2002年の本ブログで紹介したように、新幹線の運転士になりたかった次男は、JR東海本社@品川の人事部に直接交渉。粘り腰の交渉力の甲斐あって、千葉の出身高校に受験枠をもぎ取ってきた。小論文と面接の出来がイマイチだったのだが、めでたく入社できた次男は、今月いっぱいで運転士としての任務を終えることになる。
2年ほど子会社に出向していたが、今回は本体に戻ってきてすぐの職場異動になる。そのまま運転士を続ける同僚もいるようだが、どうやらこの先も運転現場への復帰はないらしい。わたしは、新幹線のシステム全体をコントロールする「中央指令室」のような場所に彼は異動を希望しているのかと思っていた。
それが本社勤務になった。息子は一応は出世コースに乗っているということなのだろう。ふつうの親ならば、それを喜んでいいのだろう。しかし、アミューズメント施設の「電車でGO!」で、停止線から数ミリも違えず、ぴたりと電車を停めていた中学生が、30代の若さで現役を引退するのは惜しい気がする。
ゲーセンで周囲の観衆から万雷の拍手を浴びていた天才運転士が、二度と本物の操縦席に座ることがないことがなんとも残念ではある。寅さん流に「それを言っちゃおしまいだよ」なのだが、引退の日は明後日になる。やはりちょっと寂しい。
運転士としての最終乗務は、12月20日の日曜日。東京駅10時42分着の「ひかり640号」に決まった。そう文字で書いただけでも、父親のわたしは目頭が熱くなってくる。3階の家族や嫁の実家までもが総出で、彼のラストランを観に東京駅に集まるらしい。わが小川家も夫婦して、新横浜駅か東京駅に送迎に出るつもりでいる。
家族とは離れて、当日の興奮が涙に変わらないよう、わたしは花束を抱えて東京駅で待機することにしよう。真継のふたりの子供たちが、どうにか父親が運転している新幹線を記憶できる年齢に育っている。二歳と五歳。神戸の長男の子供たちも、真継の運転で東京に来たことがある。今度はどのようにするつもりだろうか?
息子の真継は、ふだんから子供たちを連れて、各地の電車を乗り歩いている。しかし、自分が運転する電車に子供を乗せるのは、たぶんこれが最後になる。だから、小川家では、3日後の日曜日が一大イベントになりそうだ。
思い起こせば、真継が新幹線を最初にソロで運転した日(2011年9月29日)は、たくさんの知り合いがお祝いに駆けつけてくれた。わたしたちは、出発地の東京駅から乗り込んだが、駅のホームにはわが妹の姿があった。名古屋駅からは、元秘書の本村ちなみと二人の子供たちが京都まで一駅だけ短い距離を同乗してくれた。
京都駅には、ホテル勤務の長女が真継をお出迎えしてくれた。そのあと、みんなで長女のホテルに宿泊したものだ。さて、今年の最終常務はどんな様子になるだろう。いまからとても楽しみだ。たくさん写真を撮ってやろう。
ちなみに、産休・育休明けの嫁は、この3月から現場復帰することになった。運転士を引退して本社勤務になる旦那に代わって、新幹線の車掌として常務を続けることになっている。