【柴又日誌】#153:4年ぶりの桂文珍さん独演会@なかのZERO、午後15時半開演

 4年間、途絶えてしまっていた桂文珍さんの独演会に、本日行くことになった。コロナ前は、国立劇場で毎年、文珍さんの落語を聞いていた。そろそろ再開するだろうと思っていたが、いつもの開催場所、国立劇場が2023年で建て替えになった。完成は数年先のはずである。調べてみたら2029年だった。

 

 かみさんが文珍さんの東京公演のチケットを探していたら、本日(12月10日)の独演会が見つかった。即座に席を確保した。チケットの料金は、おひとり様4500円。会場は、総武線の中野駅の「なかのZERO」。もしかすると、その昔に音楽ライブの殿堂「中野サンプラザ」があった場所ではないだろうか?

 午後15時半開演である。最初は、ふたりで着物で出かけようか話していたが、先月、かみさんが着物で出かけてえらく疲れて帰ってきた。というわけで、本日は、洋装で出かけることにした。帰りがけに、中野駅近辺の居酒屋にでも寄ろうと考えている。着物ではなく、普段着にしたのも、そんな現実的な事情があってのことだった。

 自宅がある京成線高砂駅からだと、日本橋で乗り換えになる。そこからは、地下鉄東西線で中野駅まで直通になる。電車に乗っている時間は、片道で1時間弱だろう。

 

 文珍さんの落語のおもしろさは、ちょっと他の噺家さんとはちがっている。時事ネタが多いのは、他の演者でもよくあることなのだが、その取り上げ方が独特なのだ。くすぐりの間の取り方も、一瞬の緊張のあと、会場の反応を少し遅らせて待つ傾向がある。文珍さんのように、ネタの演じ方に自信がないと、少し遅めの間の取り方はできるものではない。

 国立劇場のときもそうだったが、本日の演目は、会場に行ってみないとわからない。以前は、後ろの大きな幕に、演じてほしいネタを大書しておいて、客席から希望者に挙手をしてもらい、その日の演目を決めていた。とはいっても、実際には、文珍さん自身がその日に事前に決めていた噺を選ぶのはいつものことだった。

 さて、本日の出し物は何になるのだろう。それと、いつもゲストにどなたかを呼んでいた。今日は、誰が相方になるのだろうか?どんな素晴らしい噺家さんでも、独演会には必ずどなたかをお呼びしているものだ。あるいは、競演という開催の仕方もあった。

 

 4年ぶりでホールでの落語を聞くことになる。浅草演芸ホールなど、この間、それでも寄席には時々足を運んできた。

 わたしは、学生時代に「落語研究会」に所属していた。噺は上手ではなかったが、落語の間合いや噺の構成の仕方は、大学教員になったときに非常に役に立った。授業や講演の時の間を取り方や、本題の話を始める前に選ぶ小ネタ(枕の題材)が、のちの講演やセミナー、授業の進行に影響することは落語研究会で覚えたことだ。

 インタビューやセミナーの司会も、得意技にしている。自分なりに工夫をしている原点は、落語の話し方の応用である。話をする前に入念に下調べをすることや、司会進行についてはパネラーの特性をうまく組み合わせるとかを工夫するようになった。ある種の法則を実地で学んだことになる。 

 

 落語をやって、ずいぶんと得をしたように思う。ビジネス書や研究書でも、小説やエッセイを書く時でも、お作法は落語と同じ発想に倣っている。まちがいなく、若いときに落語の洗礼を受けたことが、いまのわたしの話し方や文章構想力に影響を与えている。いまでも、若いころに一流の落語家の話し方を知ったことが、いまのわたしの貴重な資産になっている。

 物書きになろうと思ったら、大学の教員になりたければ、若いころに落語を必修科目とすべきだろう。わたしの経験から、間違いないと将来の成功を保証する。

 さて、しかし、文珍さんは今日は何を話すのだろうか?