになった。美味しいうざくがこの世に存在することや、泥臭くない上品な鯉の洗いが食べられることを知ったのは、尾花を紹介してくれた遠田先生のおかげだった。昼も営業しているのだが、明るいうちに鰻を食べる気持ちは起こらない。わたしは夜の部が専門だった。
開店は、夕方の16時。しかし、そんなに早くに店に到着できたためしはなかった。いつも18時ごろにふらりと出かけて、30分から1時間は待たされた。その時間に到着すると、常時20~30人ほどが暖簾脇の縁台に腰かけていた。ときには、30人を超える長い待ちの行列が、門の外まで続いていることもあった。
そのタイミングであれば、暖簾をくぐって大広間に案内がされるのが19時すぎ。広間の座椅子に陣取って、台所から温かいうな重が運ばれてくるのは、そこから30分から40分先になる。そのころまでには、キリンラガーの中ビンが二本と、ぬる燗の日本酒を二合ほどを空けてしまい、かなり酔いが回ってしまった。
贔屓の店ではあったが、20年ほど前からぱったり足が遠のいてしまった。2001年にブログを書き始めているが、本ブログには20年間、一度も尾花の訪問記録が登場していない。足が止まってしまった理由は、最後に訪店した際、かみさんが食べた鰻重のうなぎに小骨が残っていて、それがのどに刺さって彼女が往生したからだった。
先日、懐かしく思い、ひさしぶりでネットで調べてみた。なんと!尾花は「ミシュラン★つき」の店になっていた。食べログの評価は4.0で、とても高いスコアだった。検索した情報から知ったのは、それでも尾花の経営者は、頑として「予約を取らない主義」をつら抜いていることだった。つまり、並ばないとおいしい鰻と鯉の洗いが食べられないということだった。
鰻が大好きな岩崎さんとは、年に1回か2回、定例でうなぎを食する会を持っている。先日も、柴又帝釈天の参道の老舗鰻店「川千家(かわちや)」で、うなぎを食べる会を催した。次回をどうしようかと、森田さんとLINEでやりとりをしているときに思い出したのが、「西の野田岩、東の尾花」というネットで見たフレーズだった。
というわけで、野田岩はすでに一緒している岩崎さんに、「次回は尾花の鰻を食べに行きませんか?」とメールを投げてみた。当然、「喜んで参加します」との返事が戻ってきた。「ガールズバーのオープンのことを知りたいので、森田さんもご一緒に!」とメールにつけ加えてみた。岩崎さんが、神田でガールズバーをやる話を森田さんから聞いていたからだった。店長(ママ)には、森田さんを考えているらしかった。
今回、わたしは夏休み期間中で、時間がふんだんにある。だから逆に、長い時間、店の前に並ぶのを避けたかった。京成高砂駅から尾花のある最寄り駅の南千住駅(常磐線、日比谷線、千代田線)まで、電車を二回乗り換えるが、片道はわずか30分。岩崎さんと森田さんは、神田の事務所から同じくらいの距離のはずだった。
いままでやったことのないことだが、開店の16時前に尾花に並ぶことを岩崎さんに提案してみた。森田さんの仕事の上りを1時間ほど早めてもらえば、尾花の前に16時に集合することができる。そう決めたのは、数日前のことである。
冒頭、16時の開店時刻に、わたしが到着した時点で門前に7人が並んでいたと述べた。完全に予想を裏切られたわけだが、そのあとも想定とは大いに違っていた。暖簾をくぐって靴を脱いで、わたしたちは5分ほど遅れて大広間に案内された。広間を見回すと、長椅子が疎に配置されている。
広間の机といすの間がえらく広く空いている。そして、以前は座椅子に腰かける「和室スタイル」が、テーブルがけの「洋間スタイル」に替わっていた。ただし、改装後の部屋は昔通りに畳の広間だった。三密を避けるためなのだろう。席数はかつての半分以下になっている。全体が、なんとなくがらんとしているのだ。
入店の時点で老人たちが2組、若いカップルが4組、一階のテーブル席に座っていた。奥のコーナーにはさらに2組が座っているらしいかった。推定で8組、全部で20人ほど。一組が2~3人なのは、コロナ禍の飲食店ではよく見る風景である。
玄関の方をみると、新しく並び始める客がほとんどいない。店内の密を避けるためだけでなく、そもそも来店する客そのものが少ないように見えた。岩崎さんは、コロナの渦中に、神田近辺の行きつけの飲食店を応援するため、毎晩のごとく飲みまわっている。
「神田近辺の店なんか、どこも大変なんですよ。この先、どんどんつぶれてしまいますよ」(岩崎さん)。とりわけ、お金をもっている老人が街から消えてしまったらしい。その話は、虎ノ門の日本酒バー「いな吉」の玉虫みどりママからも聞いたことがある。
いな吉も、三密を避けるため、一組三人までしか客を取らない。わたしも協力して、予約で連れていく同伴客は最大3人までにしている。商売としてつらいのは、「常連さんでもっとも層が厚い、大企業の役員さんクラスが、接待などで外食することを避けてしまっているからなんです」(玉虫さん)。
結局、老人にコロナの重症患者が多いことから、役員たちが夜の会食を控えるようにしている。そのことが、歴史の長い老舗の料亭やレストランの経営を危うくしているのである。どうみても、若いビジネスマンは、新橋や新宿あたりに繰り出していることに大きな変化はないように見える。
昨日夕方の尾花に話を戻す。16時きっかりに、うな重(小)と肝吸いのお吸い物を3組。そして、つまみにうざくと鯉の洗いを1皿ずつ注文した。いつものように、キリンラガーの中ビンを2本、頼んだ。のどが渇いていたせいか、すぐに品出しされてきたうざくと洗いを肴に、キリンラガーは二本とも瞬く間に空いてしまった。
森田さんとわたしは、冷えたラガーの追加を1本。岩崎さんは、常温の日本酒をコップ酒でオーダーした。うざくも鯉の洗いも、20年前と味は変わらない。さすがミシュラン星に昇格した尾花。どちらもおいしい。うざくは盛り付けも美しく、鯉の洗いはまったく泥臭さを感じさせない。「立派なところで、ていねいに養殖してある鯉なんでしょうね」(岩崎さん)。
三人の会話は、これから飲食店を経営する話で盛り上がった。いまのところは、神田にある13坪の店を想定していること。賃料が高いので、最終的に場所が確定するまでには時間がかかりそうなこと。店の運営に、サブスクリプション方式(定額制:月額1.5万円)を取り入れたいこと。
そんなことを話していたら、うな重と肝吸いがテーブル席に運ばれてきた。30分少々で、目の前にうな重が品出しがされたのに、わたしはすこし驚いた。20年前は、もっと時間がかかっていたような記憶がある。早速、お重のふたをとってみた。
お重からは、温かい湯気が上がって、甘い醤油だれの香りが漂ってくる。テーブルの上に置いてある山椒を取り出して、鰻重にふりかけてみた。ご飯に箸を突き刺してみた。うなぎは柔らかでおいしそうだ。
うな重を一口だけ食して顔を上げると、目の前のふたつの席が空っぽになっている。直前まで座っていたのは、老人がふたりずつだったはずだ。飲みながら食べているわれわれとはちがって、わずか45分ほどで席を立っていた。わりに客が少ないせいだろう。キッチンの作業が早めに進行しているようだ。
ほどなくして、わたしたちもうな重を食べ終えた。今日は、わたしが会計を持つことになっている。いつも岩崎社長さんにごちそうになっているからだ。実は、尾花が現金払いオンリーであることを、岩崎さんに事前にはお伝えしていなかったからでもある。レシートを見ると、お勘定はひとり8千円見当だった。結構なお値段にはなっていた。
隣に座っている三組のカップルは、まだうなぎを食べ終えていない。しかし、空席になった前の席はまだ埋まっていない。店の前で、客が並んでいないということだ。20年前には考えられないことだ。長い行列と客の早めの回転。それで、この店は回っていたはずだった。
うなぎの味は変わらず美味しかったのだが、わたしたちが席を立つ直前にちょっと残念なことがあった。隣に座っていた若いカップルから、「暑いので、クーラーをつけていただけませんか?」とクレームが出たことだった。たしかに、湿度が高いところにもってきて、部屋の温度は上がっていた。わたしたちも、少し汗をかいていた。
お店の誰かが気を利かせて、クーラーのスイッチを入れるべきだった。細かなことだが、店のサービスレベルは、商品だけが問題ではない。食事の環境を整えたり、接客に気を配ることも必要なのだ。少しのゆるみが商売をダメにする。コロナ禍で商売のほうがうまくいかなくなると、老舗といえども士気が下がって最高の品質が保てなくなる。
たくさんの老舗が倒れていくのは、単に常連客が減っていることだけが原因ではないのかもしれない。サービスや気配りができなくなることが、もしかすると本当の課題なのではないのだろうか? コロナとの闘いは、この先も長く続きそうだ。そんな思いを胸に、尾花の暖簾をくぐって南千住駅に向かった。